目が不自由な人の癒やし①(ヨハネの福音書9章)
さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人...
目が不自由な人の癒やし②(ヨハネの福音書9章)
人々は、前に目の見えなかったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。(13~14) ...
今日の歌(2024.10.07)
ひこばえの穂の整然を惜しみけり ウオーキング見渡す限りただひとりひづちの緑飽かず眺めつ
目が不自由な人の癒やし③(ヨハネの福音書9章)
神がモーセに語られたということを私たちは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らない。」(29) ...
わたしは門です①(ヨハネの福音書10章)
「まことに、まことに、あなたがたに言います。羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です。しかし、門から入るのは羊たちの牧者です。(...
今日の歌(2024.10.12)
弧をなせしひづちの垂穂惜しまずや たおやかに暑さと寒さ行き来するコスモス挟み隣人を得ぬ
わたしは門です②(ヨハネの福音書10章)
わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。(11) 良い牧者であるイエス...
わたしは門です③(ヨハネの福音書10章)
だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から...
永遠のいのち
永遠のいのちはイエスを信じた者が、十字架のあがないによりすべての罪をきよめられて神の子とされ、肉体の死を経て、あるいは携挙により、神に召されて新天新地で生きるいのちである...
わたしは門です④(ヨハネの福音書10章)
わたしと父とは一つです。ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、再び石を取り上げた。(30~31) ...