たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

所有者責任について 新森林ゾーニングとこれから

2016-11-24 | 農林業のあり方

161124 所有者責任について 新森林ゾーニングとこれから

 

今日は朝から和歌山まで出かけ、夕方前に帰ってきました。紀ノ川南岸に沿って和歌山市まで通じている道路を行きます。以前は和歌山バイパスまで川沿いを走っていましたが、その後次々と川沿いから離れたところに直線的なバイパスができ、この頃途中から紀ノ川が見えない道路を走っています。

 

昨日歩いた才蔵ウォーク、小田井の笠田付近を見ると、相当な高台に潅漑用水が作られたことを改めて感じさせてくれます。あの高台付近まで紀ノ川が流れていたのが、どうして現在の位置まで沈んでいったのかといった疑問は、昨日Yさんが答えてくれていたのを思い出しました。フィリピンプレートが沈み込んで一旦押し上げていたのが、当時の東南海大地震などで沈下したといったプレート移動の一旦だとうかがった記憶です。もう一つは、上流からの流量が多かったことから、河に堆積していた土砂が加工まで押し流されていったといった話も合ったかと思います。このあたりは、いずれ地質学者からうかがってみたい内容です。

 

ところで、今朝の毎日は、管理されていないマンション、空き室だらけとか、ゴミの山となった管理されないマンションの問題が大きく取り上げられていました。本年4月から管理組合による適正な管理を強化する施策が打ち出されましたが、管理組合のないマンションもかなりの割合で残っています。そういえば、戸建て建物の空き家問題も頻繁に取り上げられてきました。ゴミ屋敷とか、崩落の危険、あるいは周囲の景観への悪影響など、問題は多様化しています。

 

このような住宅問題は、長年にわたって指摘されてきたことですが、あまり大きな改善がないように思います。私見としては、その原因の一つとして、中古販売市場の確立がおろそかにされているように感じています。広告をみても、ほとんどが新築マンション、分譲住宅で埋め尽くされているように思います。税制を含め法的支援措置も新築にこだわった法制になっているように思います。

 

なお、国交省は、本年度の住宅基本計画等で、既存住宅・リフォーム市場の活性化に向けた取組みをいろいろと掲げていますので、参考にしてよいかと思います。ただ、新築販売偏重の基本構造を変えるといった考えは見受けられませんし、それらの施策について実効性あるものがどこまであるかとなると、少し悲観的になります。

http://www.mlit.go.jp/policy/tyukozyutaku.html 

 

北米の住宅を見ると、中古市場が確立しているように感じます。多くの人がいい住宅へのステップアップを考え、現在の住宅から次の住宅に移るということをあまりためらいがないように思います。というか積極的な意思を感じます。表札が番号表示で、名前を掲示する例がほとんどないというのも、単にプライバシー保護の面だけではないように思います。また、これからが所有者意識というか、責任ということと関わる点ですが、私の知り合いなどの住宅の管理を見ると、ほんとにきれいにしています。多くが自宅に友人・知人、その家族を招くということが普通で、外で食事や宴会することより、そういうスタイルを選んでいることも関係するかもしれません。

 

ゾーニングも、極めて詳細で個別的ですが、それはその土地の価値が決まることとも関係します。それぞれの都市、町に特有のゾーニングがあり(わが国のように全国統一基準とは異なる)、中には300以上の区分けされたゾーニングになって、同じゾーニング内は敷地規模も建物規模もほぼ同じです。相互にその価値を維持することに努めているように思います。ゾーニング条例では草刈なども義務づけることが少なくないように思います。

 

あちこちと話しが飛びますが、もう一つ、土地利用の面では、農地、林地の放置も問題となっています。所有者が利用・管理を放棄している、あるいはそのありかも知らないといった状態も少なくありません。

 

農地については、農地改革で、耕作する農家にただ同然で譲渡されたのですが、それは農地法で耕作することが前提で農地利用、農産物の生産が予定されていたのです。ところが、いつの間にか、自分の農地がどこにあるか知らない所有者もでてきたり、遠くにいて管理できない所有者もでてくるなど、農地法は形骸化しています。平成20年の「大改革」で所有者に一定の責任を認める方向で舵取りしましたが、時遅く、容易に改善の方向が見られないと思われます。

 

では林地はどうかというと、もっとすごい状態かもしれません。森林の荒廃は、80年代後半にはすでに指摘され、長く識者から警告が発せられ、林野庁もいろいろ画策して、森林政策を改正してきましたが、西欧諸国との差は歴然となっています。林業の経済的確立に向かう政策を怠ったともいえるでしょうし、むしろ所有者である山主自体が、その担い手として意識をもたないまま今日に至っているといえるかもしれません。

 

わが国の林地は、とくに西日本では農地所有者でもあり、農業をしながら林業を行ってきた長い歴史があると思います。そして農地の零細錯圃と同じように、入会林野が解体したとき、あるいはそれ以前から、山林は複雑に地元の農地所有者が小規模に入り交じる形で所有してきたように思います。専門家としての林業家が育ちにくい環境であったかもしれません。

 

さて、昨日の毎日は、和歌山県が新しい森林ゾーニングを発表して、費用対効果をメリハリのきくようにやっていくとのことのようです。その趣旨は、従前からのゾーニングをさらに徹底して、施業の生産性が高いものに絞り、施業範囲を制限したという意味で、一定の評価が与えられるものだと思われます。

http://mainichi.jp/articles/20161123/ddl/k30/010/397000c  

 

ただ、気になるのは、その経済林とそのうち、重点エリアとされたゾーニングで、どこまで所有者・その土地範囲が確定しているのか、懸念される点です。県が公開している県地理情報システム(http://www2.wagmap.jp/wakayamaken/Portal) は、わかりやすく、大きな第一歩ですが、まだまだ実践的に活用できるものになるには時間がかかりそうです。所有者が、自分の山がどこにあって、通常はあちこちに別れているのを、筆毎に境界が理解でき、そこにどういう樹種・林齢であるかといったことが分かるものとなっていません。ある意味、管理されていないマンションの状況が具体的ななにが問題かわかっていないのと、さほど大きな違いがない状況です。

 

あらためて憲法29条を眺めてみましょう。1項で、「財産権は、これを侵してはならない。」とし、2項で「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。」とあります。この解釈はいろいろあると思います。

 

ただ、私は、これまで私たちが所有権をあまりに自由勝手に使いすぎてこなかったかと危惧しています。所有者としての責任というものをしっかり考える時期に来ているように思うのです。それは所有権の対象である財産の内容によって異なってくるでしょう。ただ、土地は万物の母であり、基礎です。宅地、農地、林地と、人は、そして政府は、戦後の困窮の中で経済成長を至上命題として強引な線引きをして、都合のいい使い方をしてきました。そろそろ担い手として適切かどうか、適切な利用、ラムサール条約で取り上げられたワイズユースの考え方は、あらゆる土地②、そして所有者・管理者に警笛を鳴らしているように思うのです。