たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

花をどう活かすか <BS1スペシャル「世界の果てに花を生ける」>

2017-12-23 | 心のやすらぎ・豊かさ

171223 花をどう活かすか <BS1スペシャル「世界の果てに花を生ける」

 

西行は花を活かしながら日本人の心に豊かな情感を醸成してくれたような気がします。あるいは花を含む生命に対する感受性を育ててくれた一人ではないかと思うのです。

 

生け花は、たしか応仁の乱頃あるいは以降くらいに発達したのでしょうか。元々お寺では仏様に様々なものを飾って供えることが仏教伝来以来あったようですが、生け花を備えるようになったのはいつからでしょうか。ただ、僧侶が始めた、池之坊というのも、寺の中にある坊の一つであったようなことを、読んだ記憶があります。澤田ふじ子作品にあったと思うのですが、かなり前に読んで記憶が定かではありません。内容も覚えていないのですが、生け花を一つの道として、なんの血脈もなく特別の能力もないたしか一人の僧侶が精進努力を積み重ねて、確立していくような筋立てだったと思うのです。

 

日本の伝統芸能も、中にはと差別され蔑視されていた中から生まれたものが少なくないですね。歌舞伎もそうでした。出雲阿国を取り上げた有吉佐和子の作品もいいですね。

 

突然、こんな話をしたのは、今朝のTV番組<BS1スペシャル「世界の果てに花を生ける」>を途中から見て、これはすごいと、つい最後まで見てしまいました。

 

その花を生ける姿勢は、徹底しています。しかし花の店なのに、店舗内には花がありません。ある家族の例が紹介されていました。夫が子どもが生まれた記念かなにかで、家族4人のために花を贈りたいと、生まれたばかりの子のために芽吹きをイメージしたものとか、言葉でその心情を伝えるのです。それは店主の東氏を含めスタッフがメモし、お客さんが帰ると、さっそく生け花の構想をミーティングするのです。それで材料は決まり、早速、青果市場に買い出しに行き、持ち帰ります。それから東氏がそのアイデアを具体化していくのです。

 

それは従来の花屋さんや、華道家とも明らかに違います。できあがった作品?は家族への夫の思いが十分に反映して、私も感動しました。父親と一緒に訪れた長女は素直に感激の気持ちを示していました。

 

この東氏、フラワーアーティストという本業というか、主たる仕事は、ビジネス社会の中で活用されているようです。著名ブランドショップのデコレーションから、パーティ会場の天井に葉っぱだけで作られた花輪のような飾りとか、建築家隈敬吾氏に依頼されたビルの一角に竹林を模した空間を配置したりと、次々紹介される作品を眼で理解し、記憶にとどめるのは、私には少し無理がありました。

 

で、驚いたというか、とくに興味を惹きつけられたのは、次のような作品です。しかも自費でやっているというのですから、驚きます。一つは宇宙に咲く花です。高度3kmでしたか、宇宙空間に飾り付けた花を浮かべ、散らすのです。そして地球に落下したとき回収も行うのです。宇宙空間の気象条件などを勘案して、また光の当たり具合なども考慮して、適切な花を選び配置するのです。どのような頭脳が働いているのでしょう。

 

その他いくつかあったと思うのです、深海に盆栽を浮かべるのです。深海魚が次々やってきて突っついたり、驚いて逃げていったりする様が録画されます。

 

また、圧巻というべきか、雪山に箱形の釣り上げ用機材を用意し、それで宙に浮いた根のついた松の木を終日、周囲の変化の中で描写するのです。漆黒の闇に浮かんだり、雪吹雪に耐える松であったり、旭日に輝く松であったり、霧で見通せない中うっすらと浮かび上がる松であったり、それは七色変化(古くさい!)です。

 

そしてそれは和歌の世界をイメージさせてくれる、時にそれ以上かもしれません。

 

その東氏、元々こういった花の造形家?を目指したり、誰かの弟子になって育ってきたのではないそうです。元は田舎で育ち、ミュージシャンを目指して都会に出て、アルバイトで花屋さんで働くことになって、それ以来、20年くらいこの道を続けているというのです。

 

東さんが、どのようなきっかけで、このような芸術的な生け花を目指すようになったのか、また、その能力をどのようにして高めてきたのか、それは今回は明らかにされなかったように思います。私が見ていない最初とか、途中で放映されたかもしれませんが、たぶんなかったと思うのです。

 

私は、事務所にたださまざまな花を飾るだけで満足するくらいですので、そういった創造性とはほど遠い存在ですが、彼の挑戦意欲をみると、できあがった個々の花に満足しなチャレンジ精神はすごいと思います。それに、お客さんの気持ちにできるだけそう、そういう花の活かし方を真剣に取り組んでいる姿勢は参考になります。

 

とはいえ、私は、ターシャの庭のように、自然の中で花が自然に生きる様が一番と思っていますので、東氏のようなやり方は尊敬に値しますし、次々と挑戦し、実践する姿に感動を禁じ得ませんが、私には不似合いです。

 

 

 


わが国の原爆への立ち位置 <湯川秀樹 戦中の原爆研究に言及・・>などを読んで

2017-12-22 | 原子力・エネルギー・地球環境

171222 わが国の原爆への立ち位置 <湯川秀樹 戦中の原爆研究に言及・・>などを読んで

 

今朝の毎日記事では、<湯川秀樹戦中の原爆研究に言及 京大が日記公開>と一面に大きく掲載したほか、社会面でも<湯川秀樹平和希求、湯川の原点 感情抑え時局凝視 終戦日記公開>と日記の一部公開にかかわらず、大きく取り上げられています。

 

記事は<日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者、湯川秀樹(1907~81年)が、終戦期の45年に書いた日記を21日、京都大基礎物理学研究所・湯川記念館史料室が公開した。湯川が生涯を通じて公的な発言を控えていた原爆研究「F研究」に言及。広島原爆投下や時局に関する記述もあり、専門家は「第一級の歴史的史料」としている。>とその意義を報じています。

 

その日誌・日記は相当量あるようです。<湯川の没後、遺族が38~48年の「研究室日誌」「研究室日記」計15冊を史料室へ寄贈。史料室は分析を順次進め、45年1~12月に書かれたB5判のノート3冊の内容を今回発表した。>公開されたものの時期は重要ですが、それでも全体の5分の1ですね。しかも44年以前はまだ未公開です。

 

とはいえ湯川氏が原爆研究に関与していたことを裏付ける記載が見つかったようです。<最初に「F研究」の文字が見えるのは45年2月3日で、研究の責任者だった原子核物理学者・荒勝文策教授らと相談したと記述。6月23日には、荒勝教授ら研究者11人と学内で第1回打ち合わせをしている。>

 

この「F研究」については<ことば>の中で次のように解説されています。

<太平洋戦争中、旧日本軍は極秘に原爆開発の研究を物理学者らに託した。海軍が京都帝国大の荒勝文策教授に依頼したのが通称「F研究」で、「fission(核分裂)」の頭文字を取って命名された。同じ時期、陸軍は理化学研究所の仁科芳雄博士に通称「ニ号研究」を委託した。ただ、いずれも内実は原爆製造にはほど遠かったとされる。>

 

なお、この日記には次のように広島原爆投下についても記述がありますね。

<広島原爆投下の翌日の8月7日、新聞社から「原子爆弾」の解説を求められたが断ったと記述。一方、同9日には新聞を引いて「威力は熱線が全体で数粁(キロ)に及ぶといわれている。落下傘で吊(つる)し、地上数百米(メートル)にて爆発」と書いた。>

 

とはいえ、日記・日誌とはいえ、湯川氏個人の内心はほとんど吐露されていないようです。研究者としての客観性を保持するために記述においても抑制されていたのでしょうか。

 

そして、毎日見出しでは<反核へ>と日記から湯川博士の思索の跡を見いだそうとしています。

 

このことと直接関係ないといえなくもない、ある毎日新聞連載小説をすぐに思い出しました。池澤夏樹著『アトミックボックス』です。これは一体どんな筋立てなのか、なかなかわからないまま、いつの間にか引き込まれて、とても魅了された連載小説の一つです。

 

もう34年前のものですので、おぼろげな記憶ですが、そこに湯川博士が登場していたと思います。このF研究に関わっていた頃です。弟子に当たるか、少なくとも後輩に当たる人が主人公の父親で、実家が広島にあるということで帰郷する話しをしたところ、避けるような婉曲的な助言を湯川博士がしたように記憶しています。

 

戦時中の湯川博士の日記も含めて言動について記録があまりなかったからでしょうから、この話しは作家の創造力なのでしょう。それはともかく、まず湯川博士は戦時中、原爆研究を始めていたこと、すでにアメリカでは相当研究が進み、実験の進み具合とか、実際の投下についても狭い研究社会では一定の情報を得ていたこともおかしい話しとまではいえないように思うのです。

 

ここまでなら問題は大きくないように思うのですが、次の展開がすごいのです。日本は原爆被災を受け、国民全体が非核三原則を侵してはならないものとして理解するようになったと思うのです。それにもかかわらず、戦時中の原発研究の埋め火のようなものが、ある勢力の基、再び独自の原発研究が再開されたのです。そのとき参加したのが先の主人公の父親です。

 

ところが米国の知るところとなり、結局、研究は突如取りやめとなりました。そのとき仲間のアドバイスを受けた父は、自分の身の安全を守るため、その記録をハードディスクのデータに隠して、出奔するのです。

 

その後彼は死ぬまで、家族にも誰にもこのことを秘密にして、広島の小さな島で漁民として暮らすのです。平穏だった家族の暮らしも、父の死によって一変します。しょっちゅう訪れていたおとなしい郵便配達員が挨拶に現れたかと思うと、父親の遺品のありかを母子に追求するのです。そう、彼は公安機関の密偵・監視役だったのです。

 

一人娘は大学でたしか民俗学かなにかを研究している助手だったと思いますが、その追究の中で、日焼けして無口だが優しい父親がなにか大事な秘密を、国から守ろうとしたのではないかと思うのです。

 

そして隠していたハードディスクを見つけ出した娘は、日本中の警察から追われる身となりますが、娘は果敢にさまざまな形で知り合った協力者を得て追求を逃れるのです。それはスリリングで、映画「逃亡者」顔負けの知能と体力を駆使するのです。この奇想天外な逃亡劇だけでもおもしろいですね。そして、最後にとうとうこの研究の首謀者に会って、印籠?を突き出し責任を追及するのです。結末は小説を。

 

で、この小説では、原爆による自衛・防衛を戦時中の研究段階から引き続き抱き続けている政治勢力が強固に存在することを示しているのです。それが現実性のある話しかどうかは別にして、意識としては反核というのは建前で、アメリカの核に依存すること、そのアメリカからも独立して核防衛、あるいはそれに近い代替兵器をも考える勢力が相当強く残っているおそれを感じています。

 

小説の世界ですので、おもしろく読めばいいのですが、湯川博士の日記登場ということで、反核の思想を検討するのが筋ですが、つい原発稼働で増え続けるプルトニウムが核開発に使われる危険性が高まる中、注意を払い続けなければならない問題ではないかとちょっと書きました。

 

ちょうど一時間くらいです。本日はこれにておしまい。また明日。


江戸時代の裁判 <渡辺尚志書『武士に「もの言う」』百姓たち」を読みながら

2017-12-22 | 農林業のあり方

171222 江戸時代の裁判 <渡辺尚志書『武士に「もの言う」』百姓たち」を読みながら

 

今朝の旭日は久しぶりに冬の凍てつく青空にくっきりと朱に染まる高野の峰峰が鮮やかに浮かんでいました。関東に住んでいる頃、冬景色が好きでした。東京湾のコバルトブルーに沿岸の工場地帯から横浜MM21,さらにディズニーランド、そしてずっと奥には筑波の見事な山容が美しく映えるのです。この景観はいつみても素晴らしいものでした。

 

海上を走るタンカーに自衛艦や米軍艦船もおとなしく規律正しく走行しているので(航路規制が厳しい)こういった洋上の光景も動きがあっていいものです。ふっと江戸時代の帆船が当然ながらもっと数量的には多く行き交っていたのではないかと、その賑わいを彷彿させてくれます。

 

そんな江戸時代について、渡辺尚志一橋大学教授は、従来の近世農民史の定説的な農民像に疑問を投げかけ、数々の著作を一般向けにも発表してきた啓蒙家の有力な一人と言っていいのではないでしょうか。

 

見出しの著書、一般向けですから、とても平易で私のように古文書の読解に難渋する人間には重宝します。

 

ここでは、封建時代の農民像を描いた従来の見方、武士に見下され、差別的取り扱いを受け、数々の触れ書を含む公的文書からは虐げられ続けていた姿を示してきた近世、とくに農民史の専門家に、詳細な記録を基に、百姓の生き生きと自立する近代人的な姿をリアルに表現しています。

 

副題は、「裁判でよむ江戸時代」ですが、基本は長野県の小さな村で起こった裁判事件の展開を具体的に描写して解説しています。最初に江戸時代の裁判制度を紹介していますが、これは一般的な内容で、これまでも多くの人による解説がなされています。

 

百姓は裁判なんかしない、なんてことはありません。いや、江戸時代は百姓が武器を持って争うことを禁じられたわけですので、百姓にとって一揆などの違法手段は最後の手段であって、もっぱら裁判を行っていたようにも見えます。

 

だいたい、記紀の(私が記紀というとき日本書紀の記載だったと思うのですがそれをチェックしないままなので、適当に記紀と表現しています、古事記にも記載があるという前提ではありません、どちらかにあったかという記憶に基づいています)第17条憲法に、聖徳太子が朝廷の官吏に対して、業務の怠惰を戒める言葉を示していますね。早朝出勤して業務に励む必要を訴えていたかと思います。そうしないと百姓の裁判が滞っていつまでも解決しないことを問題にしています。

 

ですから、百姓の裁判はおそらくは古墳時代にはあったのではないかと思うのです。大王の権威は裁判による解決で正義を実行するという面も重視されていたと思われます。

 

それが戦国時代は武力で決着していたのですから、百姓も銃・刀・槍をもって自分の田畑山林を守り、あるいは侵奪していたのでしょう。

 

百姓の争いは、多彩でした。自分たちが所持する土地の境界争いは絶え間なかったと思います。その中には田畑もあれば、肥料・薪・建築材となる草山、芝山、薪山、篠山、針葉樹林などなどの境界争いが多かったと思います。むろん用水争いも深刻でした。その種の裁判は、fbとかこのブログで一部紹介したことがあったと記憶しています。

 

で、この著書では、名主の地位を争う裁判です。と同時に背任・横領という関連する裁判で、この種の地位を争うケースではよくあるパターンでしょうか。そこに江戸時代特有の高持百姓といった年貢を支払う百姓でも、かなりの農地をもつ百姓群と、数反程度しか持っていない、江戸時代にも多かった兼業農家との対立が関係しています。百姓という言葉は、姓に職業性を認め、それがたくさんある、つまりは庶民を示しているとも解説されることがあります。実際、農民の多くは農業だけをやっていたわけではなく、村で自給自足する地域では、道具を作る鍛冶職人、桶職人、豆腐職人などなど、多くの仕事を農業の副業あるいは本業でやっていたようです。

 

もう一つ、名主は、村の代表でもあるし、年貢を取り立てる側の役人的立場にもありました。とはいえ、村単位で年貢を納めるので、村ぴとの中に不作とか、病気で年貢を納められないときは、代わって自腹か工面して納めることが期待されていました。その名主役は世襲制もありましたが、入札制もあり、後者は資格のある百姓による選挙制でしたが、現代と違うのは立候補制でなく、当然、その政治的行政的意見なりを評価して札が入れられるわけでなかったのです。

 

で、細かいことは省きますが、そろそろ事件にはいります。

 

舞台は松代藩、藩主は大阪城冬・夏の陣で家康を震撼させた幸村の兄、真田信之です。その後明治維新まで続いたのですから治世がしかりしていたのでしょう。そこに記録がたくさん残っていて、その中に裁判記録も詳細に残されていたというのです。

 

名主は入札制で、長年選ばれていたのは所持地の多い百姓が順番で交代しているような実態でした。ところが、所持地の少ない百姓が寄り合ってそれに抗議して、自分たちの代表を名主にするようにと申し入れ、3年後に名主にすると一旦決着したのですが、交代を拒否したのです。それで問題が発生しついには裁判沙汰になったわけです。

 

時代は19世紀初頭、幕末の飢饉の影響や百姓の交易活動などで合理的な思想が普及するなど、時代の様相が変わりつつある時期に起こっています。

 

当時は民事も刑事の一部も同様に扱われていたようです。EUの中でもそうですね。イタリアが全面的にそうなっていたと思います。この手続きの便利な点は、刑事事件で迅速に裁判がでれば、同時に民事でも賠償額が決まるといった、共通事件処理のメリットでしょうか。弊害もあるのですが、今後わが国でも部分的な導入を検討されて良いかもしれません。

 

また元に戻って、旧来の名主層に対して抗議をしたグループは、いくつかの理由を挙げました。一つは、他村のお寺に借金があるとのことで、村人が負担して返済してきたが、そのような借金がないと、住職などの証言を根拠に主張したのです。

次に、元村民が多額の借金をして村外に逃散し、その借金も村民で返済しているが、その借金はすでに返済済みだということです。

これに加えて、これまでの名主は、他村の行事に出席するのでも余分の出費をしたことにして村費を不正に使用しているといったことです。(これはいずれも一週間くらい前にざっと読んだ記憶ですので曖昧です、正確なところは是非上記の著作を見てください)

 

この争点は、代官だったと思いますが、吟味調査をしていくのですが、その中で抗議側の何人かは偽証をリーダーにそそのかされたとして、リーダーが捕縛されます。

 

これで一気に解決かと思いきや、江戸時代、いや戦後もある時期まで刑事裁判は自白中心主義ですので、リーダーの自白がとれないと裁判ができません。ところがリーダーは頑として自白を受け付けません。

 

そしてさらに上層部の勘定奉行かが裁判に当たることになり、結局、よく吟味すると、お寺の借金も村外に逃散した百姓の借金も、すでに返済してない、それにもかかわらず返済を続けるという名目で村費として出費していたことがわかりました。その他の村費の出費も同じでした。

 

これいまよく問題になっている公金不正使用なり、横領ないしは背任になりかねませんね。

 

この結果に至るまで長い、長い裁判が続いています。百姓側は(抗議側)当然、明確な裁判を求めてきたのですから、白黒つける結果を期待しますね。

 

でも江戸時代の裁判は、内済(和解でしょうか)ないしはそれに近い解決がほとんどでした。で、このケースでも、会計不正や偽証、あるいは原告になった側、いすれも藩を騒がせたと行って不埒な行為と非難しつつ、叱責程度で、それが判決書のようです。名主は後日抗議側のリーダーに変わっていたと思います。

 

結局なんだっただろうと思いますが、それでもいわば一審、二審、三審的な様相で、百姓の訴えを無視できず、徹底的に審理せざるを得ない、そして一刀両断的に判断できない、当時の権威の形骸化や判決といった解決が村社会では収まりがつかなくなることへの配慮がうかがえます。

 

ほんとは再度読み直して書こうかと思っていたのですが、未消化のまま書いてしまいました。数時間で読み通せる内容に書かれていますので、興味のある方はぜひ。

 

ちょっと別の裁判例を今度紹介できればと思います。

 

 

 


議事録は必須 <政府の重要会議、議事録ないケース>などを読んで

2017-12-21 | 行政(国・地方)

171221 議事録は必須 <政府の重要会議、議事録ないケース>などを読んで

 

今日は朝から大阪・堺まで出かけていって、夕方前に帰ってきたら、依頼者から突然の電話で相談があり、業務時間終了時にようやく終わり、いま一段落しています。

 

堺での用事のついでに、一度は訪れたかった大山古墳(いわゆる伝仁徳天皇陵)を訪れました。百舌鳥古市古墳群として来年の世界遺産登録を目指すことが決定したとのニュースをいつか見た気がします。世界遺産登録の対象となること自体、その規模・世界史的な意義などからも当然と思いつつ、でも対象としてふさわしくないのではとも思うのです。そんな気持ちで写真を撮っていたら、たまたま観光客もいなかったこともあり、ガイドの一人が近づいてきて、いろいろ説明しようとするのです。ありがたいが一般論は結構ですと断り、被葬者の問題などを指摘したりすると、今度はその方も世界遺産登録に疑問を投げかけてきました。

 

世界遺産とするなら本来の前方後円墳の形状に戻すべきだといった意見でした。それはそうでしょうね。秦の始皇帝陵も発掘調査などを続け、次第に全容が明らかになりつつあるわけですから。現在のように立入禁止で、被葬者すら特定できていないのに、仁徳天皇陵として登録したりしたら、どうなるのでしょう。比定の根拠は平安時代の延喜式でしたか、当てにならないように思うのです。記紀の記載から見ても矛盾しませんかね。仁徳の諱は苦しむ民の姿を見て3年間でしたか?免税措置をとったとか、仮にそうだとしても、こんな大規模工事を庶民に負担させる苦役を強いる人が仁政を行ったと思えますかね。

 

すでに考古学の世界では解決されたように思いつつ、歴史学の世界でもいろいろ諸説が紛糾しているようにも思え、そのような議論は素人には楽しい限りです。でも記録があまりになさすぎますね。当時は文字を書く人がいなかったというのは誤解ではないでしょうか。きちんと意思決定の記録が残されていたが、乙巳の変で、蘇我蝦夷ではなく変を起こした張本人が焚書坑儒ではないですが、都合の悪い記録を始末したのではと愚考しています。

 

と余計な話しをしてしまいましたが、為政者の意思決定はきちんと記録に残されるべきであることは、だれも異論がないように思うのです。ところが、わが国ではなかなかそのような公文書管理が根付きませんね。

 

今朝の毎日記事<行政文書管理残る課題 政府の重要会議、議事録ないケース>と<公文書管理政府が見直し案 「1年未満」廃棄時も記録>で取り上げられた問題は、真剣に検討してもらいたいですね。

 

私自身、日弁連の委員会である部会を主催していたことがありますが、昔は職員が傍聴して議事記録を取るようなこともありましたが、ある時期から委員自身でとるようになった記憶です。いずれにしても、そのような議事録があることで、どのような意見が出て、最終的な決定に至ったかがわかり、その判断過程の問題点を後から振り返って検証することもできます。問題のある決定であれば、異なる意見がなかったか、あるいはその決定を支持した意見に裏付けが十分でなかったとか、検証できますね。

 

議事録をどの程度丁寧に残すかはその問題ごとにABCといったランク分けをして、それに応じた記載も考えていいでしょう。

 

人間の意思決定は誤りやすいですし、誤りがあればどのような議論の結果なされたか、正しい場合でもその議論の立て方、根拠資料の分析などは、今後の参考になるわけですね。

 

その点では、行政行為、しかも国家機関の場合はすべて重要でないものはないでしょう。議事録を残さなくて良いものはないとってよいと思うのです。むろん重要性に違いが相当あるわけですから、それに応じて文書化や記録管理には工夫が必要と思います。

 

しかし、毎日記事で取り上げられているように、皇室会議の議事が概要のみというのは議事録の体をなしていないのではないでしょうか。公表する場合一定のクローズが必要であることは確かでしょうけど、議事録自体は重要な場合個々の発言者とその発言内容は丁寧に記録されるべきではないでしょうか。

 

皇室会議の議事録といった限定でなく、重要な政府機関の意思決定一般については当然、上記のことが当てはまりますし、もう少しいくつかの手法をとりいれてもよいと思うのです。

 

たとえばビジュアル化という意味ではビデオ録画を原則にするといったことが一定の会議についてはあてはまるように思うのです。単に録音するだけでもいいと思うのです。現在のAIは視覚だけでなく聴覚も繊細かつ機能的になっていますから、直ちに文書化も可能ですね。

 

しかも一定の議題ごと、論点ごとなどで、人間の能力の何十倍何百倍の速さで、わかりやすい整理も可能ではないかと思うのです。

 

それらはAI記録なり、AI文書として保管しておく必要があると思うのです。できればすべての政府・行政の担い手の言動は記録として残して欲しいと思うのです。民間なり、プライバシー確保の必要性が高い場合でも、記録自体は残しておくのが本筋ではないでしょうか。

 

民間にしろ、議員にしろ、政府や行政にアプローチすること自体、それは公益に関わることですので、秘密裏に運ぶべきではないと思うのです。対象となるのは会議にとどまらず、面会、交渉すべてです。

 

ICレコーダーを用意すれば簡単です。それは電磁的記録としてPCに保管され、同時にAIによって文書化も一瞬で可能になるはずです。

 

それを文書として公表することについては、一定の基準で、期間や内容を考量して、最終的には全部開示できる制度化を求めたいと思うのです。

 

国家的機密や個人のプライバシーといった秘匿性は、その限りで確保できるのですから、まずは議事録作成・保管ということをはじめてはどうでしょう。

 

議事録を作っていないとか、一年未満で廃棄といった問題は、とりあえずこのような処理で対応できるのではないでしょうか。

 

記録はPC内で保管することで、文書記録の膨大さのために狭い部屋が占領されるといった弁解はなりたたなくなるでしょう。なんでも記録すると、膨大な記録の中に重要な案件が埋没するといった不安もACは解決してくれるでしょう。

 

後は、どのように公表するかを、改めて時間をかけて議論して、少しずつか、思い切りか、開示する道筋をつければいいのではないでしょうか。

 

とここまでで一時間です。堺・橋本をつなぐ高野街道はいつも混んでいて、滅入ります。どっと疲れた中で、青島顕記者の丁寧な記事を読み込むだけの元気がないため、ただただ、自分の考えを述べるだけに終わりました。もう少し地に着いた議論をすればいいのですが、ご勘弁を

 

今日はこのあたりでおしまい。また明日。


来年度の税制をどうみる <18年度税制大綱 決定>と「2800億円増税」の舞台裏>などを読みながら

2017-12-20 | 税制

171220 来年度の税制をどうみる <18年度税制大綱 決定>と「2800億円増税」の舞台裏>などを読みながら

 

サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ、という植木等の映画を見て育った私ですが、結局、その裏にある厳しい現実も知ることもなく、サラーリーマンになることもなく一生を送りそうです。

 

そのサラリーマンにとって重要な給与所得課税について増税だ減税だという話題もわき起こっていますが、とりあえず18年度改正の骨子を少し自分の頭で整理しつつ、今朝の日経ビジネス記事が指摘する「舞台裏」というものも覗いてみようかと思うのです。

 

とりあえず毎日記事が取り上げたものをピックアップして全体像というか概要を整理してみようかと思います。

 

18年度税制大綱決定 身近な増税じわり 企業は優遇ずらり>は、一連の増税対象のスケジュール表を示していますので、増税目白押しの印象があります。

 

この点、記事は<14日に決定した2018年度税制改正大綱では、企業の負担軽減策が目立つ一方、暮らしに関わる税制では増税メニューが目白押しとなった。安倍晋三政権は、賃上げなどに積極的な企業への減税策拡充などを通じ、賃上げによる消費拡大を狙うが、19年10月には消費税増税も予定されており、家計への負担増は消費に悪影響を及ぼす恐れもある。>と家計負担と企業優遇といった切り口です。

 

それぞれの増税内容について総括しているので、この記事で概要はわかるかと思います。それぞれ別の記事が詳細に取り上げていますので、それも引用しておきます。

 

まず、<所得税の控除見直しで年収850万円超の会社員を増税>については<所得税改革増税対象230万人 「年収850万円超」 自公税調了承>で、次のように指摘しています。

 

<政府・与党の試算では、増税額は年収900万円で年1・5万円、年収950万円で年3万円、年収1000万円で年4・5万円となる。

 政府・自民党は当初、会社員に適用される給与所得控除を一律10万円減額し、年収800万円以上は控除額を190万円で打ち切る一方、すべての人に適用される一律38万円の基礎控除を10万円増やす案を検討。年収800万円超の会社員を増税とする方針だった。>

この800万円に公明党が反対して、850万円に落ち着いたようです。この50万円の差がどういう意味を持つのか、両者の主張する根拠があまり説明されていないように思うのです。控除額10万円アップで減税することから、その分増減財源を探すのはわかるのですが、この分水嶺がどのようなデータで妥当といえるのかは国会で議論されるのでしょうかね。

 

850万円以上の人でも例外があり、<家族に22歳以下の子どもや介護が必要な人がいる場合は、増税対象外とする。政府・与党によると、年収850万円超の会社員は約430万人で、子育てをしている約190万人と、介護をしている約10万人を除く約230万人が増税となる。この増税による税収増は、900億円程度となる見込み。>とのこと。

 

次に<企業向けでは減税措置の拡充>は多岐にわたっています。<目玉は3%以上の賃上げに踏み切った企業に対する法人税の優遇措置だ。税制面から企業に賃上げを促して、消費底上げにつなげたい意向だ。>この目的自体は、内部留保に向けられていた分が賃上げに向かうことを促進するのですから、サラリーマンにはうれしい話しですね。景気のいい大企業だけでなく中小企業も恩恵を受けているところは賃上げマインドに入りやすいかもしれません。

 

この点記事は、この減税措置の広がりに懸念を示しています。<法人税優遇措置は、当然ながら法人税を支払っている黒字企業が対象。国税庁の15年度の調査では黒字企業数は全体の約36%にとどまる。そのため優遇措置を受けられる企業の広がりに欠けるのが実情だ。また、給与体系を引き上げる賃上げはボーナスと違って一度決めると従業員の退職まで影響が残る。優遇措置は3年間の時限措置のため、慎重に見極める企業が出ても不思議ではない。>3年を延長することもあるので、ま、この減税措置は好意的に見てもいいのかなと思うのですが。

 

インバウンドが急激に増大する中、「国際観光旅客税」(出国税)は遅きに失したかもしれませんが、それ自体は増税は妥当ではないかと思うのです。ただ、税額が1000円が妥当かどうか。各国比較をしても一桁違うとはいいませんが、この何倍かでもよかったのではと思うのです。観光客にとって1000円程度はさほど負担にならないのはわかりますが、5000円だと負担感が多少あるかもしれませんね。それか3000円くらいもありではないでしょうか。一定のデータを基に合理的な裏付けがあるのでしょうね。

 

<1000円という金額は、韓国とほぼ同じ水準。16年の出国者数約4100万人(日本人1700万人、外国人2400万人)で計算すると、約410億円の税収となる。>それが観光目的だけに使われる措置がとられていないので、政府の意向次第となるのも懸念です。5倍で1000億円くらいだと、観光目的に本格的な支出が可能となり、観光資源が豊富にある日本で、外国人向けの対策が不十分なところをかなりおぎなえるようになると思うのです。

 

出国税19年1月導入 名称「国際観光旅客税」 2歳以上1000円>という記事では、<旅行業界からは「格安航空会社などは運賃水準からすると少し影響が大きい」(片野坂真哉・ANAホールディングス社長)との懸念が出ているほか、国際線利用者からも「日本人にどのような恩恵があるのか疑問」(羽田空港から中国・上海に出張した62歳会社員)と不満が出ている。新税はそんな声を置き去りに見切り発車する形で、納税者が納得できるような税収の使い方ができるかが問われそうだ。>と不満・疑問の声が上がっています。

 

たしかに日本人の場合、とくにビジネスで利用している人にとっては、課税の合理性が問題になり得ますね。ただ1000円という金額だと、そこで問題にするほどでもないように思うのです。とはいえ、格安航空券を利用しているような人だと、1000円でも負担を感じるのでしょうか。それもどうかと思うのですがね。税収に見合う観光整備をすればさほど問題にならないように思うのです。

 

この点、<訪日外国人旅行客の買い物にかかる消費税を免税する制度>を拡充することになっているので、<免税申告の電子化>も相まって、訪日外国人にはタイムリーとまではいえないとしても及第点をあげてもいいように思うのです。金額をもっと上げて、観光整備がしっかりできれば上等なのですが。

 

インバウンドによる税収増はすごいですね。<今年1~9月の訪日客の旅行消費額は3兆2761億円で、年間最高だった昨年を上回るペースだが、政府は20年に訪日客の消費額を8兆円にする目標を掲げている。>消費税増税分を超える金額を得ているのですね。観光整備により重点を置けば、税収増が期待でき、医療介護福祉へもっと回せますね。

 

次はたばこ増税です。<2018年10月から、紙巻きたばこは4年間かけて1本3円、加熱式たばこは5年間かけ段階的に増税する。10年10月に紙巻きを1本3・5円増税して以来の増税となる。>

 

これも一覧表になっていて、種類に応じて段階的な増税が一目瞭然となっています。

<財務省などによると、16年度の紙巻きの販売数量は1680億本と20年前(約3500億本)から半減。ただ、03年度以降で3度増税したこともあり、たばこ税収は2兆円超で推移し、20年前とあまり変わらない。>

 

増税により、タバコの購買数が減少していることの結果でしょう。たばこの消費が抑制されてきたことや、健康志向も影響しているのでしょう。たばこの有害性を指摘する立場からすると、さらなる増税をとなりますが、自民党ではさきの喫煙規制案も結局強い反対で流れてしまったぐらいですから、当分はこんな状態で減少傾向を緩やかに描くのでしょう。

 

今度はお金のあるところからしっかり税収を確保するという意味での対策強化でしょうか。<相続税の課税逃れ対策を強化>については、さまざまな節税対策の一つとしてこれまで取られてきた方法にもメスを入れたという感じでしょうか。

 

<不動産などの資産に対して相続税が課されない一般社団法人を使った相続や、小規模宅地に対する相続税の軽減措置を使った相続について、課税逃れと判断される場合は税優遇や非課税の対象から外す。>というものです。

 

以前は社団法人の設立も簡単ではなかったと思うのですが、最近は管轄官庁も自由な団体活動を認める方向で、とくに一般社団法人については設立が容易になってきたのでしょうか。それを節税対策として活用する手法は、よくわかりますね。そういえば相続人の数を増やすために、膨大な養子縁組をするケースがあり、そのため相続税課税上は制限を設けたため、いまではその手法はすたれましたね。この法人化も実態のないものでしょうから、この規制ですたれるでしょうね。いたちごっこかもしれません。

 

こんなこすい手を使うのは知りませんでしたが、よほど相続税を免れたいのでしょうね。

<小規模な宅地を相続する際に課税評価額を8割減らす特例措置を使った節税にも対策を講じる。特例は、親から宅地を相続する子が親と同居していなくても、持ち家が無ければ適用される。子が自分が住む持ち家を親族らに贈与するなどした上で住み続け、形式上、持ち家が無いことにして特例措置を受けるケースがある。}

 

 この弊害をなくすため、<もともと自分の持ち家だった家や、3親等内の親族が所有する家に3年以内に住んでいた場合などは、特例の適用から外す。>というのは当然でしょう。ただ、税金が払えないといって、分割してさらに小規模区画にして分譲されると、分譲地の整った景観がますます失われる懸念が残りますね。北米の分割禁止を原則とする厳しいゾーニング制を直ちに採用することは無理としても、打開策を考えないと、相続税対策のため、ますます地域環境が悪化するように思うのですが。

 

以上については別の記事で少し詳細に書かれています。<相続税逃れ対策強化 社団法人設立「隠れみの」 政府・与党、非課税対象除外

 

森林環境税 「緑の恩恵」に一律1000円>

ようやく実現する日がやってきましたか。

 

<森林管理の財源として2024年度から「森林環境税」を導入する。住民税に上乗せし、1人当たり年1000円を徴収する。

 地球温暖化の防止や水源保全の一環として、増加する所有者不明林などを管理するための財源とする。>提唱されてから何年経ったのでしょうね。

 

税収の使途は当然、はっきりしています。<徴収した税金は既存の特別会計に入れたうえで、私有林の面積や林業従事者数などに応じて市町村や都道府県に配分。自治体は、間伐や林業の担い手の人材育成、公共建築物への木材利用促進などにあてる。税金は24年度から徴収する。>

 

ただ、上記の使途<自治体は、間伐や林業の担い手の人材育成、公共建築物への木材利用促進などにあてる>は、これまで都道府県などで先行した事例について、検証しておく必要があると思います。どのように有効に使われたかを可視化する形で検証できないと、その地球温暖化対策などに実効性に疑いをもたれる結果がすでに生じている懸念があり、そうしておかないと、森林環境税への負担に共感を得られないと思います。

 

いや、この程度の金額ではどの程度効果があるかも心配です。実効性が高いことが裏付けられれば、さらなる税額増大も検討してしかるべきだと思うのです。

 

そして企業活動に対する税制改革は幅広いですね。

まず、<事業承継 中小の代替わり、円滑促進目指す>という点。

 

<中小企業経営者の代替わりを集中的に進めるため、事業承継を促す税優遇策を拡充する。非上場の中小企業の経営者から親族や従業員などの後継者が株式を引き継ぐ場合、相続税を全額猶予することなどが柱だ。>これは全面的な優遇策となっていますね。TV番組の「陸王」を産み育てる工場は結構広い敷地・建物ですから、ほんとうなら相続税が大変でしょう。こんどの改正で、社長が息子に事業継承する負担が軽くなるでしょうね。それよりも今の競争に勝てるかが問題かもしれませんね。

 

<地方消費税 都市部に偏向、是正を目指す>これができたら、ふるさと納税のように、それなりの意義があると思います。

 

だいたい、当地のような田舎だと、デパートもありませんし、大規模ショッピングセンターもありませんので、近くの都会まで出かけていって大きな買い物をする傾向は一般にあるように思います。それではますます現行の地方消費税では居住する地元に入りませんね。

 

それで改正法は<消費額に使用する統計データの中でも、売り上げが計上される場所と実際の消費地が異なることが想定される百貨店や家電量販店の販売額など一部項目を除外。消費額で配分する比率を50%まで引き下げる。>とのこと。これでどのくらい増えるか、期待したいですね。

 

次は評価が難しい<法人税実質20% 「脱デフレ」にアメとムチ>です。

 

<デフレを脱却し経済を活性化するには、伸び悩む賃金を引き上げ、増えた所得が消費に向かう好循環が欠かせない。会社にためこんだお金を設備投資に回してもらうことも必要だ。このため今回の税制改正では、3%以上賃上げした企業や設備投資に積極的な企業を税優遇する。>詳細は記事を参照ください。

 

これに対し、賃上げに消極的な企業に対しては増税ですね。<賃上げや設備投資に消極的な企業には、税優遇する既存の租税特別措置の対象から外す。具体的には、研究開発に取り組んだ企業に適用する「研究開発税制」などの適用対象から外す。中小企業や業績が悪化している企業は例外とする。>

 

これがアメとムチの有効策となるかは、まだ見通せませんね。内部留保に傾く日本企業の体質は、企業風土によるともいえるわけですので、さてどの程度その岩盤が緩むかですね。

 

さて、最後に<税制改正、「2800億円増税」の舞台裏 安藤毅 日経ビジネス編集委員>を取り上げようと思うのですが、ここまでで少々つかれてきましたので、これは記事を読んでもらえば幸です。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日