170403 幸せとはたらくこと <家事代行、特区で解禁><育休中の就労>を読んで
今日も暖かい一日でした。朝、FM橋本を久しぶりに聞いていると、開局5周年ということで、なんともすばらしいことです。そして話題の一つが、橋本のどこかの峠から、高野や吉野の緑深い山々が見えるだけでなく、遠くに冠雪した峰々が見える、それが大台ヶ原とか・・・とかということでした。ほんとかしらと思いつつ、ちょうど高野道を眼下にしてバイパスが出来てたところを走ったところ、ほんとに見えました。いや、まるで北アルプスを遠くに見ながら高速道路を走っているぐらいの雰囲気にさせてくれました。
この話はこの程度にして、すでに6時を過ぎており、左腕の方に痺れ感がきていますので、今日も600字を目処にして書いてみようかと思います。
毎日一面のトップに、<女性活躍、外国人が支え>との見出しで、<家事代行、特区で解禁>を取り上げています。その内容がふるっています。
<首相官邸のホームページは、解禁の狙いを「女性の活躍促進や家事支援ニーズへの対応」とする。>そして<外国人家事代行サービスが認められ、第1陣として来日した>一人である<アミラ・ロザーリー・レブレスさん(33)が研修で、利用を検討する神奈川県内の時枝亜希子さん(38)方を訪ねた。時枝さんは会社員の夫と子供2人の4人家族で、家計をパートで支える。>
その<アミラさんが台所や浴室の清掃を始めた。排水溝の内側まで手際よく磨く。小学生の長女は「掃除の神さま!」と絶賛した。時枝さんも「ここまでやってくれるとは」と感激した。>そうなんです。アミラさんは日本人家族から「掃除の神さま」と褒められるほどすばらしいはたらきをしているのです。
しかし、<家事代行の外国人も公的には「外国人家事支援人材」と呼ばれ><アミラさんとパソナの契約は最長3年間で、契約が切れたら帰国する。現行ルールでは再び日本で働くことができない。>と、極めて窮屈な仕組みとなっています。
それより何よりも、日本の家庭は外国人の女性によって掃除の神さまと言わなければいけないほど、自分の家のことも出来なくなる状態であることこそ気になるのです。
家事を女性の仕事とする時代ではないでしょう。家事こそ極めて重要な人の生活の要素ではないかと思うのです。家庭を構成するすべてのメンバーがそれぞれの能力と時間を考慮しながら、行っていくのが自然ではないでしょうか。それは維新時に訪れた異邦人の記録では日本人の家族、家庭の生き生きした様子の中で描かれているように思うのです。
それが働き方改革のメインコースだとすると、残念な思いというか、日本人の美徳を失うのではないか、いや人としての本質的な要素を劣化させるのではないかと感じるのは、時代遅れなのでしょうか。禅の世界では、日々、終日はたらき、清掃に明け暮れるように指摘されていることもあり、実践している僧侶もいるようです。そこまでしなくても、やはり家事は老若男女すべてが生活の一要素としてやるべきことではないかと思うのです。
このような家事代行といった流れがあるとしても、一時的な物であって欲しいと思うのです。ここで昔なら、姑などが口うるさく仮に言っていたとしたら、今は若い外国人の女性が模範を見せてくれる分けですから、それを家族のみんなが自然に学び自分のものにするよい機会ではないかとみることも出来ます。
この話とは別に、<はたらく育休中の就労、労使に利点>は、育児休業取得者が増えることはいいのですが、次には、<育児休業の後、スムーズな職場復帰>が気になるでしょう。育児休業給付金の支給要件が緩和されたこともあり、育休中の就労が増えてきたそうです。<国の育児休業給付金は、最大で賃金の67%が支給され、労働者が希望すれば、一定条件内で働いても受け取れる。14年に月10日以内から月80時間までに緩和された。>というものです。
育児という夫婦と赤子にとって最も重要な人生の一時期、夫婦が育休により夫婦で子どもを育てる喜び、苦しみを体験することは、働き方改革としてより進めてもらいたいし、他方で、育児に余裕が出来てきたら、育休中の就労は、育児にも有効に働くことが少なくないでしょうし、その後の職場復帰も円滑にいく可能性が高まり、育休制度の進展につながることで、望ましいと思うのです。
この制度が将来、子どもが大きくなり、教育費に多大の費用がかかるために、家事もおろそかになるほど、共働きしなければならなくなるという前段の状況になるとしたら、これも制度の一貫性を欠いていると思ってしまいます。まだまだ制度が動き出したばかりですが、人生全体を見通した改善策を検討してもらいたいと思うのです。
そんなとき、<そこが聞きたい国民総幸福量(GNH) 幸せは終わりのない努力 ブータン王立研究所所長 カルマ・ウラ氏>は、幸せのあり方を問うとともに、幸せは棚からぼた餅に得るものではないことを語っています。
<幸せになるというのは、終わりのない旅路をゆくようなものです。完璧に達成した国はどこにもありません。ですから、何らかの形でこれからもずっと努力してゆかなければならないのです。>私たちは日々、日常の選択をしながら、その中で幸せのあり方を思考し、判断して行動することを示唆しているのではないでしょうか。
これまでも何度か繰り返してきましたが、維新時に訪れた異邦人が見た日本人の姿は幸せに満ちあふれていたとも言われています。他方で、西方文明をもたらすことによって多くを失うのではないかと危惧していたのもその異邦人たちでした。
むろん私たちは、文明を放棄したり、昔の時代に遡ることは出来ません。しかし、なにかそこに精神的豊かさ、心の持ち方のヒントが隠されているのではないかと思うこの頃です。
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