栗田工務店 スタッフ ここだけの話

快適な空間づくりをめざす―(株)栗田工務店 この空間では,『歩き遍路日記』『介護日記』『etc・・・な話』を展開します♪

介護日記 ~ アイバンク ~

2011-07-04 16:07:21 | 社長の介護日記
ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、近年のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2009年、10月号に掲載の内容です。


 先日、元気なお年寄りが共同生活する 「グループリビング パレット」 でオカリナ演奏があった。このパレットではフラダンス、絵画等の教室が開かれたり、小旅行を楽しんだり、ハーブやギター、琴などの演奏会が時々開かれる。

 今回のオカリナ演奏にも50人程度の人達が集まって、その美しい音色を楽しんだのだが、演奏が終わってこの演奏者(男性)と話す中で興味深い話を聞いた。

 彼は、愛媛アイバンクの事務局長をやっている。四六時中携帯電話を持ち角膜提供の申込みを受け付けているそうで、勿論演奏中に電話のある時は中断して対応する。

 しかし県内で年間5人程度の角膜提供の申し出があるそうなのだが、必要とする人は40人もいるという。

 心臓や肝臓等の臓器は死亡直後に摘出しなくてはいけないが、角膜の場合は死亡後10時間以内ならOKだそうだ。しかも、角膜の耐用年数(変な言い方だが)は、120~130年だと云う。

 何かの話で人間は130歳くらいまで生きられると聞いたが、この話とも符合する。まさに天の配分と云うべきか・・・

 ウチのおばぁちゃん、100歳まで生きたとしても未だ20~30年使える訳だから、灰にしてしまうのはいかにも勿体ない。幸い白内障の手術はしたが、目も耳もしっかりしたものである。念のため、聞いたところによると、角膜移植に白内障の手術は影響が無いとの事である。

 おばぁちゃんにどう納得してもらうか、葬式スタイルの話と同じ様にこの話も中々面と向かって話しにくいものである。それにもまして「私の事より、あんたどうするの?」 と云い返されそうである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護日記 ~ ハッタイ粉 ~

2011-05-12 17:05:27 | 社長の介護日記
ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、近年のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2009年、9月号に掲載の内容です。


 田舎の道の駅で「ハッタイ粉」を買って帰った。子供の頃はこれに砂糖をまぶしてよく食べたものである。でも、これを食べる時は注意がいる。食べている途中で、咳き込んだりしたら辺り一面粉が飛び散って大変な事になる。

 口に含む時も、粉が気管に入らないようにそっと口を閉じねばならぬ。おばぁちゃんにはこれは一寸難しいのでお湯で練ったものを食べてもらう事にする。お湯で練ると甘味が減るので砂糖の量を少々多めに・・・・。

「おばぁちゃん、ハッタイ粉ョ、覚えとる?」

と鼻先に近づける。

「ウン、匂う匂う。ハッタイ粉じゃ。覚えとるョ」

スプーンで一口二口を食べる彼女を見ながら

「どう美味しい?」と聞いてみた。

「ウン、美味しいよ。ほんでも子供の頃を思い出して泣けてくるわね」

山深い山村に11人の頭として生まれた彼女は、次々と生まれる妹や弟の面倒と家事の手伝いで、雨が降った時くらいしか学校に行けず、それも、子供を負ぶって行ったという話を聞いたことがある。

 大正時代の山村のしかも子沢山の家ではごく普通に見られた情景だったのかもしれないが、ハッタイ粉も山村では子供達のおやつ代わりに大人気だったに違いない。

 そんな中で恐らく、そのハッタイ粉でさえあんたはお姉ちゃんだから我慢しなさいなどと云われて、減らされたり、貰えなかったりしたのではあるまいか。

 ハッタイ粉の匂いと共に80年以上の昔の幼い時の苦い思い出が甦ったようである。90年の人生、松山で空襲に遭った話も聞いた事がある。色々な辛酸を舐めた事だろう。

 そこで聞いてみた。

「おばぁちゃん、今は幸せかね?」

「・・・・・・。」

 突然の変な質問に首を傾げて考えている風であるが、答えは無い。
 今となっては90年の人生も「ただ一刻の夢の戯れ」といったとこどだろうか・・・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護日記 ~ イイエ、大丈夫 ~

2011-02-12 16:03:03 | 社長の介護日記
ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、近年のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2009年、8月号に掲載の内容です。


年を取ると頑固になるとよく言われるが、これは思考対象の周辺に対する気配り、配慮が欠如する結果だと思う。

ある人は云う
「認知症になっても感性は失われない」

全くその通りで、このギャップが周りの人の無理解や心ない攻撃で本人を苛むことになる。

ある朝ベッドで洗面を済ませ、使ったタオルをベッドの手摺に掛けようとする。丁度その部分はベッド上の可動式テーブルのレール代わりになっている。

「おばぁちゃん、そこにタオルを置くと取りにくいし、テーブルを動かすのに邪魔になるヨ」

「・・・・・・・」

「こっちに掛けたら?」

「イイエ、大丈夫」

何が大丈夫なのか平然として彼女は云う。こういう時は本人の気の済むように云うとおりにする事にしている。そう云えばこんなことがあった。

ベッドから見えるベランダにホウキが立てかけてある。元来、几帳面な彼女はそれがどうも気になる様で、壁に釘を打って吊るせと云う。

「おばぁちゃん、昔の家と違って今の家は壁に釘は打てんのヨ」と云っても

「イイエ、大丈夫」とこれ又平然と云う。

「ああ~私も建築会社を経営する専門家のはずだが・・・」と心でボヤキながら、雨の当たりにくい場所へ釘を打ってホウキを吊るす。

「それ、出来たやろ」と云った表情で彼女は大満足。

ある朝は食が進まない彼女。健康状態に特に異常は無い。色々と勧めるが一向に箸をつけようとしない。そこで奥の手と、清美タンゴールの房の薄皮をのけて出してみた。

「これなら食べれるやろ」いちべつした彼女。しばらくして「見るのもイヤなんヨ」と云う。先日は美味しいと食べたのに、まあ何と可愛げのない事か・・・。仕方ないので、これこそ奥の手と羊かん一切れとビスケットを出した。これを見た彼女、ニコッとしながら早速食べ始める。あぁ~これで又、血糖値が心配・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護日記 ~ 「あんた誰?」 ~

2011-01-11 13:21:04 | 社長の介護日記
ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、近年のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2009年、7月号に掲載の内容です。


ある朝ポータブルトイレの始末をして部屋に入った私の顔をシゲシゲと見ながら
「あんた誰かいねェ」
と聞く。オッ、ついに息子の顔も分からんようになったか、と一瞬うろたえたが

「おばぁちゃん、おばぁちゃんの息子よ」

「・・・・・いさおちゃんかいねェ」

「そおよ」

「あんたには世話になっとるけん、覚えとかなイカンと思うのにサッパリこの頃馬鹿になってしもうて・・・。」

と手の甲で額をトントンと叩きながら辛そうに云う。

私を誰と聞くのは、以前入院している彼女をしばらくぶりに訪れた時に一度あったが、それ以降今回がはじめてである。恐らく、彼女は今朝失禁をして一寸した精神的パニック状態だったのだろう。

認知症になっても失禁と云う事実は本人にとって到底受け入れることの出来ぬもののようである。

そして壊れて行く自分、どうする事も出来ないもどかしさ・・・悲しさ、不安。

萎えていく精神でこれ等を受けとめるにはあまりにも荷が重い。・・・その結果の忘却・・・。

そう考えると人の精神のメカニズムも精妙とでも云うべき不思議なものである。

川端康成の自殺の原因が、老醜への絶望感だと云う説を聞いた事がある様に思うが、これもうなずける気がする。

認知症は天が与えてくれる、絶妙な特効薬かもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護日記 ~ この年まで ~

2010-12-04 11:39:07 | 社長の介護日記
ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。

現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、近年のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2009年、6月号に掲載の内容です。


「おばぁちゃん、お早う」 朝5時半、我が家の朝は早い。

モコモコと起き上がりながら
「お早よう。ねェ、私しゃぁよう考えてみたらもう4日も何も食べてないわネ」

「ホゥ、そぉ。お腹すいた?」
「ううん、それが不思議に、何も食べんのにお腹が空かんのよ。」
「そんなら大丈夫よ」
「ふーん、そうじゃろうか」

目ざめたベッドの中で彼女はしきりとその事ばかり考えていた様子。

昨夜も我々と変わらぬ量の食事を食べ、健啖家ぶりを発揮して、私たちを驚かす。

何せ退院して3キロも体重が増加し、我々を心配させる。

もともと甘いものが好きで、このコントロールが私たちにはむつかしい作業となる。

医者からは糖尿と診断されているが、薬とコントロールの甲斐あって血糖値もギリギリ正常範囲だが、時々数値をオーバーする。

「おばぁちゃん、お医者さんに叱られるけん、このお菓子半分にしとこか」

その後に糖尿病に依る失明や、足の切断などの怖い話をしたりもするが、

「うん、ほんでもこの年まで生きたんやけん、もぉかまんがね」

と、認知症と思えないしっかりした口調。

この言葉には妙に説得力があって、

「それもそぉか。死んだら食べれんし、生きとるうちにおいしいものを食べてもらおか」とつい甘いもののコントロールが甘くなる。

そんな翌日のヘルパー日誌の血糖数値はオーバーである。

でも甘いものを前にニコッと嬉しそうに笑う彼女を見るとついつい・・・。

情にサオさしゃあ流される。とかくこの世はむつかしい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする