たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

まちなみ景観を考える <堺市 環濠都市、減る町家 高齢化で維持困難>を読みながら

2018-12-16 | 景観の多様性と保全のあり方を問う

181216 まちなみ景観を考える <堺市 環濠都市、減る町家 高齢化で維持困難>を読みながら

 

最近のニュースで少し気になっていることがあります。毎日記事<米大統領の元顧問弁護士コーエン被告に禁錮3年の実刑>や、その後のニュースで放映された彼のインタビュービデオです。

 

このコーエン氏のインタビューを見ていて、ついウォーターゲート事件というか、この事件を題材にした映画『大統領の陰謀』で、記者役のダスティンホフマンがニクソン大統領の顧問?弁護士の一人を追求する場面を思い出しました。この弁護士の発言を含め様々な事実が明るみに出て、ニクソン氏が弾劾裁判を前に辞職したことは有名ですね。

 

今回の顧問弁護士の発言は結構、重みのある内容ですが、さほど大きな話題になっていない印象です。ニクソン氏が政治家として誠実さを保持してきた(外形上は)ことに比べ、トランプ氏は誠実さとか信用とか二の次といった感じでここまでやってきているので、またかということでしょうか。とはいえ、CNNの今日のウェブ記事<Trump's worst nightmare>

ではこれでもかというくらい悪化の一途を辿っている印象です。でも他の北米や西欧の記事は違うようですから、CNNが目の敵にされるのも分かるような気がします。トランプ氏にとって目の上のたんこぶ以上でしょうか。

 

で、この問題を引っ張ってきたのは、やはり辺野古問題です。アメリカの軍事戦略にのっかって突き進むわが国の防衛、これでいいのと思うのです(むろん中国の動きを無視できませんが)。ましてやトランプ大統領がいうアメリカファーストという手前勝手な考えを信頼していいの、なのです。他方で、沖縄に対してこれまでわが国が採ってきた対応は決して許されるものではないと思うのです。ニクソン政権におけるベトナム対応の失敗と同じに扱えませんが、トランプ氏の対中を含む対外戦略に追随するような対応だと二の舞を演じることになりませんかね。

 

この難しい問題を数行で片付ける分けにはいきませんが、ふとコーエン氏とニクソンの側近弁護士(映画上)の差を感じました。後者はたしか場末のモーテルに宿泊しているほど、落ちぶれていましたが、前者は衣服も高級服を身にまとい、実刑になったとはいえ、蓄財を重ねてきたのかなとつい思いました。いかにトランプ氏が金で人を動かしてきたかを物語る一面ではないかと思います。こういう人物とタッグを結び、親しい関係を標榜するのはわが国の首相としていかがなものかと思うのです。

 

さて話は本題に移ります。毎日昨夕記事<堺市環濠都市、減る町家 高齢化で維持困難>に少し驚きました。堺は環濠都市として栄えたことは有名です。でも今は残っていないのではと思っていました。

 

記事では<中世から交易で栄えた堺市は、堀で囲まれた「環濠(かんごう)都市」として北部地区に多くの町家が残ることでも知られている。>そう堀で囲まれていたからこそ、環濠都市といえるわけで、東洋のベニスと称されたとしても自慢してよかったと思います。

 

とはいえ、それは近世の話。明治維新以降の近代化の中で様相は大きく変わってきました。とりわけ戦後は、大都市ではどこでも堀割が邪魔扱いされ、臭いものに蓋みたいに、隠されたり、埋め立てられたりして、ほとんどの堀割が消失したと思うのです。

 

<市によると、2014年度に300軒近くあった町家が、約4年間で1割以上減った。所有者の高齢化に伴う維持管理の難しさなどが背景にあるとみられ、地元の住民は「町並みを守る取り組みを強化してほしい」と訴えており、市は地元と協力して景観などの規制を検討することを決めた。【矢追健介】>

 

どうやら堀割の話ではなく、町屋の話のようです。実はなんどかこの環濠都市の実情を探ろうと周辺まで足を伸ばしたことがありますが、堀割がなかったり、町屋も他の保存に力を注いできた奈良の今井町や滋賀の近江八幡などのような丁寧に保存された町屋はあまり見かけないように思い、途中で断念しました。

 

環濠都市>といえばウィキペディアで、<その周囲に堀を配することによって、堀を外敵からの防禦施設や排水濠として利用した都市である。 代表的なものとしては、アンコール・トム(カンボジア)や金沢、今井(奈良県)、堺(大阪府)等があげられる。>と堺もあげられています。

 

それで、グーグルマップでちょっと空から覗くと、堺市も米空軍の大空襲で被災し、戦後は必ずしも秩序ある復興を遂げたとはいえない印象を感じます。だいたい環濠といえるような状態はどこにも見当たりません。それで環濠都市として銘打って町並み保存と言っても、所有者の理解を得るのは容易ではないように思うのです。

 

柳川や松江のように堀を再生し維持保全する活動をしてきたのであれば、わかりますが、もう少し異なる視点で、町並み保存を訴えてもよいのではないかと思うのです。グーグルマップで空から眺めても、環濠都市として存在していたころの地割がイメージしにくい印象です。そういったビジュアル的な面での提示があってもよいのかなと思うのです。一つ一つの町屋についても、ストリートビューで通り沿いの建物を見ても、なかなか他の保存に努力してきた町屋と比べると見劣りがするといっていは失礼ですが、努力が必要ではないかと思うのです。

 

ただ、記事では<第二次世界大戦で空襲を受けたが、戦火を免れた北部地区には、江戸初期の国内最古級の町家など古い家が多く残った。市は2011年、景観計画で北部地区を重点地域に指定し、15年からは既存建物について、伝統的な町並みに合わせて景観を整備する「修景」に補助金を出している。>と一部について景観法の重点地域に指定しているということですから、期待できるのかもしれません。とはいえ、景観法は04年成立で、鎌倉市などは成立まもなく地域指定を始めて景観規制に取り組んできました。それに比べると、いかにも遅すぎる印象です。

 

なぜ堺市に厳しい目を向けるかというと、一方で、大山古墳では二重濠が有名で、世界遺産登録の動きが活発である中で、環濠都市と銘打って仮にPRしたら、羊頭狗肉と海外の観光客から批判されないか心配だからです。たしか堺市役所で、仁徳天皇陵のパンフと一緒か別のパンフでこの環濠都市も含まれていたのを見たような記憶があります。

 

「仁徳天皇陵」という名称も考古学の世界では誰からも支持されないと思いますし、同様に「履中天皇陵」なども疑問です。まあこれは専門家の話として一応おいておいても、「環濠都市」は観光の目玉になり得るはずですが、天皇陵の濠をイメージされると肩すかしにあいます。それが心配です。

 

<町家の減少が進む。市は11~14年度、約2800世帯が住んでいた北部地区を調査、281軒の町家を確認していた。しかし、今年4~8月に再調査すると、取り壊しや建て替えなどで36軒が失われ、245軒になっていた。>と数の減少を心配していますが、町屋所有者・その継承者に残す価値を提示しないと、所有者・継承者にはとても負担が大きいと思います。

 

<市都市景観室は13日の市議会建設委員会で「引き続き地元と話し合い、合意形成を図りながら、必要な規制を検討していきたい」と答弁した。>というのですが、環濠の復活(仮にソウルのような大改造までできなくても、イメージくらいでも)くらいを考えるような施策を提示して、個々の町屋の意義や通りに、一部でも全体としてのまちなみ景観価値を再認識できるものにしないと、難しいのではと思うのです。そうでないと、個々の町屋所有者に窮屈な我慢を強いることになりかねないでしょう。堺市がそこまで統一的なまちづくりができないのだとすれば、新たな視点を見いだすことの方が賢明ではないかと思うのです。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


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