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腸内細菌は「睡眠の質」にも影響する:眠りを“調節”する治療にもつながる研究結果

2024年12月27日 03時03分19秒 | 医療のこと

腸内細菌は「睡眠の質」にも影響する:眠りを“調節”する治療にもつながる研究結果

 わたしたちの腸内にすむ無数の微生物は、高度に調節されたエコシステムを築いている。


10・19・2020

 生物の振る舞いは遺伝子の産物であるという概念にはほぼ疑う余地がなくなってきているが、これらの腸内の微生物叢(マイクロバイオーム)もまた、わたしたちの心身状態を大きく左右している証拠も明るみになってきた。

 これまでの研究では、ヒトの免疫システムや代謝、体内時計(概日リズム)などの調整に、腸内で共生している小さな微生物が関与していることが明らかになっている。

 米国のミズーリ大学医学部の研究チームは、このほど世界中で10億人以上の人々が経験している慢性的な「閉塞性睡眠時無呼吸症候群」にも腸内細菌が関与している証拠を、ジャーナル誌「Experimental Neurology」で公表した。
 眠っている間に呼吸が10秒以上も止まるこの病気は、腸内マイクロバイオームの環境を変化させ、糖尿病、高血圧、認知機能障害などの合併症を引き起こす可能性が、マウスを使った実験によって確認されたのだ。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

WIRED.jp 10/20(火) 8:11>2021

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ペストの大流行を生き延びた人は免疫系に変化があった…その結果、自己免疫疾患の発生リスクが高まる

2024年12月27日 00時03分26秒 | 医学と生物学の研究のこと
ペストの大流行を生き延びた人は免疫系に変化があった…その結果、自己免疫疾患の発生リスクが高まる



ペストの大流行を生き延びた人は免疫系に変化があった…その結果、自己免疫疾患の発生リスクが高まる





ペスト医師

10/31(月) 20:00配信
5コメント5件

1348年と1349年にロンドン東部で集団埋葬された、ペストによる死者の遺骨。

670年前にヨーロッパを襲ったペストが現代の人類にも害を及ぼしている可能性をある研究結果が指摘している。 

  【全画像をみる】ペストの大流行を生き延びた人は免疫系に変化があった…その結果、自己免疫疾患の発生リスクが高まる 人類がペストを乗り切るのを助けた遺伝子の突然変異が、慢性疾患のリスクを高めたのだという。 

この研究は、疫病は大流行が終息した後も人類の健康を左右する可能性があることを示唆している。 約670年前にヨーロッパを襲った悪名高きペスト(黒死病)が、現代の人間の健康にも影響を与えていると先駆的な研究が明らかにした。 

この研究は2022年10月19日、査読付き科学誌『ネイチャー(Nature)』で発表され、1300年代半ばのペストの大流行を生き延びた人々は何らかの突然変異を持つ可能性が高いということを明らかにした。 だが、この突然変異には否定的側面があると研究は述べている。例えば、クローン病や関節リウマチといった慢性疾患のリスク増加だ。 

これはペストを生き延びた人々が代価を払った、つまり、自分自身に対して反応しやすい免疫系を持つようになったということを示唆する」とシカゴ大学の遺伝医学教授で研究の著者、ルイス・バレイロ(Luis Barreiro)はCNNへのメールで述べている。

数百年の時を経て我々を悩ませる代償


「非常に素晴らしい研究だ」と、ロンドンにあるフランシス・クリック・インスティテュート(Francis Crick Institute)の疾患遺伝子メカニズム研究室を率いるジェームズ・リー(James Lee)はInsiderに語った。リーはこの研究には関与していない。 

「DNAのさまざまな領域が、この種の疾患の一因になるということは分かっていた。

 科学者は以前から、疫病の大流行が人間の遺伝子構造を形成するのではないかと疑っているが、それを証明するのは非常に難しい。 ペストは人類史上最も多くの死者を出している疾患で、調査対象としては完璧だとリーは述べた。

 1346年から1350年のわずか5年の間に、ペスト菌によるパンデミックである黒死病は数千万人から数億人の命を奪った。その多くはまだ、子どもを持つこともできない年齢だった。 

イギリスとデンマークの集団墓地に埋葬された206の遺骨の遺伝子情報をペスト大流行の前、最中、後で調べると、遺伝的変異と呼ばれる4つの変異が測定された。そしてその変異は人間の生存を助けたが、一方では妨げたことがわかった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/06e06d93fe82d87cc00af79faaf129e2fd392170
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お金がなくても楽しそうな人の秘密…和田秀樹「60歳でメンタルがヨボヨボになる人、幸せになる人の違い」

2024年12月26日 23時05分06秒 | 医療のこと



お金がなくても楽しそうな人の秘密…和田秀樹「60歳でメンタルがヨボヨボになる人、幸せになる人の違い」 




心身ともに健やかな老後を迎えるには何が必要か。精神科医の和田秀樹さんは「60代以降、うつ病のリスクが上がる。あらゆる面で個人差が広がる年代に入ることが大きな要因だ。楽しい老後を迎えられる人には共通点がある」という――。


※本稿は、和田秀樹『脳と心が一瞬で整うシンプル習慣 60歳から頭はどんどんよくなる!』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。


嫌なこと、苦手な人とは堂々と距離を置いて脳を老化させない
「嫌なことを我慢しない」ということは、賢くなるうえで非常に重要です。


意欲や感情、創造性を司る脳の部位、「前頭葉」は、快の体験を喜びます。反対に言えば、我慢や過度なストレスを感じるような環境は脳にとっては好ましくなく、老化を促すことにつながるのです。


忍耐を美徳とする日本では、昔から、自己主張を控えて人と調和することを尊んできました。しかし、「みんなに合わせなければ悪いから」と、同調圧力に屈して自分を抑えつけてしまうのは、メンタルの面からも、賢くなるという面からも、害にしかなり得ません。


苦手だと感じる人、会ったあと気持ちがもやもやとする人とは、思い切って距離を置きましょう。人との交流は大切ですが、会ってストレスを感じる人と無理に付き合う必要などまったくありません。心に嫌な負担がかかるということは、脳にも嫌な負担がかかるということです。



ぜひ、嫌われる勇気を持ってください。自己主張して疎まれるコミュニティであれば、ためらわずに抜けてよいのです。代わりに、あなたが自分らしくいられるような相手との関係性を深めましょう。


シニア世代の方こそ、自由に人生を謳歌すべきであり、自分が辛いことからは離れるのが鉄則です。長年頑張って生きてきて、やっと手に入れた自由な環境です。ここまできて自分に苦難を強いることに、一体何の意味があるのでしょうか。


自分が自分らしく生きることが何より大切なことなのであり、それが脳と心のアンチエイジングを叶えます。


他人の発言や態度に一喜一憂するのは、他人に操られているのと同じ
人からの傷つく言葉や態度を気にすることも、楽しく、賢く生きるためには御法度です。


たとえば誰かから、悪意のある言葉をかけられたり、心ない態度をとられたりしたとします。そんな時には、大人な態度でさっと受け流す、ということを意識してみてください。相手と同じ土俵に立ってやり返さなくてよいのです。こんなときこそ冷静に、感情をコントロールするのが頭のよいシニアです。


負の感情をぶつけてくるような人は、はっきり言って幼稚ですし、話にならない相手です。そんな人とは、まともに取り合わないのが一番です。


そして、もしその人の言動によって心が乱されたのなら、「私は私、大丈夫!」とつぶやいてください。それから、散歩をしたり、好きな映画を観たり、美味しいものを食べたりと、自分がご機嫌になれることをして心を満たすのです。


誰かの心ない言動によって感情が揺さぶられることだって、人間ですからもちろんあるでしょう。それは正当な感情ですから、否定しなくてよいのです。大切なのは、その気持ちを引きずらないこと、そして上手に気持ちを転換させることです。無神経な相手に対する不快感を持続させるのは、あなたの大切な感情の無駄遣いです。


とるに足らない人に心を乱されたままでいるなんて、実はとても無駄なこと。相手の一挙一動に振り回され、嫌な感情を膨らませるなんて、まるでその人の操り人形にでもなってしまったかのようです。


そんな状況は、賢いあなたが受け入れるべきものではありませんよね?



自分の人生の主役は自分です。ですから配慮のない人の言動からは軽やかに身をかわし、自分を幸せにすることに注力してください。


日本人は昔から「誰とでも仲よく」「みんなに優しく」という精神を重んじますが、人と人には相性というものがある以上、どうしたって自分と合わない人はいます。


ですから、合わない人は合わないのだと割り切る勇気が必要です。嫌われることを恐れないでください。


そして我慢がならなくなったら、その人と距離を置いたり、そのコミュニティから離れたりしてよいのです。この国ではぐっと我慢することが美徳とされますが、嫌な環境に身を置いて心身に支障をきたすのは、まったくもって健全ではありません。


基本的には、他人を変えることはできません。ですから自分で工夫して、自分の過ごしやすい状況をつくっていくのです。


誰かと比べるのは無意味。知性ある人の合言葉は「自分は自分」
私は、人と自分を比較するという行為は、賢く生きるということとは対極にあるものだと思っています。


60代以降、うつ病のリスクは上がります。その大きな要因は、あらゆる面で個人の差が広がる年代に入ってくるからでしょう。


自分は定年退職したが、あの人はまだ社会で活躍している。
自分は家族を失くしたが、あの人の家族は元気だ。


自分は体の調子がずっと悪いが、あの人はいつ会っても元気だ。


そんなふうに、さまざまな要素で違いが生じやすいがゆえに、「あの人に比べて自分は恵まれていない」と、差を痛感したときに落ち込んでしまうのです。


こういった感情には致し方ない部分もあると思います。けれど、老年期に差し掛かった今こそ、ぜひ「私は私」を合言葉にしてみてください。幸せは、外野や人の状況によって左右されるものではありません。あなた自身の尺度で決めるものです。


物事を優劣や勝ち負けの中でとらえようとすると、人生はとても生きづらく、後ろ向きなものになってしまいます。上には上がいますし、価値観もさまざまです。何かを比べ出したらキリがなく、劣等感にも頻繁に苛まれることになるでしょう。


そして、「下を見て安心しようとする」こともまた、自分の進化を妨げてしまうことにつながります。どん底に落ちたとき、自分より状況が悪い人を見て満足したくなるのは、わからないことではありませんが、生産的とは言えません。


学生のケースを例にすると、最終的に望んだ成果を手にするような生徒は、たとえ成績が下降してきたときも、諦めないで上を目指し続けます。けれど、「自分より成績の悪い人がいるからまだ大丈夫」と安心しているような生徒は、さらに成績が下がっていってしまうのです。


恥ずかしながら、私もかつては勝ち負け思考の強い人間でした。子どもの頃から「常に人より賢くありたい」と考えるタイプだったのです。


たとえば学生時代、自分が成績上位になってからは気分よく過ごしたのですが、勉強が嫌になって成績が悪かった頃は、いつも不機嫌で、クラスメイトのちょっとしたいたずらにも腹を立てたりしていたものです。


けれど、さまざまな経験を重ねたり、たくさんの高齢の方々を診療したりするなかで、人生観が変わっていきました。


社会的に成功を収めていても、いつも不満そうにしているシニアがいる一方で、金銭的にそこまで余裕がなかったとしても、楽しそうに日々を送っているシニアもいます。そういった様子を目にするうちに、「人生を勝ち負けでとらえることに、あまり意味はないんだな」と思うようになったのです。


そういった考え方の変化があったからなのか、最近では周囲から「和田さんは、なんだか昔より表情が明るくなりましたね」などと言われるようになりました。


私たちは人に勝つためではなく、幸せになるために生きています。だからこそ、誰かと幸せのレベルを比べっこするのは、「無意味」以外の何物でもありません。


人に負けない方法や人の優位に立つ方法を探し求めるのではなく、自分がどうやったらハッピーでいられるか、その方法を模索するほうが、はるかに賢明ですし、上機嫌な人生を叶えてくれると思います。


---------- 和田 秀樹(わだ・ひでき) 精神科医 1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)など著書多数。 ----------








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海浜幕張駅前の夜景ですね

2024年12月26日 22時03分20秒 | 日々の出来事
何の変哲もないJR駅ですが、
美しい夜景ですね❗





11/30/2022
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事件取材にあけくれた64歳の"セカンドライフ"は保育士か、幼稚園教諭か>地下鉄サリン、警察庁長官銃撃…

2024年12月26日 21時03分45秒 | 事件と事故

地下鉄サリン、警察庁長官銃撃…事件取材にあけくれた64歳の"セカンドライフ"は保育士か、幼稚園教諭か | TRILL【トリル】 






2024.12.26
“事件取材の鬼”と呼ばれてきた緒方健二さんは、62歳で新聞社を退職し、北九州市にある短大の保育学科で保育士資格と幼稚園教諭免許を取得した。今後については「模索中」だという緒方さんは、自身のセカンドライフをどのように描こうとしているのか。ライターの辻村洋子さんが話を聞いた――。


40年間の事件記者生活の後、短大で保育士資格と幼稚園教諭免許を取得した緒方健二さん




生活すべてを事件取材に捧げていた
2024年の春、65歳で短大の保育学科を卒業した緒方健二さん。入学するまでは朝日新聞社の社会部記者として、生活のほぼすべてを事件取材に捧げていた。子どもが被害者となる誘拐・虐待・無理心中、殺人、政治家や公務員の贈収賄、過激派テロ、暴力団抗争など、報じた事件は枚挙にいとまがない。


そんな“事件取材の鬼”が、退職後は短大生に転身し、保育士資格と幼稚園教諭免許を取得。記者のときから抱き続けてきた「子どもを守りたい」という思いを実現すべく、第二の人生を歩み始めている。


卒業後は、朝日カルチャーセンターで事件・犯罪講座の講師を務めながら、児童虐待事件の加害者などへの取材を継続。記事の執筆や講演活動と並行して、記者時代や短大時代のエピソードを綴った本『事件記者、保育士になる』も上梓した。


その一節を自ら朗読したYouTube動画は、ありのまますぎる姿と「巻き舌」が受けてSNSで話題になっている。




「当初は保育所や幼稚園の先生になることも考えていましたが、今は子どもの最善の利益のために何をすべきか、その手段を模索しているところでございましてね」


ドスのきいた声でそう話す緒方さん。模索している手段の中には、自分が理想とする施設や園をつくることも入っている。実際、そうした施設の運営者からオファーを受けたこともある。


一緒に卒業した同級生たちからも、「園を作ってほしい」「緒方さんが園長をするなら絶対働きに行く」といった声が上がっているという。ただ、その実現には膨大な準備と資金が必要になる。


「宝くじにもすがりたく存じます。でも、もうここ40年以上買い続けていますけど、当たった額は最高で1万円ですよ」


冗談めかして語った後、ではいかにして子どもを守っていくかという話になると一気に眼光が鋭くなった。


保育学科で専門知識を身に付けたことで、思いの実現には一歩近づいた。それでも心境に変化はなく、現状に満足するつもりも毛頭ない。卒業後は、かえって今の社会に対する危機感が強まった。


子どもの虐待事件は年々増え続けているのに、その子たちを守るはずの機関や制度はいまだ十分に整備されないまま。緒方さんは「現場の実態を知れば知るほど怒りが込み上げてくる」と語る。


収入の当てはなかった
記者時代、大事件が起きた際には、自分たち記者がここで真相を追求しないと読者の求めに応えられないと必死で働いた。まったく家に帰らない、ほとんど睡眠がとれない、そんな状況が半年ほど続いたこともあった。


「それでも記者なら、自分のことなど顧みずそうすべきだというのが私の意見です。それが務めですから。保育所や幼稚園、福祉施設などで子どもと関わるお仕事に就いていられる方々にも、同じ志を持っていていただきたいと切に願っています」


62歳で「このまま記者を続けていても子どもの被害防止に役立つことはできない」と退職したとき、収入の当てはまったくなかった。生活費以外の収入はほとんど取材に注ぎ込んでいたため、蓄財もほとんどなかった。


雇用保険を受けるために行ったハローワークで、職員から「あなたの年齢だと紹介できる仕事は非常に限られる」と聞かされたこともある。


「決断」というほどのことではない
そのうちに講師や執筆などの依頼が舞い込むようになったものの、金銭的に余裕があるとは言えない中で短大に入学するというのは、勇気のいる決断だったに違いない。60代で退職した後、まったく畑違いの分野に、極端に違う環境に、緒方さんのように飛び込める人は決して多くはないだろう。


そう伝えると、「いやいやとんでもない」と首を振った。


「たまさか、子どもを守るためにこんなおのれに何ができるのかと考えた末に短大に入る道を選んだだけで、決断というほどのことじゃないんですよ。子どもを守るということを記者生活では十分に成し得なかったから、その知識を身につけたいと思っただけで、全然大した話ではないんです」


自分は何も成し得ていない。色んな記事を書いてきたけれど、そんなものは屁の突っ張りにもならない。昔も今もろくでなしのハンパ者だと、謙遜でも何でもなく心底そう思っている。真剣な眼差しでそう語ってくれた。






時間のやりくりは今の方が大変
記者として十分すぎるほどのキャリアを築いた後の、第二の人生。しかし、本人は今の状況を「別にセカンドライフだとは思っていない」という。


新聞社を退職後、時間のやりくりはむしろ大変になった。記者時代は警視庁の記者クラブに詰めていたため、会社にはあまり行ったことがなかった。いつどこへ行こうとほぼ自由だったし、いつどこへ行こうとほぼ自由だった。


だが、短大では毎日決められた時間に決められた場所へ行かなければならない。最初は大変だったそうだが、入学時に心に決めた無遅刻無欠席は何とか達成できた。


卒業後の今も「スケジュール管理には苦労しています」と苦笑いする。特異な経歴のおかげで、メディアから取材を受ける機会も、本や雑誌に記事を書く機会も増えた。その取材日や締め切り日を間違えてはいけない、遅れてはいけないと思うたびに緊張が走る。


緒方健二さんが今も持ち歩く黄色いオーガンジー。手の中で膨らませる「ひよこさん遊び」や「いないいないばあ」で子どもを笑顔にできる

緒方健二さんが今も持ち歩く黄色いオーガンジー。手の中で膨らませる「ひよこさん遊び」や「いないいないばあ」で子どもを笑顔にできる

はないちもんめでは「緒方さんがほしい!」
退職後、確かに環境や生活リズムは変わった。一般的にはそれをセカンドライフと呼ぶのかもしれないが、緒方さんは「自分自身の心境には何の変化もない」と語る。



緒方健二『事件記者、保育士になる』(CCCメディアハウス)
軸になっているのは今も、子どもを守りたいという強い思いと、どんな相手とも理解し合える関係性をつくろうとする姿勢だ。


保育学科という、年齢も育ってきた環境もまったく異なる人たちの集団に飛び込んだとき、まず心がけたのは「互いに理解し合える関係になろう」ということだった。その姿勢はやがて相手にも伝播し、同級生たちとの仲は日に日に深まった。


たとえば、幼児体育の授業で「はないちもんめ」に取り組んだときのこと。2チームに分かれて、歌を歌いながら仲間にほしい人を取り合う遊びだが、誰も自分をほしがらないだろうと思っていたら、相手チームの女子学生たちが声を揃えて「緒方さんがほしい!」と言ってくれた。


人気アイドルグループ「SixTONES」のことを「しっくす とーんず」と読んだときは、同グループを推す女子学生から「ストーンズって読むんですよ」と笑顔で、かつキッチリと指摘された。


学生からプライベートな相談ごとを持ちかけられたこともあれば、将来は一緒に仕事をしたいと言ってもらえたこともある。


こうしたエピソードから伺えるのは、構えることなくやりとりできる気安い関係性だ。同級生たちが心を開いてくれたのは、この人は一生懸命自分たちを理解しようとしてくれていると感じたからこそだろう。


新聞記者時代も今も変わらない
「先入観にとらわれず、精一杯の配慮と支援を心がけて、自分は何者でもないんだという姿勢で関係を築こうと努める。そうすれば理解し合えるんだなと実感しました。結局、社会って、さまざまなことが異なる人と人がいろんな関係を紡ぎ上げることでつくられるものなんだなとも思いましたね」


その点は、記者でもセカンドライフに入った人でも同じだろうという。記者には、取材相手が誰であれ、その生い立ちや考え方への理解を深め、心を開いて話してもらえるよう働きかける姿勢が欠かせない。セカンドライフに入った人も、新たな環境で周囲との関係をいかに築き深めるかが肝要なのではないか――。


「偉そうなことを言いましたが、やっぱりそこが大事かなと思います。現に私のような野良犬がですね、保育学科で45歳も年下の同級生の皆さんに助けてもらえるようになって、無事に卒業できたわけですから」


原動力は「怒り」
現在気になっているテーマは、親子の無理心中や内密出産、発達障害と診断された子への保育・教育、保育士や教員による性加害。子どもを取り巻く法や支援のあり方とともに、子育て世代に対する福祉の不十分さについても取材・発信していくつもりだという。


原動力は怒りだ。


1995年ごろには、学校で授業についていけず、教師や親から無視されて犯罪に関わるようになった「非行少年」たちを取材した。犯罪に関わって矯正施設から戻っても、行くところがない。居場所を求め、暴力団員に提供されたアパートに集うようになった子どもたちも少なくなかった。


同じころ、難病で学校に通えない14歳の子どもについても記事にした。この子は週に数回、「訪問教育」という制度で自宅に来る教員とのふれあいを楽しみにしていたが、当時の制度では高校生の年齢になると、訪問教育を受けられなくなる。制度にこだわり延長を渋る役所をしつこく取材。その後、訪問期間の延長が認められた。


本来なら国が率先して子どもや親を守るべきなのに、そのための制度や仕組みはいまだに穴だらけで、予算も人手も十分に確保できていない。さまざまな不備を厳しく指摘した後、「本当に許せないし、腹が立っています」と語気を強めた。


志を持って自分の道を歩み続ける緒方さん。悠々自適の生活に興味はない。知識も経験も人脈も、記者時代と短大時代を通して培ったすべてを注ぎ込んで、子どもを守りたいという思いの実現を目指していく。




インタビューに答える緒方健二さん。子どもを取り巻く環境について語り始めると、手に力が入る

辻村 洋子(つじむら・ようこ)
フリーランスライター
岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。






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