行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

小菊。

2009年10月22日 08時15分02秒 | 日記

流れ星への願いが効いたのか、昨日の母は体調は同じようであっても気持ちが違って見えました。
外に散歩に出て、2人して木陰で足だけ日向にあて、私は読書を。
なんて穏やかな気持ちの良い時間だったでしょう。。

その時、近くをリハビリで杖を使って歩く練習をしている女性が居ました。
それを見て母も、自分にも杖があればあのように歩ける。と言うんです。
びっくりです。。
歩けるの? 杖があれば歩けるの?

と何度も聞いてしまいました。
その都度、うん。うんと頷きます。
私が見ている母と実際は違っているんだろうか?
なんてことも思うほど。
それを受けて、近くにあるガーデンテーブルに手をついて数歩、伝い歩きをしてみてとお願いしました。
右足をおくることが難しそうでしたが、なんとか数歩運べました。



その日の朝のうちに、リハビリのスタッフと一緒にホールの中の手すりを使って片手は手を引いてもらって3mほどを何往復かしたらしいです。
母の部屋にある、リハビリテーションの実施計画書(10月分)を見ました。
新しいものです。
<歩行では寄りかかってしまう状態になりやすく、なかなかフリーの状態でバランスをとることは難しい。リハビリに対する意欲は高いが息切れ疲労感が出やすい>と記入されていました。

本人のリハビリに対する意欲の高さ。これは大事です。。
母の意欲が有る無しでは大きく違います。
杖を使えば歩けるようになる。そういう希望を持っていることが嬉しくなりました。



私達も外の散歩から帰り、母の昼食が終ってから、そのリハビリをしたという手すりで同じことをして見せてくれるというのでその場にいきました。
しかし、リハビリの方がいないのに怪我でもしたら・・と思い話とやってみるふりだけを見て、母に凄いね~、出来たんだね~と喜びあいました。

それをみて。
私は、母は私が思っているほど弱くはないんじゃないか・・?と思いました。
周りを見渡せば、痴呆の方ばかり。話相手にお互いがなれるほどの状態の人がいなくても、母はじっと我慢して耐えて、自分の生活の場として生きている。

あの空気の中で、精神状態を維持しているのは、母が強いからだろうと感じました。
痛い・苦しい・辛い・寂しいと私にのしかかってくるのは本当に些細なことなのかもしれない・・・・

母のそばで、私は読書をし、母は付いているテレビを見。
なんでもないことを続けて、自分の家にいるように、私が遊びにきているような、そんな普通の何もしない時間を過ごしました。
これができるんだから、できるだけ母の傍にいなくちゃと思いました。

長門さんが『亡くなるのを待っている』と言ったその言葉が身にしみてなりません・・・

長門さん。お疲れ様。
そして私はまだまだ母との時間を過ごしますょ。