80年代と言うのは、アタシ達40代の人間が10代だった頃。
バンドブームなんて言葉が流行って、街中にはギターケースをかついで歩いている若者が沢山いたし、バンドやってる男の子は何だか知らないけれど女の子にモテた。
ひねくれ者のアタシは「わが道」を進んでしまう哀しいサダメの元に生まれていたので、音楽が好きなのに「皆と同じ事はしたくない。」と出遅れてしまっていた。
しかし、周囲の皆が「もうバンドなんか飽きたー就職活動もしなきゃだしー」なんて言う頃、バンドがやりたい気持ちが爆発。
皆がやっている頃にやっていないので、横も縦もまるきり繋がりが無い。
仕方が無いから自分で雑誌や街中の掲示板などにメンバー募集を出した。
でも、バンドなど組めはしなかった。
応募して来た男の子と女の子が何故か直後に付き合ってた事があった。
馬鹿なアタシは最初意味が分からなかったが、二人共はじめからそう言うつもりもありつつ、アタシのメン募に応募したって事だった。
音楽なんて本気でやろうとしてない人達だった。利用された自分のアホさを呪った。
応募して来て音を出してみようと練習スタジオに入れば、自分の彼女を中に入れて遊び半分。「音楽が好きなの?それとも音楽をしてる人が好きなの?どっち?」と聞かれ、「どっちもです。」と答えた。音を出せば「弾けるじゃん。」と言われた。弾けるから来ているんだろーが、ボケ。外見も中身もブサイクな男だった。
80年代は「女がバンドをやるなんて認めない。」って本気で言ってる男(多くはバンドマン)がいた。
アタシのメン募で彼氏を見つけた女みたいなのが居るので、女を敬遠する気持ちは仕方ない。
でもアタシは「お前らに認められるために生きてる女など一人もいないよ。」といつも思ってた。
沢山の時間が流れて、色んな事が変わった。
皆、一様に自分の人生を生きて今も生きてる。
アタシは、あんなに若い頃敬遠してた「ヴィジュアル系バンド」と言われる人達に尊敬の念すら抱いている。
出て来た時は、どうせすぐに居なくなってしまう子供達だと馬鹿にしてた。
彼らを嫌いだった一番の理由が、音楽的なレベルが極端に低かったから。
見た目はこだわっているくせに、聴くに堪えない演奏力が我慢ならなかった。どんな曲なのかも分からない。
しかし、こんなに長い時が経っているのにも関わらず彼らは生きているし、後に続く若いバンドも生まれている。
正直、こんなに生命力があるとは思わなかった。凄い。
そして、自分が「ヴィジュアル系」と言われる彼らに持っていた偏見にも気付かされた。
ヴィジュアル系であったとしても、皆が皆、向上心もなく下手なままなヤツ等ばかりではないと言うこと。
アタシは別に彼らのヴィジュアル系たる”ヴィジュアル”を嫌いなわけじゃないし、自分の中で決め付けてたところがあったんだなと今、思ってる。
バンドが生き続けられるのは、聴いてくれる観客があってからこそ。
長くヴィジュアル系バンドを支えているのは「バンギャ」と呼ばれる、女性ファンだとアタシは思う。
無論、男の子達も居る。
だけれども、「バンギャ」達は時代によって独自のやり方で進化を遂げながら、彼らバンドを支え続けてる。
それこそ当時「バンギャ」だった女たちは年齢もいっているわけで、「オバンギャ」と呼ばれるらしいが、何せ、そのヘドバンは凄まじい。
アタシが彼女らのヘドバンを見たのは、去年のSEX MACHINEGUNSとTHE冠のライブでだったけれど、ホントにホントに凄かった。
アタシはSEX MACHINEGUNSを、そのサウンドからヴィジュアル系と思った事は無かったんだけど、彼らはデビュー当時メイクもしていたのでそこにカテゴライズされていて、ノリもそちらの感じだったらしい。
なので、今でも激しいヘドバンの嵐が会場中で起こる。
若い頃に外国のバンドが来日した時の、日本人の慣れないヘドバンとは違い、バンギャ達の年季の入ったヘドバンは八の字や扇風機みたいに頭を振り続け、そこらじゅうが激しく波打つ海みたいになる。
長い時間の中で結婚したり、出産したり、離婚もあるだろうし、仕事で役職についてる人も居るかもしれない。
彼女達の作り出すヘドバンの海の波間に居ると何だか様々な物を感じる。
それは一筋縄では行かない物で、彼女らの意地みたいな物も感じる。
不思議な気持ちになる。
こうしている事が生きる活力の様な気分になって来る。
日本は、世界は、様々な事が起こりうる。
この暗がりの地上は、恐ろしく危険な事ばかりだと思っていい。
けれど彼女らはこうして何年も、世代を超えても、愛するバンドと共にこんな空気を幾千の夜創り上げては外へ帰って行った。
そう思うと、見ず知らずの女達の強さが愛おしく思えて来る。
”ライブとは全員で登りつめるためにある”と言うのは、どんな音楽でも同じなのかもしれない。
SEX MACHINEGUNS - みかんのうた
バンドブームなんて言葉が流行って、街中にはギターケースをかついで歩いている若者が沢山いたし、バンドやってる男の子は何だか知らないけれど女の子にモテた。
ひねくれ者のアタシは「わが道」を進んでしまう哀しいサダメの元に生まれていたので、音楽が好きなのに「皆と同じ事はしたくない。」と出遅れてしまっていた。
しかし、周囲の皆が「もうバンドなんか飽きたー就職活動もしなきゃだしー」なんて言う頃、バンドがやりたい気持ちが爆発。
皆がやっている頃にやっていないので、横も縦もまるきり繋がりが無い。
仕方が無いから自分で雑誌や街中の掲示板などにメンバー募集を出した。
でも、バンドなど組めはしなかった。
応募して来た男の子と女の子が何故か直後に付き合ってた事があった。
馬鹿なアタシは最初意味が分からなかったが、二人共はじめからそう言うつもりもありつつ、アタシのメン募に応募したって事だった。
音楽なんて本気でやろうとしてない人達だった。利用された自分のアホさを呪った。
応募して来て音を出してみようと練習スタジオに入れば、自分の彼女を中に入れて遊び半分。「音楽が好きなの?それとも音楽をしてる人が好きなの?どっち?」と聞かれ、「どっちもです。」と答えた。音を出せば「弾けるじゃん。」と言われた。弾けるから来ているんだろーが、ボケ。外見も中身もブサイクな男だった。
80年代は「女がバンドをやるなんて認めない。」って本気で言ってる男(多くはバンドマン)がいた。
アタシのメン募で彼氏を見つけた女みたいなのが居るので、女を敬遠する気持ちは仕方ない。
でもアタシは「お前らに認められるために生きてる女など一人もいないよ。」といつも思ってた。
沢山の時間が流れて、色んな事が変わった。
皆、一様に自分の人生を生きて今も生きてる。
アタシは、あんなに若い頃敬遠してた「ヴィジュアル系バンド」と言われる人達に尊敬の念すら抱いている。
出て来た時は、どうせすぐに居なくなってしまう子供達だと馬鹿にしてた。
彼らを嫌いだった一番の理由が、音楽的なレベルが極端に低かったから。
見た目はこだわっているくせに、聴くに堪えない演奏力が我慢ならなかった。どんな曲なのかも分からない。
しかし、こんなに長い時が経っているのにも関わらず彼らは生きているし、後に続く若いバンドも生まれている。
正直、こんなに生命力があるとは思わなかった。凄い。
そして、自分が「ヴィジュアル系」と言われる彼らに持っていた偏見にも気付かされた。
ヴィジュアル系であったとしても、皆が皆、向上心もなく下手なままなヤツ等ばかりではないと言うこと。
アタシは別に彼らのヴィジュアル系たる”ヴィジュアル”を嫌いなわけじゃないし、自分の中で決め付けてたところがあったんだなと今、思ってる。
バンドが生き続けられるのは、聴いてくれる観客があってからこそ。
長くヴィジュアル系バンドを支えているのは「バンギャ」と呼ばれる、女性ファンだとアタシは思う。
無論、男の子達も居る。
だけれども、「バンギャ」達は時代によって独自のやり方で進化を遂げながら、彼らバンドを支え続けてる。
それこそ当時「バンギャ」だった女たちは年齢もいっているわけで、「オバンギャ」と呼ばれるらしいが、何せ、そのヘドバンは凄まじい。
アタシが彼女らのヘドバンを見たのは、去年のSEX MACHINEGUNSとTHE冠のライブでだったけれど、ホントにホントに凄かった。
アタシはSEX MACHINEGUNSを、そのサウンドからヴィジュアル系と思った事は無かったんだけど、彼らはデビュー当時メイクもしていたのでそこにカテゴライズされていて、ノリもそちらの感じだったらしい。
なので、今でも激しいヘドバンの嵐が会場中で起こる。
若い頃に外国のバンドが来日した時の、日本人の慣れないヘドバンとは違い、バンギャ達の年季の入ったヘドバンは八の字や扇風機みたいに頭を振り続け、そこらじゅうが激しく波打つ海みたいになる。
長い時間の中で結婚したり、出産したり、離婚もあるだろうし、仕事で役職についてる人も居るかもしれない。
彼女達の作り出すヘドバンの海の波間に居ると何だか様々な物を感じる。
それは一筋縄では行かない物で、彼女らの意地みたいな物も感じる。
不思議な気持ちになる。
こうしている事が生きる活力の様な気分になって来る。
日本は、世界は、様々な事が起こりうる。
この暗がりの地上は、恐ろしく危険な事ばかりだと思っていい。
けれど彼女らはこうして何年も、世代を超えても、愛するバンドと共にこんな空気を幾千の夜創り上げては外へ帰って行った。
そう思うと、見ず知らずの女達の強さが愛おしく思えて来る。
”ライブとは全員で登りつめるためにある”と言うのは、どんな音楽でも同じなのかもしれない。