2/3(金) 13:01配信
民主主義体制の下、英国王室が存続する理由は?
小室 輝久(明治大学 法学部 教授) 2022年9月8日に崩御されたイギリスのエリザベス女王に、最後のお別れをしようとする一般弔問に並ぶ英国国民の列は10km以上にも及びました。女王が、なぜ、国民からそれほどまでに慕われ、敬愛されたのか。イギリスの立憲君主制をあらためて考えてみましょう。
◇王室のアップデートによって形作られた立憲君主制
君主とは、国家を統帥する最高の地位にある人であり、それが世襲制となれば、私たちは、独裁者のような絶対権力者をイメージしがちです。
しかし、イギリスの王室は立憲君主制です。つまり、君主といえども憲法の制約下にあるということです。絶対君主制とはまったく異なる体制なのです。
イギリスの王室が立憲君主制になるのは、長い歴史があります。まず、イギリスのイングランド地域を統一する王が現れるのは9世紀頃です。その後、1066年にウィリアム1世がノルマン朝を起こします。この王朝が現在のイギリス王室に繋がります。
当初の歴代の国王たちはまさに絶対君主であり、権限をだれにも制約されることなく国を統治していました。
ところが、1199年に王位に就いたジョン王は、貴族や諸侯、教会と権力争いとなり、その対立を終結させるために、1215年に彼らに特権を与えることを記した文書を公表します。それが、「マグナ・カルタ」と言われるものです。
そこには、信仰を認め教会を保護することや、国王が国民にかける課税も一定のルールに従うことなどが記されています。
また、39条には、イギリスの国民は裁判によらなければ処罰されないことが記されています。つまり、国王といえども国民を恣意的に処罰しないということであり、これは、現代のイギリス制定法集にも形を変えて残っています。
要するに、ジョン王は自らの権限を制限し、それを貴族や諸侯、教会に配分することで対立を終結させ、彼らと共存する方策を選んだのです。
ところが、1685年に即位したジェームズ2世は専制主義を復活させ、一部の法律を無効にしようとします。
しかし、やはり、教会や議会と対立し、結果、支持を失ったジェームズ2世は国外に逃亡し、1689年、娘のメアリーと夫のウィリアムが共同で即位します。
このとき、議会が提出した権利宣言、すなわち、国王といえども議会が作った法律に従うなどの宣言を認めます。これが「権利章典」となります。
このときの議会は、貴族や大地主などの地方の有力者で構成されたもので、国民の代表とはちょっと違いますが、ともかく、議会が王権を制限するという仕組みができあがるわけです。
この一連の流れは血を流さずに進められたことから名誉革命と言われ、立憲君主制というイギリスならではの王室体制の基盤となります。
名誉革命は、議会側から見れば、王権の制限を達成した革命ですが、王室側から見れば、王室を時代にあわせてアップデートさせ、存続を図ったとも言えます。
例えば、フランス革命に見るように、絶対君主制にこだわった王室は時代にあわなくなり、結果的に途絶えることになります。
イギリスの王室が1000年に及ぶ歴史をもつ背景には、時代にあわせたアップデートがあったと言えるわけです。
◇国民に支持される努力を重ねたエリザベス女王
イギリス王室のアップデートは過去のものだけではありません。在位70年に及んだエリザベス女王も国民に支持される努力を重ねました。例えば、1992年と1997年は王室の危機と言えるような年でした。
1992年は、当時のチャールズ皇太子とダイアナ妃の別居、また、次男のアンドルー王子にも別居騒動が起きます。別居は離婚の準備と見なされるので、キリスト教の倫理感が強いイギリスでは非常にネガティブに捉えられます。
さらに、女王の住居であるウィンザー城で火事が起こります。ところが、王子たちの離婚騒動でイメージの悪くなっていた王室が城の修理のために公費を使うことに批判が起こります。
そうした国民の感情を察した女王は、城の修理費を王室自ら捻出するために、バッキンガム宮殿などを有料で一般公開します。この施策は、普段は見ることができない王宮内を見学できるということで、国民や観光客に歓迎されました。
女王はこの年を「悲惨な年」と呼びましたが、5年後の1997年に、ダイアナ妃が交通事故で亡くなるという事件が起こります。このとき、イギリス国民は本当に深い悲しみに暮れます。
ところが、ダイアナ妃はその前年に離婚が成立して王室の一員ではなくなっていたため、エリザベス女王は追悼のメッセージをなんら出さず、沈黙します。それが、国民の感情に寄り添わない姿勢と見なされ、激しい反発を招いたのです。
実は、民主主義体制の中で、王室不要論は常に議論されてきましたが、このときは、それが最も激しくなりました。事態を重く受け止めた女王は、数日後にテレビに出て追悼メッセージを出します。
こうした経験によって、王室は常に国民に寄り添い、国民の支持を得ることが重要であることを、エリザベス女王は強く認識したのではないかと思います。
王室が以前から積極的に行っていた慈善団体やチャリティ活動の後援を、国民にもわかりやすく発信したり、活動に参加した際には人々と親しくふれあうことが増えていきました。
また、王位継承のルールは、1701年に制定されて以来、男性優位でしたが、2013年に、性別に関係なく第一子が王位を継承するルールに変えました。この男女平等のルール改正も、現代社会のルールに沿った王室のアップデートと言うことができます。
こうした様々な努力によって、エリザベス女王は国民に広く敬愛される存在になっていったと考えられます。
◇王室が存続する意味とは 実は、王室不要論は決して空論ではありません。
イギリスの国王は、カナダやオーストラリアをはじめ、世界16ヵ国の国家元首でもありましたが、それらの国では、常に、不要論があり、実際、2021年11月にカリブ海の島国バルバトスは共和制に移行しました。
その結果、イギリス国王が国家元首の国は世界で15ヵ国に減ったのです。それは、イギリス国内でも起こる可能性のあることなのです。
イギリスは不文憲法の国と言われます。憲法を、国会が制定する法律よりも上位に位置し、かつ、改正や修正が容易にはできないものと定義するならば、確かに、イギリスには憲法がありません。
しかし、イギリスは、先に述べたマグナ・カルタや権利章典などの重要な法律や、慣習法の集合体を通じて、国民の権利を保障し、民主的な国制を維持する仕組みをつくってきました。
つまり、憲法典はもたなくとも、制定法を含めた集合体を国王も議会も尊重し、遵守してきたという意味では、それらが憲法のように扱われてきたと言えます。立憲君主制も、こうした「憲法」の下にあるわけです。
一方で、議会制定法は、日本を含めた他国で言う憲法よりも改正が容易なのは事実です。つまり、立憲君主制のイギリスでは、国民が王室を望まなければ、王室を廃止することは、非常に現実的なことのです。
そういった意味では、イギリスで王室が存続してきたのは、王室自身による努力が大きかったということであり、そうした努力が今後も続けられなければ、王室は廃止される可能性があると思います。
しかし、逆に言えば、なぜ、王室を存続させる意味があるのか。
19世紀の思想家であり、ジャーナリストであったウォルター・バジョットは、議会政治の代表となる者を「政府首長」、国民統合の象徴となる国王を「国家首長」として分け、分けることには長所があると捉えています。
例えば、大統領や首相という政府首長が、いかに善政を行っても、政治的な評価は分かれます。与党があり、野党があり、様々な価値観や利害を調整するのが政治であり、すべての人を完全に納得させることは政治には難しいからです。
一方、国家首長である国王は、政治的な議論から離れた立場で国民のために活動を行うことができます。それによって国民統合の象徴となるのです。
例えば、1971年に昭和天皇が訪英した際、エリザベス女王は、もう、お互いに仲良くしましょう、ということを言いました。
まだ、第二次世界大戦の記憶が強く残る時代、日本に対して良くない感情をもつイギリス国民は多くいました。しかし、女王が日本の天皇に、仲良くしよう、と言ったことは非常に重要で影響力があります。これによって、イギリス人の日本を見る見方が変わっていくのです。
このとき、ときの首相同士が同じことを言っても、逆に、反発する人が多く出たかもしれません。
また、政治的立場でないがゆえに政治を動かすこともあります。南アフリカ共和国がアパルトヘイトを廃止した背景には、エリザベス女王がコモンウェルス(イギリスの旧植民地による政治連合)の問題として、人種差別に強くコミットしたことがあると言われています。
つまり、王室には国家首長として、政府首長にはできない役割があることをイギリス王室はしっかり認識しているからこそ、その役割を担うためにも、アップデートを自ら怠らずに継続してきたのだと言えるわけです。
新国王に就くチャールズ3世も、若い頃から、環境問題やリサイクル問題、有機農法などに強い関心をもち、1970年代から活動を続けていました。イギリス社会が高度経済成長期にあった当時、それは産業界からひんしゅくを買ったほどです。
しかし、信念に基づいたその活動は、いまでは多くの国民に支持されています。
国王の活動が、国民が必要と思うことにコミットしていると国民が感じられることが、民主主義体制の中の立憲君主制の存在価値なのだと言えると思います。
小室 輝久(明治大学 法学部 教授)
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木村正人在英国際ジャーナリスト2/3(金) 12:00
王室を維持できるのか、ウィリアム皇太子とキャサリン妃の責任は重い(写真:ロイター/アフロ)
■「王族の終わり」は始まっている
[ロンドン]メーガン夫人とともに英王室を離脱したヘンリー公爵=王位継承順位5位=の回想録『スペア(将来の君主に何かあった時の予備という意味)』は「王族の終わりの始まりになる恐れがある」と警鐘を鳴らすチャールズ国王の伝記作家でジャーナリストのキャサリン・メイヤー氏が2日、ロンドンの外国特派員協会(FPA)で記者会見した。
英誌エコノミストでキャリアをスタートさせたメイヤー氏はFPA会長を務めたこともある。2015年に発表した『チャールズ 国王の心』でチャールズ国王の生い立ちや両親との困難な関係、故ダイアナ元皇太子妃との結婚のほか、当時、皇太子だったチャールズ国王が主導する王室改革について書き、ベストセラーになった。英国女性平等党の共同創設者でもある。
「君主制が生き残る方法は外界と調和するよう分からないうちに進化し続けることだ。外界と同じではいけない。距離感や威厳が必要だが、外界と歩調を合わせる必要がある。チャールズにとっても大問題で、エリザベス女王が亡くなる前から考えてきた。彼がやろうとしていたことの1つが実際には口に出さずに自分の考えを表現する方法を見つけることだ」
■縮小する英連邦王国
君主にとって最も大切な仕事は君主制を維持すること。そのためには英国と英連邦王国の国民の支持が欠かせない。「チャールズが即位する前にカリブ海の島国バルバドスは女王の君主制を廃止して共和制に移行した。英連邦王国の多くが共和制に移行することを真剣に考えている。その数は現在の14カ国(英国を除く)から減っていくだろう」
オーストラリアは新紙幣にエリザベス女王の肖像画の代わりに先住民族を称えるデザインを採用する。チャールズ国王の肖像画は拒否された。植民地支配の負の遺産を一掃する動きが英連邦王国で広がっている。「非常に大きなことが進行中だ。王族の準備不足、君主制の機能不全は15年にチャールズの伝記を発表した時から進んでいる」とメイヤー氏は言う。
「チャールズは新しいやり方を試行錯誤してきた。継承の時が近づくにつれ、彼は君主制を母(女王)とは違うやり方で使おうと考えるようになった。というのもチャールズは、自分は母のようにはなれないと分かっていたからだ。自分の在位はかなり短いとも思っていた。君主制は危機ではないにしろ、これまで以上の圧力にさらされていることに気付いていた」
■共和主義者にとって最大のチャンス到来
アフリカ系の血を引くメーガンは英王室が21世紀を生き残る上で財産になるはずだった。ウィリアム皇太子とキャサリン妃を支持するのは中年層でジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子になるとぐっと幼くなる。若者や非白人層にアピールするハリー(ヘンリー公爵の愛称)とメーガンはその間の年代を埋める可能性を秘めていたが、その夢は呆気なく潰えた。
この世代間ギャップが王室にとって命取りになるかもしれないのだ。
「チャールズはウィリアムとケイト(キャサリン妃の愛称)にスムーズに引き継ごうとしている。共和制への移行を唱える勢力が彼を弱点とみなしていることを知っている。共和主義者にとって最大のチャンス到来だ。英国の上院改革が全く進まないからと言って、君主制がいつまでも存続されるとは限らない」とメイヤー氏は指摘する。
「ポピュリズムと混乱の時代に、君主制を何とか維持できるか、それとも、ある種の衝撃的な拒絶反応が起きるのか。君主制が終わるとしたら、それはチャールズではなく、ウィリアムとケイトの代だろう。これは2人を批判しているのではなく、ただ、いろいろな意味でタイミングが悪いからだ」と語る。
■感情を殺すことを教えられた2人の王子
ハリーとメーガンだけでは君主制を崩壊させることはできないが、共和制に移行する世論に火をつけるという意味では非常に重要な要素になる。チャールズ国王が皇太子時代に集めていた寄付も植民地支配の負の遺産を引きずっている。使い道が正しければすべてが許される時代ではなくなった。王室にも透明性と説明責任が求められる。
チャールズ国王はすでに「小さな王室」を目指し、バッキンガム宮殿を1年中公開、王室の収入を公共の福祉に回す方針を打ち出す。ウクライナ戦争が悪化させたエネルギー価格の高騰とインフレによる生活費の危機で、華美な戴冠式には国民の怒りが向けられる恐れがある。そして「汚い金」が戦争の原資になっていることにも国民は気付き始めている。
メイヤー氏は王室でのウィリアム皇太子とヘンリー公爵の育てられ方にも注目する。自分の感情に触れるのではなく、有名私立校の教育方針も組み合わさり、感情を殺すことを教え込まれた。ダイアナ元妃は全く逆のことを2人の王子に語り、自分の生活体験を大切にするよう促した。過酷な体験をした2人はこうした葛藤と闘ってきた。
■「2人の王子はかなり怒りっぽい」
「私は2人と接触があるが、かなり怒りっぽい。ウィリアムは私がこれまでに会った中で最も辛抱強い人の1人だ。感情を決して表に出さない。ジャーナリストを心底嫌っている。ウィリアムとハリーとケイトがまだ3人組だった頃、ケンジントン宮殿に60人のジャーナリストを招いたことがある。用意されていたのは白ワインのボトル2本だけだった」という。
ハリーとメーガンの米人気司会者オプラ・ウィンフリー氏とのインタビューに合わせてメーガンのスタッフに対するいじめ疑惑が噴出したことも金庫に入れていた『スペア』が流出したことも、メイヤー氏が『チャールズ 国王の心』を出版した際に味わった妨害工作を思い起こさせる。問題と向き合うのではなく告発者を貶めるのが王室の常套手段だ。
人種差別、女性蔑視、富に対する怒りが王室と王族に向けられる恐れがある。いくら改革を試みたところで英王室が支配と搾取で巨大な富を築き上げた不公平な制度であることに変わりはない。ハリーとメーガンの憤りに王室は何一つ答えていない。その大きな溝がメイヤー氏の指摘通り、将来ウィリアム皇太子とキャサリン妃をのみ込む可能性は否定できないだろう。
(おわり)
記事に関する報告
在英国際ジャーナリスト
在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com
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