栗田工務店 スタッフ ここだけの話

快適な空間づくりをめざす―(株)栗田工務店 この空間では,『歩き遍路日記』『介護日記』『etc・・・な話』を展開します♪

介護日記 ~ カズコ ~

2012-08-28 12:00:28 | 社長の介護日記
ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、当初のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2010年、9月号に掲載の内容です。



「おばぁちゃん、カズコが帰ってくるらしいヨ」と云うと、「ホォ~カズコが?」と
少し疑う様な嬉しそうな顔で聞き返す。

カズコは県外に住む長女で、定年を数年残して帰っておばあちゃんの面倒を見ると云う。

その時が来るまで、どの程の時間が有るか分からないが、私達だけが至福?の時間を過ごすのは勿体無い。
ここは妹にもこの至福の時間のお裾分けをするのも良かろう。

それにしてもおばあちゃん、しっかり娘の名前を覚えている。
そして私に「それじゃあ、カズコに仕事を探してやってくれ」と云う。中々しっかりしたものである。

おばあちゃんからすれば、息子と嫁の世話よりも娘の方が気兼ねなく、又違った日常生活が送れるだろう。

といっても、半年以上も先の話である。年寄りにはその時間はとても長く感じることだろう。
この話は直前になるまで触れないでおこう。

こんな私の心配をよそに、翌日もその次の日も本人からカズコの話は出てこない。これも認知症の効用か?…
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介護日記 ~ 筋金入り ~

2012-07-26 11:35:23 | 社長の介護日記
ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、当初のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2010年、8月号に掲載の内容です。



 毎日おばぁちゃんの身の回りの世話の為、病院へ通う女房に、若い理学療法士さんが

「だから、おばぁちゃんを一人にしてはダメと云ったでしょう」 と、少しなじる調子で女房に云ったそうである。

 この療法士さんには、以前、骨折入院の時にリハビリを担当してくれた人である。

 確かにこの人は 「もう、おばぁちゃんは24時間介護してくれるところに入れるべきです」 と忠告をしてくれたのである。

 でも、私達は二人で相談して、おばぁちゃんの生活に対する満足度を考えるとヘルパーさんの協力を得ながら、このままの生活を続けることが良いという結論になった。そして、本人が寝たきりになり、私達の手に負えなくなった時に施設入所を考えることにした。然し、その結果が今回の事故になった訳だが。

 24時間介護のグループホームや特養の施設でも、転倒骨折の事故は避けられない。本人の生活の質という点から考えると私達の選択は正しいと思っている。

 そも角、三度目の手術も無事終わり、レントゲン写真で見るおばぁちゃんの足はまさに 「筋金入り」 となっている。

 月末の病院の請求額は27万円。老後にも結構お金がかかる。さて、自分達の老後はどうなる事やら・・・・。
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介護日記 ~ 再骨折 ~

2012-06-25 12:39:41 | 社長の介護日記

ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、当初のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2010年、7月号に掲載の内容です。


 退院して自宅で平穏な日々を過ごす彼女。

 「やっぱり自分の家がエエわね」 などと、おそらくここが新居浜か川内なのか区別は出来てないと思うのだが、自分の家であるという認識は充分に出来ている様である。

 そう言えば彼女、認知症の進行があまり見られず、息子の顔も嫁の顔もしっかり認識出来ていて、これが何よりである。

 そうしながら、半月程たっただろうか。朝食を済ませて

 「じゃあ、行ってくるよ」 「いってらっしゃい、気いつけて」

といつもの様に家を出て仕事場へ。

 昼頃、女房からの電話。病院にいると言う。午前中に訪問してくれたヘルパーさんが床に倒れている彼女を発見。病院でレントゲンを撮ると右大腿部を骨折との事である。

 病院に彼女を訪ねると、何故自分がここにいるのか、転倒した事実も覚えていない様子である。「痛くない?」 と聞くと 「動かすと痛い」 と答える。

 自宅での彼女のベッドとポータブルトイレの前には万一転倒のことを考えてクッションを敷いてある。体調の良かった彼女は何か用事を思い出し、つたえ歩き中にマットの外で倒れた様である。

 これで、彼女は3年程の間に3度の大がかりな手術となる。最初は、変形性関節置換手術、2回目は一日だけショートステイをお願いした立派な特養施設での転倒骨折、3回目が今回である。90歳になっての手術も忍びず、このまま手術をせず固定する方法は?と医者に聞いてみたが、それではずっと痛みが残るとの事。数日後の経過観察の後、手術をする事に決定した。

 


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介護日記 ~ 点滴 ~

2012-02-01 12:56:25 | 社長の介護日記
ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、当初のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2010年、6月号に掲載の内容です。



 発熱して大事をとって入院したおばぁちゃん。

 病院へ行ってみると、ベッドの上で青白い顔をして腕には点滴がささっている。

 絶食状態でこの点滴が実に一週間続くことになる。

 入れ歯をはずして、少し口を開けて眠っている顔は、いかにも生命をすり減らし、枕元に手を伸ばせばあの世はすぐそこ。

 一寸何かがあれば、フッと私達の前から消えてしまいそうな、そんな淋しい思いに駆り立てられる。しかし2、3日もすると血色も良くなり、トンチンカンながら会話も普通に出来る様になった。相変わらず食事は無いが、点滴だけで生きている。しかも、日増しに元気である。まさに、点滴様々である。

 一週間過ぎた頃からようやくおおもゆが出て食事開始であるが、慎重そのものといった感じである。入院した時、医者からは 「油ものを食べさせたでしょう。」 と云われたそうだが、考えてみれば甘いものの中には結構バターなどの油類がはいっているなぁと、後々気づく次第である。

 入院から一ヶ月程して、ようやく退院のお話が出て自宅に帰ることが出来たのだが、又又、思わぬハプニングが起こるのである。


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介護日記 ~ 油ヌキ ~

2012-01-19 14:52:32 | 社長の介護日記

ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、当初のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2010年、5月号に掲載の内容です。



 胆のうの石を取り除く手術を終えて近くの病院へ転院、リハビリを終えて秋口にようやく退院。

 ところが、2ヶ月程で再入院する羽目になる。と云うのも、退院の際、病院からは油を含んだ食事と甘いものはダメというお達しがあった。女房は病院の主催する料理教室で講習を受け、「油を使わない食事作りって結構難しい」 とボヤいている。

 確かに、油ヌキの食事と、私用の食事の二食を毎日作るのは大変だし、私もこの際ダイエットを兼ねておばぁちゃんと一緒の油ヌキの食事を食べることにした。

 女房の工夫もあって、お坊さんの様な油ヌキの食事も結構イケて、本人も日によって食事のムラはあるものの、何とか平穏な日を過ごす。

 こうなると気の緩みか 「甘いものも食べずに何の人生か」 などと勝手に思い込み、

「おばぁちゃんこれ食べる?」

などと、もらいもののお菓子やプリンなどを見せると、ニコッと笑って

「ホゥ~ おいしそうねぇ~」

と目を細めるものだから、量は制限しながら(おばぁちゃんはチョッと、残りは私)食べてもらう。

 これが原因なのかどうか、ある日発熱があり受診、入院となってしまった。
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