2/3(金) 6:03配信
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米国人もうんざり
サセックス公爵ヘンリー王子とサセックス公爵夫人メーガンが「色々な意味」で世界の注目を浴びている。
もっとも、Netflixのドラマ「ヘンリー&メーガン」や「スぺア」という暴露本などを次々と繰り出すのであるから、彼らが「世間をお騒がせ」していると言った方が正しいと言えるであろう。
多数の国民が敬愛する王室に対する、攻撃をやめない彼らに対する地元英国の反応が厳しいのは当然だ。
例えば、日本の皇族の誰かがメーガン氏のような女性と結婚し皇室を離脱。それにもかかわらず、暴露本などで「荒稼ぎ」をしたとしよう。
皇室の尊厳を傷つけるような行為に大多数の日本国民がどのように反応するかを考えればよくわかる。
だが、メーガン氏の母国であり、現在彼らが暮らしている米国での当初の反応は違った。ダイアナ妃と同じように、「古臭い英国王室のがんじがらめの因習の犠牲者」であったとの見方が多かったのだ。
だが、ひたすら暴露話で相手を攻撃する彼らのやり方にさすがの米国人も食傷気味である。
Cyzo woman1月27日「『ヘンリー王子をイギリスへ返却する方法』がGoogleの予測変換に! アメリカの人気司会者のジョークに観客大爆笑」という記事がそれを如実に物語っているのではないだろうか。
確かに、映画「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ(ビビアン・リー)のような、「自立した強い女性」は米国人が好むところだ。
だがそれは、レッド・バトラー(クラーク・ゲーブル)のような、同じく「自立した強い男性」との個性のぶつかり合いの中で輝く。
「強い女性が男性を尻に敷く」ということは、むしろ嫌われる。
アニメサザエさんに登場する「マスオさん」のようなタイプの男性は、米国では評価されにくいのだ。
そして、ヘンリー氏はまさにメーガン氏の尻に敷かれた「マスオさん」のような存在だというのが、米国人の見方であろう。
しかも、メーガン氏の性格はサザエさんのように「おっちょこちょいだが憎めない」というものではない。手に入れた「王室ブランド」であるヘンリー氏を、陰で操っていると思われているはずだ。
ダイアナ妃はプライバシーを守りたかった
もちろん、私は英国王室ファンではない。むしろ、昨年12月24日公開「世界の分離・独立、『自国民ファースト』の流れは止められない」3ページ目「苛烈だった植民地支配」の責任は王室にもあると考える。
また、エリザベス1世の時代などには、私掠船(国家公認の海賊)=「強盗」で大儲けもしている。
「色々な意味」の歴史を振り返れば、突っ込みどころ満載なのが英王室だから、ヘンリー夫妻が指摘する部分に正しい内容もあるだろう。だが、問題はその指摘を「何のためにするのか」ということである。
「旧態依然とした英王室の改革をしたい」ということであれば、王室支持層の反発がありながらも一定の英国民の理解を得られるのではないだろうか。より良い王室にするために苦言を呈することはむしろ大事である。
あるいは、旧態依然とした王室から飛び出したダイアナ妃のようなケースも共感されるはずだ。王族といえども、1人の人間として生きる権利は持っている。
ダイアナ氏(プリンセス・オブ・ウェールズ)がチャールズ現国王と離婚した事実も多くの人々に理解されている。夫を愛せず、王室の生活、慣習になじめなければ離婚も致し方ない。
だが、彼女の赤裸々な告白は、2021年5月21日BBC「BBCはダイアナ元妃インタビューで『欺いた』 調査委が報告書公表」のように「はめられた結果」によるもので、暴露話で王室を攻撃しようとの意図は無かったとされる。
ましてや、暴露話で荒稼ぎしようなどとはこれっぽっちも考えていない。むしろ彼女の悲劇的な死は、パパラッチから「プライバシー」を守るために起こった交通事故によるものである(多数の陰謀論はあるが)。
王家に生まれたことが不幸なのか?
ヘンリー夫妻の言動が、米国人にさえ「うんざり」されているのは、いまだに王室の特権を最大限に利用しているのに、王室の一員として(王室の尊厳を守る)責任を果たすことを放棄したからである。
王室から離脱はしたが、ヘンリー氏の王位継承順位は今のところ第6位である。さらに、彼らが出演料や印税で巨万の富を得ることができるのは、「王室ブランド」のおかげだ。
ヘンリー氏も、メーガン氏も何事かを成し遂げた人物ではない。メーガン氏は女優ではあったが、「成功した」といえるほどのものではなかった。
つまり、ヘンリー氏が「スぺア」であったおかげ(メーガン氏は王族と結婚したおかげ)で、彼らは一般庶民とはかけ離れたゴージャスな暮らしをしているのである。
ヘンリー夫妻が王室批判をするのであれば、手に入れた特権も手放すべきだと感じる。
日本ではガーシー(東谷義和氏)がヘンリー夫妻に近い立場であろう。彼が暴露する内容にはまったく興味が無いので、どのような発言をしているのかは率直に言ってよくわからない。
だが、NHK党から立候補して当選したのにも関わらず「ガーシー議員が不満ぶちまけ 国会欠席の“懲罰”『勝手にして』『不登校の学生を停学にするの一緒』【FNN単独インタビュー】」という態度には大きな問題がある。
もちろん、日本には少なくとも「言論の自由」が「存在するはず」であるから、ガーシーの言い分を切り捨てるわけではない。
だが、「発言には責任が伴う」ということも、「言論の自由」の中に含まれるはずだ。「権利と義務はワンセット」であるということは、「言論の自由」においても同じだ。「自由」があるのだから「責任」も当然ある。
ましてや、有権者の貴重な一票の集積が当選につながったのだから、国会に出席して活動するのは当然である。有権者は、ガーシーが「登院拒否」するなどと思ってはいなかったはずだ。
もし、自己の正当性を主張するのであれば、選挙の際に「私は登院拒否します」と明言しておくべきであっただろう。
「バイトテロ」にも似た行為だ
所属している組織から給料(メリット)を受けているのに辱める「バイトテロ」も似た行為だ。
もちろん、彼らは自分のアルバイト先の仕事内容や環境を良くしようなどとはこれっぽっちも考えていない。勤務先の評判を貶めるような行為を悪ふざけで行って、世間の注目を集めたいだけである。
彼らのその行為によって番組出演料や印税が入ったり、国会議員に当選したりするわけではないが、「暴露」によって世間の注目を集めるという点では基本的に同じだ。「報酬」部分が異なるだけだともいえる。
つまり、ヘンリー夫妻、ガーシー、バイトテロは、暴露によって「自分の利益」を追求するが、「公の責任」を負うということに無関心なのだ。
本当に勇気をもって告発する人々が迷惑する
それでも、「犯罪にならない限り、自由に発言することは構わないのではないか」という意見もあろう。
ちなみに、ガーシーは、昨年12月27日時事通信「ガーシー議員に任意聴取要請 ネット投稿巡り著名人が告訴―警視庁」という状況だ。
だが、FRIDAYデジタル1月16日「ガーシー議員の顧問弁護士『逮捕の必要ある? 』『重い罪でない』反論から見えた警察の“捜査意図”」との主張もしているし、「被告」は推定無罪だから犯罪者では決してない。
ガーシーの場合は、「責任をとって戦う」のか、それとも「言いっぱなし」なのかどちらになるのかが注目される。
だが、このような行為が「国民生活に直結する、『本当に糾弾すべき不正行為』」を明らかにする人々を、警察を含む権力が弾圧するための大義名分を生み出すのではないかと心配している。
特権を手放さないで権利を主張するのか
ヘンリー氏の場合はわかりやすい。「王室に生まれた特権」を手放さずに、王室攻撃を繰り返すのだから国民の支持は得られない。メーガン氏も「王族と結婚した特権」を手放さず、むしろしがみつこうとしている。
また、共産主義中国へのODAが終わったのは、nippon.com昨年8月3日「拠出総額約3兆6600億円: 対中国ODA 42年の歴史に幕」で述べられているように昨年3月である。
しかも「大原浩の逆説チャンネル<第2回・特別版>安倍元首相暗殺事件と迫りくるインフレ、年金・保険破綻」で触れた安倍元首相がけじめをつけていなければ、今でもずるずると続いていたかもしれないということだ(まさかこれが暗殺の遠因ではないだろうが)。
つまり、共産主義中国は、1972に田中角栄首相と中国の周恩来首相(当時)が北京で共同声明に署名した、いわゆる「日中国交正常化」以後日本の惜しみない援助を受けることによって発展してきたのだ。
しかし、彼らは日本に誠意をもって感謝するどころか、「あること無いこと」をネタに、「罵詈雑言」を浴びせてきた。
共産主義中国にすれば、国際社会に「暴露」したつもりなのだろうが、彼らの主張には明確な根拠が無い。むしろ「捏造」とさえ思える。
一方で、日本の善意に甘えて昨年までODAを供与されていたのだ。この事実は、中国国民どころか、日本国民にもあまり知られていない。
共産主義中国は民主国家ではないから、「そんなものさ」という意見があるかもしれない。だが、ヘンリー氏、ガーシー、バイトテロなどがあふれる現状を見ると、民主主義国家も「悪貨が良貨を駆逐する」状況に陥っているようにも思える。
民主主義、さらには「言論の自由」は素晴らしいが、それは「自分の発言と行動に責任を持つことができる」人々にだけ与えられた特権だと言えるだろう。
改めて「権利と義務はワンセット」であるということを思い出すべきだと考える。
大原 浩(国際投資アナリスト)
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2023年2月3日 7時0分
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「ハリー王子・メーガン妃」と「眞子さま・小室さん」を巡る報道や世間の反応について、イギリスと日本の違いを語るマッカリー氏
チャールズ国王の次男、ハリー王子(ヘンリー王子)が、自らの生い立ちと英国王室の内幕を赤裸々に語った自伝『スペア』が1月10日に発売され、大きな話題を集めている。イギリスと日本、共に「立憲君主制」を掲げるふたつの国で、王室や皇室を巡るメディアの報道や、それに対する人々の反応にはどのような違いがあるのか?
「眞子さま・小室さんご結婚」を巡る日本社会の反応なども報じてきた、英紙「ガーディアン」の東京特派員、ジャスティン・マッカリーさんに聞いた。
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──ハリー王子の自伝『スペア』が、イギリス国内ではかなり物議をかもしているようですね?
マッカリー 多くのイギリス人にとって「王室のゴシップ」は大好物ですし(笑)、『スペア』は発売前から内容の一部がメディアなどで話題になっていましたから、それなりに大きな反応があるだろうとは予想していました。
メディアや国民の反応はさまざまで、王室批判を続けるハリー王子に批判的な声もあれば、彼の立場を擁護する声もありますが、今のところ、チャールズ新国王をはじめ、英国王室側はこの問題について一切、公式な声明を出さず、沈黙を守っています。
昨年9月に96歳で亡くなった女王エリザベス2世は、熱心な王室支持派だけでなく、それ以外の国民からも幅広く尊敬と支持を得ていたと思います。その女王が亡くなり、チャールズが新国王に即位したばかりという時期に、ハリー王子の騒動が続き、それ以外にもアンドリュー王子の児童買春に関する疑惑(「エプスタイン事件」関連)も問題になっている。
かつては、現王妃となったカミラ夫人とのダブル不倫問題や、故・ダイアナ妃との離婚騒動などで、正直あまり評判が良いとは言えなかったチャールズですが、新国王となってからは「思っていたよりも良くやっている」と評価が上向いていただけに、英国王室は一連のハリー王子の問題に頭を悩ませていると思います。
──メーガン妃との結婚に対する王室や英国メディア、国民などの反応が、その後のハリー王子の王室離脱や一連の騒動の要因になっているという点では、日本でさまざまな議論を呼んだ、眞子さまと小室圭さんの結婚の際の反応と共通する部分があるのでしょうか?
マッカリー メーガン妃が、アメリカ人でアフリカ系の母親を持つという人種的な理由によって、一部の英国王室関係者やメディアから不当な扱いを受けたというのは、ある程度事実だと思いますし、それがその後のハリー王子の英国王室離脱や、一連の行動の大きな要因のひとつになっているのは間違いありません。
一方で、ハリー王子自身が幼いときに両親の離婚や母親のダイアナ妃の悲劇的な死に直面した心の傷や、その後も父であるチャールズや、兄のウィリアムとの関係に苦しんできたこと。そして、自分の王室の中での立場は自伝のタイトルでもある「スペア」(予備)にしか過ぎないことへの複雑な思いが、メーガン妃の問題を引き金にして、一気に噴き出してしまったという面もあるように感じます。
自伝の中では、彼が従軍したアフガニスタンで、攻撃ヘリコプターに乗り、自らタリバン兵を殺害した話なども生々しく語っていたことが一部で物議をかもしていますが、ハリー王子がアメリカのテレビ番組や出版物などのメディアで、ある意味、過剰なぐらい自分の人生や家族内の出来事を赤裸々に語っているのも、彼が自分の内側に抱えた心の傷を癒すための一種のセルフ・セラピーで、それをメディアが利用しているとも言えるでしょう。
日本の皇室メンバーである眞子さまと小室さんの結婚に対する反応との比較......という点で言えば、どちらも王室や皇室にとって、ある意味「異例の結婚」であったこと。そして、それがメディアなどで大きく騒がれたという点では共通する部分もあると思います。
ただ、イギリスと日本で大きく違うのは、イギリスのメディアや国民が時には辛辣なまでに王室メンバーを批判したり、スキャンダルを騒ぎ立てたりするのに対して、日本では皇室に関する報道や発言は非常にデリケートなものだという認識がメディアや国民にあり、ある意味「聖域化」されているという点です。
そのため、眞子さまと小室さんの結婚についても、皇室の一員であった眞子さまではなく、小室さん自身や、彼の家族の問題にメディアの報道や批判が集中し、時には小室さんのプライバシーや人権を無視したような扱いがあったように感じました。
もちろん、イギリスでもそういう面はあって、ハリー王子とメーガン妃の場合も、小室さんと同じく「王室の外の人間」であるメーガン妃のほうがターゲットになりやすいというのはあるのですが、そうした傾向は日本のほうがより顕著だと思いますね。
──日本の皇室はメディアから「聖域」として守られている一方で、皇室の人たちに与えられた「自由」も少ないように感じられるのに対して、英国王室のメンバーにはより多くの「自由」が認められている代わりに、時には直接、メディアの批判の対象となったり、好奇の対象として扱われたりすることもある......。どちらがいいんでしょうね?
マッカリー これは難しい問題ですが、立憲君主制というのはその国の歴史的な背景を基礎に持ちながらも、「国民の理解と支持」があって初めて成立するものですから、時代に合わせながら、その条件の中で微妙なバランスを取っていく必要があると思いますし、逆に、それがきちんとできていれば、今後もイギリスの王室制度や日本の皇室制度は続いていけるのではないかと思います。
イギリスの王室制度も、皇太子時代のチャールズのスキャンダルや、それに続くダイアナ妃の悲劇的な死の際には多くの批判や議論を巻き起こし、王室制度そのものの危機だと言われた時期がありましたが、その後は女王・エリザベス2世の下で王室の在り方に関する地道な改革や努力が続けられ、広く国民の支持と理解を得られるようになりました。
私自身は熱心な王室支持者でもなければ、王室に否定的なわけでもなく、いわばその中間くらいの立場ですが、そんな私ですら、昨年、女王が亡くなったときの式典を見て、心が動かされたひとりです。
日本の皇室を取り巻く状況がこの先、どのように変わってゆくのか? それは皇室制度を支える日本人自身が考え、決めていくべきことですが、取り急ぎ、将来も皇室制度が続いていくためには、そろそろ「直系の男子のみ」とされている皇位継承権を、女性に拡大することを真剣に検討するべきかもしれませんね。ひとりのイギリス人として、国民から広く尊敬される立派な「女王」の下での立憲君主制は、なかなか良かったと思いますよ!
●ジャスティン・マッカリー
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で修士号を取得し、1992年に来日。英紙『ガーディアン』『オブザーバー』の日本・韓国特派員を務めるほか、テレビやラジオ番組でも活躍
取材・文/川喜田 研
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