161115 小池知事について(その2) 調査委員会の功罪
今朝は小糠雨模様。やはり年齢か日曜日やそれ以前からの打撲の痛みが作業に出かける足をすくませるようです。一度竹藪に入ると長袖・長ズボンでも様々な切り傷や、打撲は日常茶飯事。素人故、斜面での作業はとりわけ危険を感じます。でもそれがなにか生を感じることもあるのです。空海のような飛び抜けた才能のある人は山野を跋扈していたとき、その感性を研ぎ澄まし、虚空蔵求聞持法を修得したり、真言密教の秘技を体感することができたのかもしれません。
ともかく普通に年齢を重ねた私は、今日も作業中止。といって日々のブログも少しずつ持病の腱鞘炎の兆候が出始め、これからが正念場かもしれません。さていつまで続くか、今日も挑戦です。なお、最近はPC画像をきちんと(文字がはっきりしない)読めないこともあり、文字変換ソフトがWindows10になってどうもうまく機能せず、変換ミスがとても多いのですが、校正するだけの余力もないため、書き殴り状態で失礼しています。このブログを読んでいる方は忍耐強い人だと思います。感謝。
話は変わり、昨日始めた小池知事について、なんとも間が抜けた形で終わった記憶です。読み返していませんが、何を書こうとしたのか、はっきりしないまま、別の仕事で出かけてそのままになりました。
今日は、小池知事に期待する立場で、少し言及してみたいと思います。いま一次的に賑わった報道記事が手元になく、ウェブ情報を渉猟する気分でもないので、記憶が残っている範囲で触れてみたいと思います。
その前に、小池さんを初めて知ったのは、たしか90年代前後か80年代後半の、東京テレビの深夜、内外の政治経済ニュースを扱っていた番組のキャスターをしていたときだったと思います。それまでの女性キャスター像にはない、理論的できちんとわかりやすく解説していたことから、とても興味を持ちました。報道ステーションの久米さんとは切り口が異なり、取り上げる問題も異なっていて、新たな女性キャスター像の嚆矢と感じていました。その後政治家になった後は、あまり発言にも着目することはなかったように思います。
しかし、今回の都知事になって行ったことは、私なりに、鈴木、青島、石原の各都政とある意味さまざまな訴訟で闘ってきたり、弁護士会として都政のあり方に意見を述べてきた立場からすると、巨大ブラックボックスと言われる都政の一部に光をあてたことは間違いないと思っています。
その一つは、東京行政の意思決定過程について、オープン化を目指していることです。上山氏を含め調査委員会の選任方式や運営の仕方、委員長の発言等に民主制に反するとか、それこそブラックボックスだとか、批判の声も聞こえます。あるいは単なる小池劇場で、大騒ぎしたけど適当な内部調査結果の報告に止まり、真の行政改革を示すものがないとか、本質的な批判もあります。
しかしながら、過去の都知事は、いずれも伏魔殿化した都政について、本格的に行政改革を行った人がいたでしょうか。鈴木都知事は、当時大企業で盛んだったCorporate Identity(CI)運動を進めましたが、ほとんど広告だけに終わった感が否めません。
その点、小池氏が採用した調査委員会方式は、特定の事業について、とりあえずこれまでの事業決定過程を横断的・時系列にそって、一定程度、透明化を図ってきたように思います。そして問題は重要な意思決定過程がクローズドで、匿名の不明確な意思によって、たとえば盛土をしないという重大な判断変更が行われ、それが記録にも残っていないということが解明されたことです。
話は変わりますが、北米の行政における意思決定方式として、独立行政委員会方式が極めて多いのですが、わが国では極めて希です。たとえば土地利用で言えば、農業委員会、開発委審査会、建築審査会といったものがありますが、その委員選任の民主制、意思決定の独立性、判断根拠の合理性・手続きの公開制などに問題があります。労働委員会、教育委員会は、とくに後者はさまざまな問題を抱えていてここでは割愛します。
で、北米の独立行政委員会は、膨大な数がありますが、それぞれ制度設計が異なっていて、一概に論ずることができません。ただ、私が経験したいくつかの委員会の審査、決定方式は、非常に参考になりました。とくにある自然保護委員会委員長の話を聞く機会があったのですが、審査過程はむろん公開で、決定は審査手続きで提示された資料、証言を基に、委員会の委員それぞれが外部を遮断して、良心にしたがっって判断するというのです。
また別のエネルギー開発審査委員会では、公聴会において、事業者側が各種の専門チームを専門分野毎、審議に参加させ、審査に参加する利害関係者およびそのアドバイザーからの質問に詳細に答える必要があり、あるガスパイプ敷設事業ではおおよそ2ヶ月半毎日審理を継続し、それを踏まえて決定するのです。
このような方式は、いまのわが国に導入することが直ちに有効かは検討の余地がありますが、少なくとも調査委員会方式で、現行の意思決定過程、ひいては事業遂行過程での検証を行う、新たな民主的な方式が必要ではないかと思っています。
民主制について、首長制や議会制での議論では、個別の事業について、十分な検討がされないまま(需要と供給の調査や代替方式の検討や費用対効果など)行われていることを少なくない住民、国民が認識していると思います。
それを改善するのは容易ではありませんが、たとえば現在の議会の質疑が事前調整型であったあり、議員側に調査能力・立法能力(これが本来不可欠であるのに)を欠いていることから、このような不完全な実態を補う、あるいは代替する制度が構築される必要を感じています。首長や議会の総合調整能力という、曖昧模糊とした、予定調和を期待することはそろそろ終わりにすべきではないでしょうか。
その意味で、小池知事の改革姿勢は、第一歩としては、明るいものを感じています。
なお、余談ですが、五輪施設のうち、ボート・カヌー競技場を東京港内に設ける案が競技団体を含め、レガシーをつくりたい層から熱い支持を集めていますが、一言。
私はカヤックで、90年代前後その周辺を一人ブラブラとパドリングしていました。波は荒川河口が東京湾の波とぶつかる地点は三角波がひどく、大変です。しかし、埋め立て地の運河を漕いでいるときはさほど波を感じることはなかった記憶です。ただ、海風は強く、仮に競技場とする運河を遮断して大波の流入を防げたとしても、果たして観衆が長時間我慢できるか疑問に感じています。恒久施設として会場を立派にすることは果たして将来的に利用可能か、疑問です。競技者はなんとかするかもしれませんが、観客はそうはいきませんね。
近くの若州ゴルフリンクスも、プレーヤーは(私はほとんど見かけたことがなかった)多少いるかもしれませんが、観客になるとほとんどいないでしょう。
もう一つ、東京都の埋立処分場がすぐそばです。一度でも行くと、やはり悪臭が継続的に排出されています(むろん異臭は日時による変動は激しいことは前提です)。メタンガスの排出は常時です。競技場予定地は海風の通り道になりそうです。私自身、カヤックではあまり処分場近くを通過したことがありませんが、なにか臭ってくる思いで、遠ざかっていた記憶です。
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