170925 もう一人の私 <おんなのしんぶん・女の気持ちをたずねて 世間を漂うクラゲ>などを読みながら
報道を見ているとトランプ大統領と金正恩北朝鮮最高指導者の丁々発止の非難合戦にはあきれてしまいますが、これが現在の世界なのでしょうか。わが国もそれを嘲笑するほど成熟した政治対話があるのでしょうか。安倍首相が突然、解散の話を口にした途端、与党も野党も、そして新党の動きも、異様に活発になり、それぞれの政治家の言動もどう一貫性を保持していくのか、国民に理解されるような内容か、気になります。そんなことを気にしていたら身が持たない、自分の殻に閉じこもっているのも心の安定につながるのかもしれません。
そういった政治の世界は横に置いておき、庶民の日常生活や人生もなかなか大変です。今日はたまたま3つの記事が目にとまり、それを題材に少し考えてみたいと思うようになりました。一つは冒頭の見出し記事の「世間を漂うクラゲ」、もう一つは<おんなのしんぶん・サヘル・ローズ瞳に映る風景 愛は残酷>の「愛は残酷」、そして<人生相談就職決まらず、孤独で絶望=回答者・高橋源一郎>の<もうひとりの「あなた」>です。
弁護士の仕事を長年していると、相談される方は大小を問わないですが悩みを抱えています。あるいは人との対立衝突といったことが常に大きな問題になっています。むろん個人的な内在的な悩みの方もありますが、弁護士では対応できないと普通は思うでしょうから、それは希ですね。この3つの記事もその類いの一つでしょうか。
たいていの人は、自分の中に現実に現れている自分と、もう一つの自分の心といったものの、最低でも2つの面をもっているのではないでしょうか。そしてその矛盾相克に悩んだり、あるいはさほど気にしなかったりするのかもしれません。
<おんなのしんぶん・女の気持ちをたずねて 世間を漂うクラゲ>では、<私は主婦ではない。未婚で職業をもつ女でもない。つまりは無職で親のすねかじりだ。こんな暮らしを続けて20年になる。>すごいですね。60歳の女性が「無職で親のすねかじりだ」と言い放ち、そして「世間を漂うクラゲ」と自己を表するのはどうでしょう。この否定的あるいは嘲笑気味の評価は、次の<これからの人生、「これで良かった」と思えるものを探したい。>という希望を求める意欲とも思えるのです。
たしかにこの方は女性蔑視と競争激化の社会環境の中で仕事に就き、早々とその仕事を止め、新たにのんびりした仕事をする中で生きがいらしいものを見いだした途端、父の介護、そしてクリーニング店からの化学物質汚染で退避しアパート生活に追いやられ、父の死後は母の介護に日々を送っているという状況は「世間を漂うクラゲ」と自嘲するがごとき気持ちも少しは理解できるようにも思えます。
でも結婚したり、仕事で評価したりされることで自己の存在を見いだすことができるかどうか、そういった社会的な評価といったものは一挙に崩れ去るかもしれません。結婚や子育て、仕事での達成感などは、さまざまな利益と衝突して、うまくやっていくのは簡単ではないと思うのです。離婚の多さ、子どもの虐待、不倫といった家庭問題は絶え間ないですね。それに仕事では過労死、不当解雇、パワハラ・セクハラなど多様な問題もどこでも起こっています。
そういう世界に身を置くことによってかえって無意識のうち不幸の中に埋没している人もいるでしょう。人間社会、対立衝突を避けることは容易でないと思います。この方は、それをできるだけ避けてきたのではないかと思うのです。アルコール依存症の優しくない父を見て男性を畏怖してきたようですので、リスクを回避したのかもしれません。
むろん両親の介護で起きる問題やクリーニング店とのトラブルは避けがたいことであったと思いますが、いずれも対立をできるだけ避けて、ある意味、自分というものを出さず、堪え忍ぶ道を選んできたのかもしれません。そうすると自分と、それから解放された自分を見ながら、今日に至ったのでしょうか。それが間違った選択だったか、だれも答えられないように思うのです。
「私には居場所がない」というのですが、この方はしっかり自分の居場所を自分にあった形で選んできたのかもしれません。結婚や仕事はいい面もあれば悪い面もあり、より心理的な軋轢が高まることも少なくないですし、それが昂じれば法的紛争にもなります。対立を避け平温に生きる道を選ぶことも、それぞれの人生であり、心の持ちようではないかと思うのです。仮に閉ざされた空間であっても、心が自由に羽ばたければ、真の自由が得られるのではと思うのです。
この方には、懸命に尽くしてきた介護の生活をだれからも評価されないという社会の存在が厳しく、あるいは哀れに感じる面があるのかもしれません。この疎外された社会の中で自己評価を高めることができないのかもしれません。
でも自分自身を評価するのは、他人でなくもう一人の自分自身かもしれません。<これからの人生、「これで良かった」と思えるものを探したい。>という新たな意欲は大切でしょう。ただ、これまでの人生を再評価してもよいのではないかと思うのです。もう一人の自分に見てもらったら、すごく頑張ったねと言われるような気がします。
次のサヘル・ローズさんの<愛は残酷>は私のような淡泊な人間にはなかなか理解できないものです(いや上記の方も理解できるなんて事は思っていません)。
ローズさん、といってもほとんど知りませんが、たぶん何回かはTVでちょっと見たぐらいでしょうか。この方の言葉は豊かで深いですね。
<人間の愛って強い。強くて暴走する時がある。そう、言葉が凶器になるように、愛もまた武器になる。相手を生かすこともあれば、愛で相手を殺してしまうこともある。>
これだけの情感を持って、人と接すれば、多くの紛争や軋轢も減少したり回避したりできるように思うのです。
<人と人がどんな形であれ、思いが重なれば、愛は生まれてくる。人間そのものが愛によって生まれてくる。>自分自身をもう一人の自分の目でみましょうと先に書きました。ここでは相手への思いを本気で育てれば、真の愛が生まれるのかなと思ったりします。相手がトランプ大統領のようだったら?なんてことはなければいいのですが、そう信じて思いを重ねるのでしょうか。
そんなローズさんの次の言葉は意味深長ですね。<一回崩れた愛情を立て直すのは本当に大変。それでもその人を心の中で大切に思っている愛情というものは、無邪気な感情であり、残酷な感情でもあった。>
崩れた愛情は、もう立て直せないと、仕事上はつい思ってしまうのですが、それでも<の人を心の中で大切に思っている愛情>をもとうとしているのでしょうか。しかしそれが<無邪気な感情であり、残酷な感情>というのは厳しい現実を見たのでしょうか。
よく問題になるストーカーなどは愛情とは別次元の表現ですね。でも崩れた愛情の相手に対して、<心の中で大切に思っている愛情>はよく考えない子どもの無邪気さと、相手の心に真の思いやりを欠く<残酷>なものである場合もたしかにあるでしょう。
ローズさんの表現はどのような事態を想定しているのか私の理解の及ぶところではありませんが、できればどこにでも愛情が降り注がれる関係ができればいいと願うのみです。
最後の高橋源一郎氏の人生相談は、私が「もう一人の私」を書こうとおもったきっかけになりました。
職がないことで悩む相談者に対して、源ちゃんの回答は明快な一発。
<あなたのほんとうの悩みは、職がないこと、ではないと思います。いまのあなたは、たとえ職を得ても、ほとんど喜びを感じないでしょう。
あなたがほんとうに必要としているのは、職業ではなく、どんなときにも、あなたに向かって「生きることは素晴らしい」と語りかけてくれるもうひとりの「あなた」だと思います。>
これは私にも当てはまる回答のように思えて、つい前の2つの記事をも取り上げました。
今日はこの辺で終わりとします。
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