たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

人の認識力 <松浦武四郎著『アイヌ人物誌』とイザベラ・バード『アイヌの世界』を垣間見て>

2017-09-26 | 日本文化 観光 施設 ガイド

170926 人の認識力 <松浦武四郎著『アイヌ人物誌』とイザベラ・バード『アイヌの世界』を垣間見て>

 

今朝も秋模様が窓の下の谷間に漂っています。垂れ下がっていた稲穂はとっくに刈り取られ、田んぼは薄茶褐色となり、あぜ道の四囲を飾る彼岸花の赤色が美しいと思っていたら、それもいつの間にか枯れかかっています。モズでしょうかヒノキの梢で高鳴きしています。

 

そんなのんびりした感じも事務所に入ると、雑用が次々とあってうまくはかどらず、あっという間に6時を過ぎました。今日のブログはと思いながら、新聞記事を追ってみましたがどうもぴんときません。感度が鈍くなっているようです。といって読書の方もなかなか時間がとれず、中途半端なままです。

 

それでも時折、気になる見出しの2冊、取り上げてはわずかを読んではまた元に戻しています。なかなか読み込めず、二つの異なる見方を気にしつつ、その意味合いをいろいろかんがえながら、いつも中途で終わっています。今日もむろん中途半端な状態ですが、とくにテーマも浮かばないので、取り上げてみようかと思ったのです。

 

松浦武四郎、著者紹介では、1818年に生まれ88年に死亡しています。伊勢国一志郡須川村で生まれ、33年、つまり16歳の時から日本国中を遊歴したのです。その彼が最初に蝦夷地である北海道に最初にわたったのは44年ですから、まだ27歳でしょうか。以後何度も北海道の内外を渉猟し、アイヌ人の実態を見聞きし、幕府や松前藩の役人たちによる植民地支配的なやり方を批判的に見るとともに、アイヌ人の勇猛で義に厚い倫理性の高さに強く惹かれるのです。彼の行動はまさに私人としてボランタリーに行ったものです。維新後、その才能を買われて新政府の開拓判官に任用されたのですが、そのアイヌ政策(同化)に同調できず辞任し、以後清貧に甘んじて著述をもって余生を過ごしたとのことです。

 

その著作の一つが『アイヌ人物誌』です。これは訳本で、原書は『近世蝦夷人物誌』です。その名の通り、アイヌの個人個人をとりあげて、その人物を幕府や松前藩の役人や関係者による非道な行為と、それに従いながらも高い倫理観を持ち続けるアイヌの人々の生き様を描写しているのです。

 

明治維新までの40年代から60年代までのアイヌ人の様子について、個々の人物を通じて見事にその生き方をとらえていると思うのです。この詳細はまた別の機会にしたいと思います。

 

他方で、バードの完訳『日本奥地紀行』にある『北海道 アイヌの世界』は、東北地方を描いた部分も見事ですが、このアイヌの世界は彼女の細やかな観察眼と、相手の心をくみ取る洞察力ともいうべきものがふんだんに発揮されているのです。バードが北海道を訪ねたのは78年ですので、武四郎が見た時代からさらに10年以上経過しているものの、まだ新政府の政策が行き届いていたわけではないので、環境的にはそう大きな違いはなかったと思われるのです。

 

同じものを見ても、バードの場合、まさに多面的な視点であり、対象も多彩です。おそらくこれだけの紀行文を現在でも書ける人はそう多くないのではと思うほどです。「アイヌとの生活」では集落の置かれた環境から、アイヌ人の住まいの作り方、酋長をはじめとするそれぞれの座る位置や役割、歓待方法を通じてアイヌの礼儀正しさを見事に描写しています。

 

独特の信仰からひどい耕作の仕方、身体的特徴の微細なまでの描写など、あげるときりがありません。そして何よりも、アイヌ人の素直で従順、そして真摯なまでの思いやりなど、バードはその自然の造詣とともに、心を打たれた様を具体的に記述しています。なぜヴィクトリア時代という世界最先端の国からやってきた彼女が日本人でも僻地で野蛮な土地と言われた北海道に足を向け、そこに住むアイヌの人々をここまで高く評価できるのかは、彼女の見事な観察眼と人間愛がなけば不可能であったかもしれません。

 

武四郎も人物評価は見事ですが、彼自身、おそらく基本的な教育を受けておらず、人からの聞き取りを残すこととかが基本であったのではと思うのです。自分が直面する事実をいかに認識し、描写するかについては、当時の日本の文学というか書物の中では未体験な領域だったのではと思うのです。江戸時代には紙が相当普及し多くの人が文字を書くようになったと思いますが、それでもどのように書くか、いやなにどどのように認識するかは、まだまだだったように思うのです。

 

古文書などでさまざまなものが残っていますが、バードのような観察がなされたものは皆無ではないでしょうか。

 

私たちは、その意味で、イザベラ・バードが明治初期にわが国にやってきて、しかも日本人でほとんど見知らぬ、東北の辺鄙な地域からさらに北海道、しかもアイヌの集落まで探索して、残してくれたこの紀行文は珠玉の品と思うのです。残念ながら私がいまの能力ではその一端も簡潔に紹介できないのですが、いずれ機会を見て。

 

そんなところでちょうど一時間となりました。今日はこの辺でおしまいです。

 

 

 

 


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