12月11日、 今日で62歳になりました。
12月の誕生日と言うのはなんか損の連続だったような気がします。(これってひがみ?)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
子供の頃、あるとき、母が忙しさで私の誕生日を忘れてしまったのです。
夕飯のとき「あっ」と大きな声で「わすれてた~~~」と誕生日を思い出し
「○○の誕生日 クリスマスと一緒でいいね?」と有無を言わさず、
その時から、私の誕生日はクリスマスと一緒だった気がします。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
思えば母は、デリカシーのない人だったんだな~と今更ながら思います。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
子供の頃の私はと言えば、なんにも言わないおとなしい(?)子だったのです。
父が会社をやっていて、母は父を差し置いて(?)、自分で経理も何もかも一人で采配をふるっていたように思います。
子供でしたから、その内情はわかりませんが・・・。
それで私はいつも一人遊びをしている変わった子だったようです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_alone.gif)
本人はそれで結構楽しく遊んでいたのですが、人と和すことのできない問題児だったようです。(ほっといてくれ!!)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock2.gif)
兄弟は、姉と弟がいますが、二人はきっと友達と遊んでいたのでしょう。
問題児とは言われていませんでしたし、兄弟で遊んだ記憶もないんです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
その代わり父が良く私を山歩きに連れて行ってくれました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fuku.gif)
父も私も無口で そんなに会話らしい会話は覚えていないのですが、山に生えている植物や、樹木の事は良く教えてくれて
山で迷子になったらこんな草を食べたらいいとか、この草の根にはこんないもがついていて、生でも食べれるとか、
白樺の皮は良く燃えるから、暖をとるとき便利だとか・・・。
喉が乾いたら、いたどりの茎を切り中の水を呑めばいいとか・・・。
そうそう、野鳥もとてもよく教えてくれました。
実に父は良くおぼえていて、色々な事を教えてくれました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
父とは、本当にあまり会話したと言う記憶がないまま大人になり、結婚してしまったように思います。
結婚してから実家に用事があり電話をかけて、父が電話に出ても、慌てたようにすぐ母と替わってしまい「元気?」とも言えなかった気がします。
ある年、丁度50歳になった日、ふと実家に電話をかけたら、父が電話に出て、
その時は、不思議と母に替わる事もなく私とおしゃべりをしていて (あの時 母は不在だったのかしら?)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
「今日、私の誕生日なの。今日で50になちゃったよ。」と言うと「そうだな~憶えていたよ。おめでとう」と、言ってくれて、
私も、素直に「私を産んでくれてありがとう。」って考えてもいなかった言葉が、口をついて出て、おまけに涙まで出てきて、![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
そうしたら、電話の向こうで父も涙声で、後は何を話したか覚えていないけど、最後に「長生きしてね?」と結んだのは覚えています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
その年から私は、自分の誕生日は、父と母に、産んでくれた事を感謝する日にしようと決めました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
でも父とは、その日を最後に、私とは取り立てて話す事もなく入院し、3カ月後にガンで逝ってしまいました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_uru.gif)
あの時のあの会話はなんだったのか?
寡黙な父があんなにおしゃべりしたのは何故だったのか?![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en2.gif)
でも、あの日あんなにたくさん、父とお話出来て、産んでくれたことを言葉に出して「ありがとう」と自然体で言えた事が、私の心の平安と繋がっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
50歳のその日を境に、誕生日には母に電話をかけ、「私を産んでくれて有難う」と言うことに決めてます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_1.gif)
でも「長生きしてね」と言う言葉は言ってません。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_z.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/sayonara.gif)
何故か、父と同じになったら怖いから。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_6.gif)
そして今年は母が入院してるので、会いに行ってこようと思います。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0034.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
12月の誕生日と言うのはなんか損の連続だったような気がします。(これってひがみ?)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
子供の頃、あるとき、母が忙しさで私の誕生日を忘れてしまったのです。
夕飯のとき「あっ」と大きな声で「わすれてた~~~」と誕生日を思い出し
「○○の誕生日 クリスマスと一緒でいいね?」と有無を言わさず、
その時から、私の誕生日はクリスマスと一緒だった気がします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
思えば母は、デリカシーのない人だったんだな~と今更ながら思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
子供の頃の私はと言えば、なんにも言わないおとなしい(?)子だったのです。
父が会社をやっていて、母は父を差し置いて(?)、自分で経理も何もかも一人で采配をふるっていたように思います。
子供でしたから、その内情はわかりませんが・・・。
それで私はいつも一人遊びをしている変わった子だったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_alone.gif)
本人はそれで結構楽しく遊んでいたのですが、人と和すことのできない問題児だったようです。(ほっといてくれ!!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock2.gif)
兄弟は、姉と弟がいますが、二人はきっと友達と遊んでいたのでしょう。
問題児とは言われていませんでしたし、兄弟で遊んだ記憶もないんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
その代わり父が良く私を山歩きに連れて行ってくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fuku.gif)
父も私も無口で そんなに会話らしい会話は覚えていないのですが、山に生えている植物や、樹木の事は良く教えてくれて
山で迷子になったらこんな草を食べたらいいとか、この草の根にはこんないもがついていて、生でも食べれるとか、
白樺の皮は良く燃えるから、暖をとるとき便利だとか・・・。
喉が乾いたら、いたどりの茎を切り中の水を呑めばいいとか・・・。
そうそう、野鳥もとてもよく教えてくれました。
実に父は良くおぼえていて、色々な事を教えてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
父とは、本当にあまり会話したと言う記憶がないまま大人になり、結婚してしまったように思います。
結婚してから実家に用事があり電話をかけて、父が電話に出ても、慌てたようにすぐ母と替わってしまい「元気?」とも言えなかった気がします。
ある年、丁度50歳になった日、ふと実家に電話をかけたら、父が電話に出て、
その時は、不思議と母に替わる事もなく私とおしゃべりをしていて (あの時 母は不在だったのかしら?)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
「今日、私の誕生日なの。今日で50になちゃったよ。」と言うと「そうだな~憶えていたよ。おめでとう」と、言ってくれて、
私も、素直に「私を産んでくれてありがとう。」って考えてもいなかった言葉が、口をついて出て、おまけに涙まで出てきて、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
そうしたら、電話の向こうで父も涙声で、後は何を話したか覚えていないけど、最後に「長生きしてね?」と結んだのは覚えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
その年から私は、自分の誕生日は、父と母に、産んでくれた事を感謝する日にしようと決めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
でも父とは、その日を最後に、私とは取り立てて話す事もなく入院し、3カ月後にガンで逝ってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_uru.gif)
あの時のあの会話はなんだったのか?
寡黙な父があんなにおしゃべりしたのは何故だったのか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en2.gif)
でも、あの日あんなにたくさん、父とお話出来て、産んでくれたことを言葉に出して「ありがとう」と自然体で言えた事が、私の心の平安と繋がっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
50歳のその日を境に、誕生日には母に電話をかけ、「私を産んでくれて有難う」と言うことに決めてます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_1.gif)
でも「長生きしてね」と言う言葉は言ってません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_z.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/sayonara.gif)
何故か、父と同じになったら怖いから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_6.gif)
そして今年は母が入院してるので、会いに行ってこようと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0034.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
お父さんとの思い出は大切にしてください。
僕の父も無口で、その代わり手が早いんです。
生意気で口数の多い僕は良く殴られました。
父が酸素マスクで声が出せなくなったとき
初めて「ありがとう」を言いました。
親のありがたさは、亡くしてから分かりました。
男の子は父親に殴られる位が丁度良いのではないでしょうか?
私の父は、本当に寡黙な人で、子どもたちに手を上げる事もなかった気がします。
特に弟は長男を亡くした後に出来た男の子なので、とても可愛がられていた気がします。(これもひがみ?)
父は今年で13回忌なんです。
早いな~っておもいます。
では母の所に行ってきます。
とっても感じるものの多い「追憶」でした。
父も寡黙な人でした。
「お父さんの子でいさせてくれてありがとう。
いい名前をつけてくれ感謝してます」の、
手紙を棺に入れました。
お母様をお大事に。
お祝いしたかったですね。
お父様とのお話 素晴らしいですね。
感謝の言葉が言えた事 羨ましく思っています。
お母様お大事にね。
思い出させてしまいましたか?でもごめんなさいはいいません。
時々想い出の中のお父様と、語るのも良いとわかっているから。
『想い出寿命』と言う言葉があるそうです。
亡くなった方はその人を思う人の中でその人が死ぬまで生き続ける。と言うことなのだそうです。
素敵だとおもいません?
だから、そらさんのお父様も、私の父も私たちが死ぬまで、私たちの中で生き続けるのです。
この間、吾亦紅さんにも話した言葉ですけど、父との、思いでを大切に、胸の奥にしまっておいて、時々手の中で大切にあたためようと思ってます。
お祝いは頂きましたよ。わざわざ、会って下さったではありませんか?
とても心に残る一場面を作っていただきました。 有難うございます。
父に感謝の言葉を言えたのは電話だったからかな?とおもいます。
まともに会っては中々照れくさくて、言えないとおもいますから・・・。
でも、結果的にはあれが最後でしたから、父が、私に『後悔』と言う言葉を残さないように
配慮してくれたのかな?なんて思います。
子供が生まれた時、手伝いに来て、
でも晩に僕が盲腸で入院しまい、
産んでくれた事を感謝することなく30年経ってしまいました。心配かけなかったことを親孝行と一人考えてます。
親に関しては、後悔と、感謝の気持ちと、郷愁を感じるのは、皆同じなんですね~
『誕生日は父母に電話をする日!、そして照れずに毎年、親に感謝をしよう!!』と
決めたのに、そんな決心も知らず、父は旅立ってしまいました。
とってもいい言葉ですね。
嬉しいです。
素敵な言葉に出会えて。
ありがとう。
大事な小箱に入れますね。
そうです そらママ→そら デス
そらママ
もう間違えませんよ~~~