昨日の夕方。
背丈の低いシャガです。山椒の木の足元、ブロック塀寄りに咲いていました。
このつくりは一体どう考えたものなのでしょう。
蝶が、自分に似た羽を持つものがいるなぁと引き寄せるためでしょうか・・・
花粉を散らかし・受粉させ、子孫を残すため。
背が低いだけ賢く、美しく、したたかに生きているでしょう。
淡路方面の大きな地震。
河口湖の水位の低下。
今こうしている時にも、どこかの国からミサイルが打ち込まれるかもしれないという恐怖。
海の上の小さな島に、俺だ俺だ俺のものだと介入し、主張が平行線って、なんだ・・。
ダニによる死者。
(昨日の写真撮りで、なんとなく全身にかゆみがある・・この感じ)
ただの虫刺されで済まなくなっている環境。鳥インフルの脅威。
ちょっと高い展望台から下を見れば、蟻のようにうごめく社会。
あの窓にも、あの明かりにも、あの車にも、あの路地にも、人がいる。何かのために動いている。生きている。
ちっぽけな。
地球から見ればちっぽけな、私の命。人生。
目の前のことに必死で、泣き笑い、たかだか数十年の未来に希望と、不安を持ちつつも前向きに生きようと思う。
それでも、地球の営みから見たら、この眼下に広がる無数の命は、ただの細胞にしか過ぎない。
国境という線引きの囲いの中でのトップでさえ、ただの細胞。
地球に生きているのなら、日本にこうしているのなら、皆運命共同体。
小さい細胞でも、手を繋いで大きな組織を形成して、強い皮膚になるかもしれない。
神経の伝達が活発になるなら、壊死しはじめた身体に、新たな息吹が始まるかもしれない。
生きていこう。
空からは決して見えない私たちは、ちっぽけな存在だけど、私たちが生きているからこそ、地球も生きている。
花が草が、虫が鳥が、犬がトカゲが、魚が、ホッキョクグマが、渡り鳥が海をかつおが、その他大勢の生き物が生きているから地球は生きていられる。
小さな命が輝けば、地球も輝く。
生きているだけで存在価値があるのだから。。。