180925 法廷の公開性 <強制不妊訴訟 傍聴、全障害者に道 札幌地裁>を読みながら
雨音はいいものです。といっても昨今の豪雨被災に遭った方にはとてもそんな気分には慣れないでしょう。とはいえ日本は雨を文化の中で取り入れてきたのだと思います。被災経験もそれを乗り越える精神的なバックボーンとして日本人の意識の中に悠久の歴史を超えて育ってきたのではないかと思うことがあります。
人間の生まれもいろいろです。五体満足に生まれることもあれば、さまざまな障害を自然の摂理として、生まれたときから、あるいは途中から、共存してきた人もいるでしょう。文献によると歴史時代以前、障害のある人も長く人生を生きた証があったとも言われています。
わが国に生まれた、あるいはわが国に移ってきた人たちは、そういった自然のさまざまな脅威に耐え、仲間の中で生まれる障害や高齢による衰えを相互扶助しながら、生き抜いてきたのではないかと思ったりします。
裁判の歴史はいつ頃からあるのでしょう。古代文明ではすでに成立していたといわれているようです。それだけ人が集まれば仲良くすることも争うこともあったのでしょうか。ギリシア都市国家では市民による裁判・評決が重要な要素だったようですね。むろん独裁国家ではないのですから、市民による裁判が保障されていたのでしょう。それは当然ながら公開性ですし、評決を担う市民も、200人単位で行ったというのですね。それが重要な公的な裁判だと500人だったとか。直接民主制ですから、政治も市民全員の総会で決めるわけですから、当然と言えば当然でしょうか。
翻ってわが国は文献が残っていないようで、せいぜい日本書紀で聖徳太子が7世紀初頭に、第17条憲法を作り、その中で、百姓による訴訟が多いことが指摘されています。でもその裁判の有り様はまったく明らかでないですね。聖徳太子も裁判に関与したような雰囲気が感じられますが・・・その聖徳太子は、貧富の差や障害や老齢や奴隷の人たちをも差別することなく公平に接したと、されています、書紀の上では・・・
理想としての、裁判のあり方がここにも現れているように思うのは私の勝手な解釈ですが、そもそも私が今読んでいる書籍を含め、少なくない研究者や素人歴史家などは、聖徳太子の実在に疑問を抱いていますし、不比等による歴史のねつ造という疑いは払拭できていないという見解に魅力を感じています。
とはいえ、仮にそうであっても、理想としての国家像や裁判像は、一部、日本書紀に示されているかもしれません。
そろそろ本題に移りましょうか。今朝の毎日記事<強制不妊訴訟傍聴、全障害者に道 札幌地裁>との見出しで、新たな法廷内傍聴席の仕切りを図示しています。
<札幌地裁(定塚<じょうづか>誠所長)は、旧優生保護法下で不妊手術を強いられたとして国に賠償請求を求めた男性の第1回口頭弁論がある28日を前に、「あらゆる障害者」が審理を傍聴できるよう弁論を開く法廷の約6割の傍聴席を障害者や介助者、手話通訳者に割り当てることを決めた。>弁護団や障害者団体の要請に応えたものですが、<今年1月に宮城県の女性が起こした初の国賠訴訟後、全国で同様の提訴が相次いでいるが、札幌地裁の取り組みは初めて。>
裁判長の定塚氏の英断でしょうか。本来、法廷のあり方とかは、訴訟規則で一定の限界はあるものの、それぞれの裁判の裁判長が、当事者の意見や裁判の特性とかを配慮して、自ら責任を持って審理に適切なあり方を柔軟に判断するのが筋です。わが国では基本的に司法研修所を卒業して社会に出ないまま、ずっと裁判官一筋(最近はさまざまな交流の幅がひろがってきたとは思いますが)で、弁護士任官も微々たるもので、組織的な運営というか最高裁を頂点とする統一的な運営が好まれる印象を抱くのは外から見た皮相な見方でしょうかね。
私の経験でも、東京地裁大法廷で、数百人の原告、弁護団も20人近く出頭するような事件では、国側・事業者側の指定代理人や関係職員も傍聴席を大半占め、さらに記者も多く、原告当事者が到底入りきれないとき、交代制をうまく使って、原告当事者の法廷傍聴に便宜を払ってもらっていました。むろん弁護団席は裁判官席の横の方まで作ってもらいましたが。
この裁判長、法廷指揮の面では、なかなか配慮があったかなと思います。ただ、判決文は国相手でもあり、長文ではあってもあまり心に響く内容でなかったことは当然かもしれません。その後最高裁判事となりましたが・・・
余分の話をしましたが、この定塚判断は、障害者の傍聴のため、金字塔を開いたように思います。それは次のような内容です。
<車いすを使う障害者らは通常の2人程度(傍聴席4席分)から10人程度(20席分)に拡大。聴覚障害者は最前列に10席で、これまで着席が必要だった手話通訳者は立って通訳できるようにした。同伴の介助者も傍聴の定員数に含めず、障害者の傍らの席を用意する。
医療機器が必要な障害者はこれまで、人工呼吸器の稼働音やアラーム音などで傍聴が困難だった。しかし、これらの音を容認した上で、たんの吸引や廊下への出入りも認めた。知的障害者用も10席を配置し、近くのモニターには法律の専門用語を使わず分かりやすい表現で映す。>
これは単にそれぞれの障害者のための傍聴席を増やすと言った小手先ではなく、それぞれの障害に応じて、傍聴を支援する措置を講じた点で、優れたものと言えるでしょう。このようなことはこの裁判の特殊性もありますが、障害者のために基本ルールとして、このルールを今後拡充してもらいたいと思うのです。
今朝の毎日記事一面<強制不妊知的障害者被害調査へ 家族団体、相談窓口設置>では家族団体による本格的な調査が開始したようです。光がようやく当たり始めたようです。
30分を超えましたので、この程度でおしまいとします。
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