ご無沙汰ばかりで…。
昨日、ブログ友から連絡があって…。
ありがたいことです。パソコンを開くきっかけを作って下さり
こうして書き始めています。
先日、道南地方へ車で家族旅行に行ってきました。
そのことから書き始めてみようと…。
東京は桜の開花宣言がありましたが、
北海道は今日も雪が降りました。
気温は少し上がって-3度。
タイトルの「知里幸恵さん」。
ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
私は知りませんでした。
偶然車の窓から『知里幸恵さん』の記念館が
登別にあると見つけた娘が行きたいということで
寄り道することになりました。
娘が小学校の国語の教科書に彼女の詩が乗っていたらしいのです。
とても好きでずっと記憶に残っていたらしい。
私はと言うと何の知識もなく、おまけにちょっと疲れ気味で
家族に付き合って時間つぶしに入場しただけ。
…のつもりだったのです。
おおよそ記念館、博物館にはフムフムという感じで
知識を詰め込んで帰って来るだけの私なのですが、
この『銀のしずく記念館』には深い感動を覚えました。
知里幸恵さんはアイヌ人としてアイヌ語を初めて文字に表し
日本語にも翻訳した女性なのです。
この方の人となりは★をぜひ読んでください。
帰って来てから、頂いてきたいろんな資料を読んでいて
知里幸恵さんの弟が北大の言語学者知里真志保さんであることや
金田一京助さんとも深いかかわりがあることを知り
ちょっと驚きました。
資料館に展示されていた彼女のご父母様にあてたお便りなどは
心が洗われる思いで読ませていただきました。
世の中にこんなに美しい心を持ち続ける事のできるモノなのだろうかと
しみじみ感じ入ってしまいました。
金田一京助さんからいただいたノートをとても大事に
まるで活字のようなローマ字をには目を見張ってしまいました。
なぜローマ字かというと、アイヌ語の独特な発音を表現するには
ローマ字での表記が最も適していたからなんだそうです。
梟の神の自ら歌った謡
「銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら
流れに沿って下り,人間の村の上を通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持ちになっていて,昔のお金持ちが
今の貧乏人になっている様です.
これは知里幸恵の『カムイユカラ』の最初に収められた
フクロウのカムイユカラの冒頭の部分です。
彼女の事は 自分の備忘録としてまたの機会に書きたいと思います。
ご心配かけてすみません。
でも吾亦紅さんも仰っていたようにあせらず、
のんびりと自分のペースで楽しみながらブログにもかかわっていこうって思っています。
一番の楽しみのはずなのに自分の負担にしてはダメですよね。
今日はデジカメ教室でした。
旅行先の大沼の駒ヶ岳の写真をもっていって
駒ヶ岳の写真の撮り方をみてもらいました。(^-^;
良かった、旅もなさったのですね。そこでこんな素敵な出会いがあって、よかったですね。
私は、この方について何も存じあげませんが、もともと日本の土地にいた人たちが、外から来た人たち追いやられて、端の方に住んでいる、それがアイヌとか奄美だと言った人がいます。
正解なのかは知りませんが、アイヌの人たちと奄美の人の顔は似ています。
片目が常に不自由さが付きまとい、
不快感、圧迫感で物事に対してついあきらめが先に立ちます。
モンゴルのホーミーをご存知ですか?、
モンゴルに伝わる特殊な歌唱法で喉を緊張させて笛のような声を発する歌笛の事ですが…。
喉を詰めた声をここで共鳴させるというのどから出す独特の発音があるようなのです。
アイヌ語にもそういう発音方法があるらしいのです。
そういう時彼女は例えばFを小文字のfを使うとか工夫しているようなのです。
彼女がアイヌ語を文字に表した創始者であったということなのです。
私は何にも知らずにおりました。
確かに金田一京助さんたちの要請によって東京に進出したようです。
先天的に心臓病をもっていたようですのでつらかったと思います。
彼女の二人の弟たちもやはり心臓病でなくなっていますので
遺伝的なものだったのかもしれません。
富山の方にもアイヌ語の発音に似た言葉があると聞きます。
どんどん土地を追われて北海道まで入植してきて
そこも安住の地ではなくなったのかもしれません。
始めまして。よろしくお願いします。<m(__)m>
アイヌもアメリカインディアンも、住むところを追われて迫害を受け
つらい生活を強いられていたと思うと、胸に迫るものがあります。
何も知らずにのんきに暮らしていた自分に自己嫌悪を感じてしまいます。
パソコンから遠ざかってしまうとパソコンを開くのもおっくうになってしまってました。
きっかけもつかめずただ漫然と一日を過ごしていて…。
知里幸恵さんは、とても頭脳明晰の方だったようです。
アイヌの方は言い伝えによって意思の疎通(コミュニケーション)を図っていたようです。
文字を持たないので当然のように和人の言葉は理解できない。
そのときに幸恵さんはバイリンガルに両方の言葉の通訳ができたというのですからすごいと思いました。
人間さぼると際限がなくなるようです。(^-^;
知里幸恵さんという方が19歳で夭折したことも知らずにいたのです。
沖縄の方に知念さんという名前の方がいますが…。
知里さんという方と関係があるのものかどうか…。
北海道にはアイヌ語がもとになってる言葉がたくさんあります。
昔の貧乏人が今は金持ち和人なのでしょうね。
ローマ字の表記が微妙な表現に適していたとは初めて知りました。
お名前は記憶から飛んでいますが、言語学者の強い要請に
周囲の反対を押し切って応じた物だったと
間違ってるかもしれませんが、
沖縄の人たちが北上して北海道に住み着くようになったと聞いたことがあります。
北上の途中、石川県能登のほうにも留まった方々がいて
能登にはアイヌ語に似た発音の地名があるとも聞きました。
アイヌ文化やアメリカインデイアン文化を素晴らしいと憧れて来ました!でも、知念さんのことは知りませんでした。金田一さんとのことは断片的に聞き齧っていただけでした。
二つの文化に触れる貴重なきっかけを頂きました♪ありがとうございましたm(__)m
お元気で良かったです
知里幸恵さんは知りませんでした
詳しく検索してみたいと思いましたが これから美容院 ボランティアです
暇をみて 詩を見てみますね
お名前だけだと、沖縄の方かと思いました
アイヌの方は、もっと北の方に住んでいたと思っていました
阿寒湖もアイヌ語だと聞きました
あの民族の方は、とても厳しい差別を受けて来たとか。
国会議員さん、いらっしゃいましたね