たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

花と禅その8 生き方の美学<ほんとうの自由><プライド><達成感のよろこびは一瞬><一瞬の積み重ね>

2017-12-06 | 心のやすらぎ・豊かさ

171206 花と禅その8 生き方の美学<ほんとうの自由><プライド><達成感のよろこびは一瞬><一瞬の積み重ね>

 

寒さがかなり厳しくなってきました。といっても北極圏の極寒と比較すれば穏やかなものですが。たしか最近のニュースで一番気温の低い村では平均マイナス55度を超えるとか。すごいですね。イヌイットを含む極寒に生きる人たちの心は現代文明にさらされなければたおやかで人に優しいですね。そういう生き方になじんだ日本人も少なくないですね。

 

ところで、今回紹介するのはまったく異なる分野で自分に合った道を突き進む日本人です。ネタ元は、NHKプロフェッショナル仕事の流儀で、今週月曜日に放送された<リスクがなければ、面白くない バイオリニスト・樫本大進>です。音楽はまったくわかりませんが、ただ聞いたり見たりするのは好きです。この樫本氏のことは初めて知りました。

 

<世界最高峰のオーケストラ、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団・・で、・・“コンサートマスター”(通称コンマス)を8年にわたって務めている。>と聞いてびっくり、しかもmだ38歳の若さ、それが日本人というのですから、驚くばかりです。途中から映像をみたのですが、彼の魅力に惹かれて最後まで見てしまいました。

 

では平井住職の『花のように、生きる』とどう関係するのか、私流にいくつかの話と織り交ぜて最高峰に立つコンマスの樫本氏の生き様に少し触れてみたいと思います。

 

樫本氏は私が見たのが、ちょうどロシアでの指導をうけてソロのコンサートを始めたような段階でしたか。そしてドイツ・フランクフルトに移り著名な(といっても私は知りませんが)バイオリニストの指導を受けて彼自身、大きくバイオリン演奏の見方を変えるときでした。それまでの指導では師匠の言うとおり正確に譜面を追うことでした。ところが新しい指導者は、まったく自由奔放に生活全体を満喫しながらそれを演奏に活かす方法です。譜面の見方、演奏の仕方も、自分の心に問いかけて、行うやり方です。

 

その彼が、ベルフィルのコンマスへの誘いが来ました。当初はこれまでオーケストラで演奏したこともないことから、未体験の領域なので、躊躇しますが、その自由な指導環境で育った気持ちがリスクと新しい道を選んだのでしょう。

 

2年間の試行期間を経て採否が決まる手続きでしたが、初日はまったく団員の不興を買い、口をきいてくれない状態がしばらく続いたようです。それで彼が落ち込み立ち上がれないほど弱くなかったのです。家庭でも美しい奥さんも心配するほど、彼自身悩みながら、しかし、夢中で・無心に弦を弾き続けるのです。

 

彼は、自分流のやり方を、精密に団員にコミュニケーションをとって、少しずつ団員の理解を得るようになり、いつしか彼流のやり方がベテランばかりの団員にも共有できるようになっていったようです。口をきいてくれなかったベテランも褒め言葉を投げかけてくれるようになり、いつしか、彼は一員に認められるようになりました。そして2年間の試行期間よりも半年前に正式採用というビッグニュースが彼に通知されたのです。

 

その樫本氏、コンマスとして、最初にやった大仕事は、あのドボルザーク「新世界」のバイオリンの章を、過去何十年以上、カラヤンですら変えていなかったところを、自分流に演奏を変えようとしたのです。これまでのやり方では現代に合わないという、彼独自の判断でした。

 

当然、団員の反発がありました。でも、この変化自体あまりよくわからない私ですが、団員は意外と簡単に受け入れたように思います。なにか予想外の心に響くものがあったのでしょう。樫本氏はそれでもその変化が大変なチェレンジであることを承知しているので、演奏当日も、楽屋から舞台に行くまでも一瞬のすきもなく、その弦の動きを精密に調整して完成度を高めようとしているように見えました。

 

さて大勢の聴衆の反応はどうでしたでしょう。ブラボーだったようです。みなさんにこやな笑顔で、新しい新世界を満喫したようです。ベルフィルのコンマスというだけで、驚異的であるのに、彼の挑戦はいまなお続くのです。そのときの喜びは一瞬最高でしたが、さらに磨きをかけることを伝えています。それがプロであり、純粋な人となる生き方かもしれません。

 

まいりました。そのご、彼の母親の故郷、たしか赤穂市の城山で、毎年開催されている野外演奏会の様子が最後に放映されましたが、彼は世界最高峰の地位にありながら、1000円の入場料でだれでもが楽しめる演奏会を10年以上続けているのです。私のような音楽に縁のない方でもほんとの音楽を楽しめる機会を提供されているのでしょう。すばらしい生き方をされていますね。

 

で、平井住職の話を少し織り交ぜます。彼は「プライドと上手につきあいなさい」と述べています。なかには「わたしのプライドが傷つけられた」といった、他人に対しての不満を述べられることに対し、プライドとは「自分を律するもの。」と断言します。そうですね。プライドは大事ですが、それが傷つけられたことを他人などに攻撃材料に使うことが少なくないですね。弁護士もその権利行使の代理人になりますが。でも、プライドは自分の言動、心を律することに真の意味があるように思うのは、私も同じです。そうできるかは、自分自身の鍛錬にかかっているのではと思うのです。その点、樫本氏の生き方は、すばらしいです。

 

また平井住職は、目標を持って持続的な努力をすることを大切にしつつ、「達成感で心を満たすのは『その瞬間』にとどめてください。いつまでもひたっていると、力になるどころか、自分を呪縛するものになりかねない」というのです。そうですね、普通人はなにかの目標を持ち努力し達成すると、なにか自分は違う存在になったと、ましてや世間がそのようにはやし立ててくれるとそうなりがちですね。しかし、達成感や名誉は、一瞬の喜びとし、次の一瞬には再び、自分流の生き方を求めることこそ大事なのでしょう。

 

樫本氏は、それを自然に行っているように思えます。すばらしいアラフォーでしょうか。

 

そしてもう一つ平井住職の言葉「ほんとうの自由とは?」に触れたいと思います。禅の「行雲流水」という言葉を引用していますが、私も好きな言葉の一つです。

 

しかし平井住職は、「人は他人にこだわり、他人を夢見て、自分を忘れる。」というのです。他人の評価、これまでの秩序・慣行そういったもので、自分で考えることを忘れがちなのが多くの人の生き方かもしれません。私自身、これまでそういう見方・考え方にある種の反旗を翻して、運動や訴訟を起こしてきましたが、それは極一部で、全体としては私も長いものに巻かれるような生き方をしてきたように思います。

 

しかし、平井住職は、「肝心の自分を忘れてしまったのでは、自由になどなれっこない。」と明言します。これまた共感します。樫本氏も、ベルフィルが長い伝統で気づいてきた「新世界」の演奏法について、自由な心で、原点に返り、ドボルザークの気持ちと、自分の心に問いかけて、真の自由を求め、新たな創造を生み出すことができたのでしょう。感謝です。

 

 

 

 


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