161125 居心地の良さとは 訪れたい町、住みたい町
今朝は結構冷え込んできました。といってもまだ当地では凍結するようなところは少ないでしょう。カナダで住んでいた頃、この時期マイナス10℃から20℃、ときに30℃と、厳しい寒さを痛切に感じていました。それは京都の寒さでは感じられない厳しさです。そんな中に生きる人の中には、寒さを楽しむ、あるいは耐える身体をいつの間にか身につける人もいます。たしかマイナス20℃前後が続いた後、マイナス5℃になったとき、若者の中には半袖姿で歩く姿が見られ、皮下脂肪が厚いのか、イヌイットのように強靱な身体ができあがったのかと驚いたものです。で、私はなんどか胸を突き刺すような冷風を経験する中で、かえって心肺機能が劣化したように感じています。いまでは厚着を励行して、予防対策に気を遣っています。
と前置きが長くなりましたが、そのような厳格な寒さが襲う、カナダの町にも多くの喜び、居心地の良さを感じていました。たとえばカルガリーでは、ハブである都心は見事な統合的な様相で高層ビルの林立と、多様なエンターテインメントの施設が整然と建ち並び、町を貫流するロッキー山脈を源にするボー川はゆったりした流れで川筋の風景を和らげてくれます。川沿いには瀟洒な住宅が緑豊かな佇まいで、遊歩道散策を楽しませてくれます。都心はボー川流域の低地に立地していますが、そばには大きな崖があり、その上に分譲地が広がっています。そしてその崖地は自然の状態で保全され、都心までの低地は、日比谷公園ほど整備されたものではないですが、広々とした自然が豊かです。
多くの住民は郊外の大規模分譲地に住み、LRT(Light Rail Transit)を利用して、都心に通っています。そしてかなりの人がLRTの駅まで車で通い、そこで駐車し、LRTを利用するのです。いわゆるパークアンドライドです。で、わが国で富山市などが採用しているのと本質的に違うのは、そのシステムです。単なる昔の路面電車の復活とはまったく異なります。むろんハード面ではバリアフリー化が行われ、車イス利用にも対応しています。なによりソフト面です。あの改札がないのです。駅員も普通見かけません。スムーズな乗り降りが可能になります。では運賃はというと、自らパスなどを購入し、携帯しておいて、滅多にないですが、車両に乗った車掌がチェックするわけです。そのときもっていないと、記憶ですが料金の3倍とか多額の制裁金的なものが求められます。この感覚は図書館システムでも使われているように思います。しかも、都心の一定区間は、無料です。
このような交通システムは、たしかカルガリーがオリンピック誘致した88年だったのではないかと思います。わが国はそれから30年近く経っても、交通システムの再構築が行われていないと思わざるを得ないのです。東京五輪もそのような施策はなさそうですね。富山方式はほんの糸口ですが、それでも数々の難題があったとうかがっています。道通しでしょうか。
で、ようやく本題に入れそうな気分になれました。どうもわが国の町を訪れ、あるいは住んでも、なにか居心地のよさを感じない一面を感じるのは私だけではないように思うのです。それぞれに住みたい町のイメージ、訪れたい町のイメージがあるでしょう。
たとえば町の玄関です。どこが玄関か、中心かが分からない町も少なくないように思います。それはそれで住む人が納得すればいいのかもしれません。ただ、駅をでたとき、その周囲を見渡して、歩いてみたいと思うような町は数少ないのですね。それはなぜでしょう。東京ではサラ金の看板や飲み屋の看板がこれでもかと林立していて、駅の周辺は落ち着かない雰囲気を醸し出していると思っていました。田舎にやってきたら、今度は学習塾の看板だらけ。サラ金広告よりはましですが、なんともその統一感のなさは、まるで19世紀ロンドンの無秩序な看板群のような印象をもってしまいます。まだ下水が上から落とされたりしないだけましかもしれませんが。
ロンドンにしても、ヨーロッパの古い町並みは、多くの小道が残されていて、そういうところをそぞろ歩くのもいい感じになります。私はテムズ川上流の小河川(あるいは運河)を上ってみたいと夢見ていましたが、もうあきらめています。そういった少し郊外に出るとほどよい空間が用意されています。そのような案内もあり、とくに通りに名前がついている(住宅にはないのに!)ことに感心します。
田舎の町には古い歴史があります。その通りは大和街道や高野街道といった大きな道に限らず、脇に入った道こそ魅力が一杯です。そこに名前と歴史を刻むともっと豊かで居心地のよい空間、町になっていくのではないかと思っています。最近施設のネーミングの権利売買が盛んですが、公共空間としてはまず、通りではないでしょうか。通りが生きてくれば、そのファサード (façade)もそれなりに佇まいを整えてくるように思うのです。いまわが国の町は、大規模店舗の郊外立地などで、中心街がシャッター通り化したと言われて、数十年になります。それぞれ町の人、自治体が創意工夫をしないと、その勢いは止まらないでしょう。
私は、エドモントンにある当時世界最大のショッピングモールを訪ねたことがありますが、たしかにマイナス20℃や30℃の世界では、このような閉ざされた空間で、さまざまな楽しみと心地よさを味あうこともあってよいと思います。しかしわが国には、みごとな周囲の自然空間があり、とくに田舎は通りの向こうに緑豊かな山並みとか、ゆったりと流れる大河、小川があります。改めてこのような自然の豊かさをまちづくりに取り入れる景観計画をしっかり構築することの必要を感じるのは私だけではないように思うのです。
そして大事なのは、そういった外観的なものにとどまっては居心地の良さを真に味あうことができないように思うのです。
維新後10年目に誰も訪れなかった東北を一人訪ねた英国人婦人、イザベラ・バードが、自ら病身であるにもかかわらず、東北の村々にある貧困と困窮、不衛生な環境、次々と襲ってくる苦難に打ち勝てたのは、日本人の礼節と親切な対応であったのではないかと思うのです(最近新しい完訳が出版され翻訳者の意気込みを感じます・『完訳 日本奥地紀行1~4』イザベラ・バード (著),
東京五輪で、「おもてなし」を合い言葉にしています。維新の時代、それぞれの町が、人が異邦人を感激させたのは、その貧困にある日本人がほほえみかけてくれることだったように思います。もしかしたら幻だったかもしれませんが、いややはりそのようなほほえみこそ、異邦人を魅了し、大勢がやってきたのではないか、そして日本人自身、ほほえみをもって迎える居心地の良さを感じていたのではないかと、ユートピアのように感じるこの頃です。