180924 心の友 <危険な「セクスティング」>と<人生相談 友だち作らない息子切ない>を読みながら
今朝も庭木の剪定で汗を流しました。少し高いところの枝は、昔から杣人が使っていたぶり縄で登って、ハサミと竹林用の鋸でばさばさと切っていきました。それでたまった枝条は、昨日作ったばかりの庭の小道にばさばさと積み重ねました。緑の絨毯とまではいかなくても、ま、それなりに情緒はあると自己満足です。
銀杏の絨毯というと、昔、司法研修所があった岩崎邸の裏庭の巨大な銀杏の木から落葉した黄色で染まった絨毯を思い出します。それは神宮の絵画館前よりも、その静寂さと整った美しさで、いつも堪能していました。研修所時代は勉強は上の空(当時はそういうのどかな雰囲気がありました、と勝手に思っていました)で、テニスコートを占領したり、晩秋はその裏庭を散策するのが楽しみでした。
当時の仲間の中には、すでに他界した人も、弁護士をやめた人もいます。他方で法曹界のトップあたりにいる人もいます。小中学、高校、大学、そして研修所と、その都度友人がいましたが、弁護士になってからの友人となにか違うか、よくわかりませんが、大きな違いはないように思いつつ、最後が一番心を通わした友人かもしれないと思うときもあります。
そんなことをふと思ったのは、今朝の毎日記事<人生相談友だち作らない息子切ない=回答者・高橋源一郎>を読んだからかもしれません。
質問者は母親で、<高校1年の息子は小学生の頃から友だちができません。新学年になると新しい友だちを作りますが、長続きせずに独りで行動することが多い。仲間外れというより、自分から距離をおいている感じで、独りを苦にしているようには見えませんが、心配をかけないようにしているのではとも思えます。>と子どものことを心配しています。
いじめやハラスメントがある可能性があれば、丁寧に、注意深く当たる必要があるでしょうけど、その可能性があるかどうかは、親子で話し合い、あるいは様子を見たり、教師や子どもの同級生やその保護者にそれとなく聞けばある程度は分かるでしょう。一定の期間様子見は必要でしょうけど。でも今回の質問者のケースではそういう心配はなさそうですね。
そうすると源チャンの回答がやはり気持ちいいです(失礼ながら、勝手に源チャンと呼ばせてもらっています)。
源チャンはまず、自分が教鞭を執っている学生に秘密を書く課題を出したところ、3分の1が同じような内容だったとのこと。それは
<曰(いわ)く「友だちのふりをしているけどほんとうは嫌い」「友だちづきあいをしなければならないのが疲れる」等々。>学生はカンニングならぬ、人の原稿を借りてまねする、コピーすることもあります(昔は結構多かった)ので、どうかと思いますが、でも結構本音かもしれません。
<マンガ家のしりあがり寿さんは、わたしたちは「友だちの呪い」にかかっている>というのですね。これはたぶん、人類の本質的要素でもある仲間を作ることでしたが(人類誕生のNHK番組で取り上げていました)、それが外見でも作った形をとらないと、それぞれの狭い社会で息苦しいと自分自身を呪縛しているのかもしれませんね。
他方で、高齢者になると、孤独死だと世の中騒いでいますので、幼い頃から社会的な暗黙の強迫観念が呪いになるのかもしれません
私自身、こどもに友達がいるか、友達とうまくやっているかを気にかけてきたように思います。親というのは自分のことを顧みず、そんなものかもしれません。でも友達とつるんでいるのも大事ですが、孤独を大切にすることも大事ですね。「友達」という関係から一方的な要望もありえなくもないわけで、楽しくつるんでいると、自分自身を形成する機会を失う?可能性もないわけではありません。
源チャンは的確な言葉で回答しているように思います。
<わたしにとって「友だち」は、お互いの「孤独」を理解し合える者のことだからです。逆にいうなら、「孤独」を共有できない相手は、「友だち」ではなくただの「知人」にすぎません。・・・ご子息は周りの誰よりも「孤独」を知る人間に育ちつつあるのかもしれません。・・・会ったことはなくとも、同じような「友だち」が世界中にいることに。わたしもそのひとりです。静かに見守ってください。>
他方で、友達関係というか男女関係も危ういというか、リスクが潜在的にあります。
同じ毎日<Dr.北村が語る現代思春期危険な「セクスティング」 削除できない性的画像>で、その危険性を指摘しています。むろん前段の話とはかなり異なる場面ですが、それは友達同士でも異なるリスクが内在していることの警鐘でもあると思います。
ともかくDr.北村氏の問題提起は男女の問題です。思春期を取り上げていますが、私が関与した事件では結構な年齢であったり、30台であったりしますから、けっして若い人だけのセクスティングの問題ではないと思います。むろん若い人の比率は当然高いでしょうけど。
<セクスティング>といっても私も初耳でした(事件ではなんどか経験していますが)。<英語のSEXとTEXTING(メッセージを送る)を合わせた俗語です。近年めざましく発達したSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使って、性的な画像・動画やメッセージを送ったり交換しあったりする行為のことです。>
このセクスティングというのが結構手軽にやられているのですね。不思議だなと思いつつ、男性側も、女性側も、平気で送信しています。
しかし問題が内在していて、いつエスカレートするか分かりません。
<セクスティングの多くは若い世代で見られますが、仲間からの暴力や脅迫などへと発展し、自殺に至るようなケースもあります。しかも、同意を得ないで性的画像を送信されてしまうこともあり、そうなると、防ぐ手段がありません。>
私もそのような事件として、取り扱ったことがあります。
Dr.北村氏は<特に深刻なのが脅されて自分の裸の画像を他人に送ってしまうケースです。一度インターネットに投稿されてしまった画像を削除することは事実上不可能です。>と警鐘を鳴らしています。
脅されて送るケースもありますが、仲の良い関係を当事者間で共有するために自ら送る場合もありますね。送る事情は脅しもあれば、男女関係の継続のためもあれば、誘惑ためなど多種多様でしょう。
でも一旦送られたら「覆水盆に返らず」ですね。
<安全なSNSの使い方教育が幼い時から求められています。>かもしれません。いや、インスタ映えというのでしょうか、写真をカシャッと撮ってすぐ送ることが流行ですが、自分の裸を送るというのは、全然違うはずなのに、不思議です。これは写真に限らず、不倫の通信もですね。
以前、事件で、多数のその種のメールを読むことになりましたが、こんな露骨な文書をメールで送るのもどうかと思うのですが、日本人の奥ゆかしさといったものを期待するのが間違いでしょうか。
男女関係も、単に肉体関係だけを求めるのであれば、このような末路も残念ながらそのリスクを受け入れなければならないこともあるでしょう(脅迫等の犯罪行為は別ですが)。しかし、男女の愛情とか心の友というのであれば、それは別でしょう。こういった写真を求めるのは愛情でも,心のよりどころでも、ないと思うのです。相手の気持ちを最も大事にするのが愛情であり、心の友ではないでしょうか。
今日はこれにておしまい。また明日。
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