180115 危機への人間力 <信越線15時間立ち往生>を見て思う
1月13日、14日のセンター試験はおおむね無事終了したようですね。ほっとします。前日の大寒気到来、猛吹雪で、雪になれているJR信越線で発生した15時間あまりの立ち往生は、監禁状態とか地獄とか非難の声が上がっていました。JRの甘い実通し、出発と立ち往生に対する処置や情報伝達の不備、さらには除雪車の大幅な遅れなど、批判の多くは当然でしょう。
むろん異常寒波は時に起こるわけですが、すでに北極で発生した寒気団がNYで大変な激寒が今後、国交省がこの問題の原因と対応策をしっかりと検討して二度とこのようなことがないようにしてもらいたいものです。
乗客の中には翌日のセンター試験を控えた受験生もいたようで、この疲れで成績に響かなかったことを祈りたいと思います。
ところで、私がこのテーマを取りあげる趣旨は、JRの対応については今後の調査を待って検討しても良いかと思いますが、15時間あまりの立ち往生での電車内での乗客同士におこった出来事についてです。
この件についてもいろいろに報道されたり、ウェブ情報でも取りあげているようですが、多くは批判的なコメントでした。たとえばNHKは<NHK JR信越線が半日以上立往生JR「時間かかり申し訳ない」>とおおむね客観的な報道となっています。
まず事件の概要は<11日夜7時前、新潟県三条市のJR信越線で、新潟発長岡行きの4両編成の普通電車が大雪の影響で踏切付近で立往生し、その後、先に進みましたが、再び動けなくなりました。電車にはおよそ430人が乗っていて、半日以上にわたって動けなくなりましたが、JRが除雪作業を進めた結果、12日午前10時半前に移動を始め、11時すぎまでにすべての乗客が電車から降りたということです。>
電車内の様子、病気になった人などについては<電車には、電気や暖房、トイレがついていましたが、車内は混み合い、長時間立ったままの乗客も多く、消防によりますと、40代の男性が脱水症状を訴えて病院に搬送されたほか、女性2人も体調不良を訴え消防に救助されました。>と簡潔に指摘しています。
乗客の声も取りあげています。<午前4時半すぎに電車から降りた高校2年の女子生徒は「1人で心細かったです。学校の帰りにたまたま乗った電車がこんなことになってびっくりしました。立ったままだったので体があちこち痛いです布団で寝たいです」と話していました。
高校3年生の受験生の息子を待っていた47歳の父親は「ぎゅうぎゅうに詰められて立ちっぱなしになっていて、足がもう限界だと言っています。JRに電話しましたが、情報が何もなく対応が悪いです」と話していました。>
これらは当然の声でしょう。私も同感です。
その中に興味深い声も掲載されています。<その一方で、午前7時ごろに半日ぶりに電車を降りた高校1年の女子生徒は「電車の中では座っていた人が長時間立っている人のために席を譲っていました」と話すなど、長時間、席に座れず立ったままとなっていた厳しい環境の車内で多くの人たちが助け合いながらしのいだという声も聞かれました。>
そして、この記事に関連して、昨日の朝、NHKニュースでは心温まる内容が放映されていて、ちらっと見てとても感動したからです。
80代の白い帽子をかぶったお年寄りが座っていて、その前に立っていた女子高校生に席を譲ったのです。それを見た別の方がおばあさんに席を譲り、今度はおばあさんがまた別の人に席を譲るという、席譲りが連鎖したのです。まるで童話『どうぞのいす』の世界が、下手すると険悪なムードの車内でほのぼのとした感覚に多くの乗客がなっていったのだと思うのです。
しかもこのおばあちゃん、語りも達者で、地元の名産の話しや話しかけを行ったり、たしか歌も歌ったとか。なんてすてきな方でしょう。おばあちゃんの心温まる情感が車内にいる人全体にシンフォニーのように伝わっていったのではないでしょうか。
映像に映っている中には、「監禁」に近い状態だった乗客が救出され外にでたときも、解放されたという喜びだけでなく、焦燥感を感じさせない心の余裕と心奥から醸成された喜びに浸っている印象すら窺えました。
このような厳しい環境は、ある種ノアの箱舟に同乗しているさまざまな人たちで、ある種偶然の出会いでしかないのでしょうけど、厳しさの中に譲り合う心、話しかける心、歌い合う心があれば、人は苦境を乗り越えられることを意味しているようにも思えるのです。
そういえば、半世紀前私が電車通学をしていた頃、まだ電車の中にはそんな情感が残っていたようにも思えます。知らない人同士が話し合うということも希ではなかったように思います。私はあるとき、そういう大人の一人から、同じ駅で降りて自宅に急ごうとしたとき、たしかもう11時頃だったと思いますが、まだ食事もしていないのを知ると、まだ空いていた駅前食堂に誘ってくれ、暖かいラーメンをおごってもらったことがあります。まったく知らない人で、それ以降合ったことがありませんが、この思い出はいまも熱く心の中に残っています。そんな情感の人たちが乗客にはいた時代かなと思うのです。
そういえばわが国は、維新前、多くの人が旅を好みお伊勢参り、富士講、出雲参りなど、いろいろな名目で旅をしていたと思います。そして街道沿いの人は喜んで旅人を迎えていたのでしょう。当時で言えば日本人といえども異国の人ですね、こういう旅人をだれもが歓迎する心持ちを育ててきたのではないかと思うのです。
イザベラ・バードの紀行文では明治維新の東北・北海道が描かれていますが、そういった日本人の旅人に対する心遣いがよく描写されています。私たちはいま、株価に右往左往したり、今度はビットコインなるものにまで高い関心を抱いたり、資本主義の競争社会を生き抜こうとする人たちが増えてきていますが、他人との競争も大事ですが、相手のことを思いやるという日本人が長い年月をかけて培ってきた心の本質を失わないようにしたいものです。
それは新渡戸稲造が著した『武士道』以上に深遠かもしれません。少なくとも一般的な信条ではなかったかと思ったりします。
そういうことをこのJRの立ち往生での出来事で、心の中にぽかぽかと暖まる心持ちにさせてくれました。白い帽子のおばあちゃんに感謝、感謝です。
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