161106 森林経営とは 各国の森林経営制度と土地倫理
今日は日曜日、朝から4時間余密集した竹林の伐採をこれでもかとやりました。それでようやくわずかに竹木間を見通せるようになりました。長さ100mくらいの竹林のまだほんのわずかですが、それでも何かやりとげた感がわくというのは自己満足以外のなにものでもないですが。
元々ここは斜面地で、スギ・ヒノキの植林をしていたところ。それが管理されなくなって(職人さんに依頼していたのが高齢化などで担い手がなくなったようです)、いつの間にか隣家の竹が侵入して、スギ・ヒノキを枯らしてしまい、竹林化、というか密林状態となったので価値が極めす。竹は、淡竹と真竹です。別のところでは孟宗竹が占領しつつあります。竹は本来、利用用途が多様かつ豊かで、日本人の器用さもあって、多様かつ巧妙に活用されてきたのですが、今はそのような高度な技能の伝承があまり残っていないように思います。
そういう私自身、竹を切って焼くだけではもったいないと、竹垣づくり、竹酢や竹炭づくりなど、いろいろ考えたり、試みてみましたが、簡単でないことと、仕事の合間にやる程度ではなかなか上達しません。昔の人はとても魂の入ったいい仕事をしていたなと感心するばかりです。
ところで、今日のテーマ、ここ数年にわたって頭の片隅でいつも気になっているのですが、どうも参考になる文献自体、あまりないように思うのです。そのようなテーマの論文は数十年前にはそれなりにありましたが、最近はほとんど書かれていないのか、見つけることができません。
なお、林野庁がすすめる森林経営計画に関する書物は、補助金事業ですので、それに関する書籍はありますが、森林の経営という、経営学的な考察とは異なります。わが国も戦前はもちろん、戦後もしばらく林業大国でした。そこには林業経営、場合によっては森林経営といったものも盛んに議論されたのだと思います。
わが国では、林業経営も森林経営も、資本主義社会の論理の中で育ってこなかったのではないかと思ったりしています。
そんな中、『森林経営をめぐる組織イノベーションー諸外国の動きと日本―』という研究書が昨年出版され、最近手に取り読み始めたところです。わが国の新たな試み「森林・林業再生プラン」を念頭に置きながら、各国の類似制度について比較分析を行っています。
ドイツ、オーストリア、スイス、スロバキアといった西欧中央部の国々、フィンランド、スウェーデンといった北欧、さらにはアメリカ南部やニュージーランドと、森林規模の小さなところ、大きなところ、所有形態や担い手も企業、個人、共有、国や公有に加えて森林組合など、いろいろな組み合わせを検討している点は評価できます。
まだ十分読み切れていないのですが、実践的な経営という観点からすると、物足りない印象をぬぐえません。あまりに多くの国を取り扱ったためか、具体の事業体について、どのような森林を対象として、伐採・搬出などの作業について、どのような高性能林業機械を活用しているかとか、作業管理がどのように行われているかとか、さらに個別事業の損益分析がどのようになっているかとか、私が知りたいことはほとんど触れていませんでした。(なお、これまでに森林経営的なアプローチというわけではないですが、これらの国々のどれかを経験した人が具体的に考察した書籍はとても印象的なもので、他山の石となるものが少なくありません)。
生態系の保全と持続的な林業経営といった観点からも、具体の森林管理が明らかにされていないのです。それぞれの保護区制度の紹介やその設置の規模は紹介されたりしていますが、どのような状態となっているのか、その経済的な措置はどのように確保されているのかなど、基本的なことが取り上げられていないのです。
とはいえ、このような各国の森林経営の比較ができることは、あまり多く例がないので、参考になることは確かで、その努力に評価を惜しむわけにはいきません。たとえば森林組合について、その構成員である山林所有者に「森林管理賦課金」を徴収し、かつ、所有者へのサービス料収入だけで経営を維持する制度をとるフィンランド(「森林管理組合」と呼称)なども、現在は賦課金制を廃止したようですが、興味深いものです。
で、せっかく、森林経営とはと題したのですが、中身がなく(いつか上記書籍を整理して報告できればとは思います)、何か心残りがあります。ここでは合衆国森林局森林官を長く勤め、その後アメリカ生態学会協会会長などとなり、今日のアメリカ自然保護運動の創始者の一人といってもよい、アルド・レオポルドの言葉を取り上げようかと思います。彼は「土地倫理」を提唱し、個人は共同体の一員だが、その共同体には、土壌、水、植物、動物、これらを総称した<土地>を含むとし、これら仲間の構成員に対する尊敬の念のもち、人としての役割を担うことを求めてきました。そして土地利用のあり方について経済的な問題としてとらえる考え方を捨てることと言明します(アルド著『野生のうたが聞こえる』より)。
野生のうたが聞こえる』より)。
私が考える「森林経営」も、そのような価値観を大事にしつつ、捉えればと思っています。