昨日は、姉の所に泊り、少し前に戻りました。
昨日、下の娘の運転で11時の面会時間に間に合うようにと
姉の所についてみると 母の病院から電話があり
夕方の4時半に主治医と面談があると知りました。
いよいよその時が来たと思いました。
母は危篤状態から中々抜け出せず、一進一退の状態をさまよっていましたが
会わせたい人がいたら、急いでくださいとのでした。
その間だけ、万が一の時は生命維持装置を装着も可能です。と・・・。
とうとうその時が来たのです。
私はすっかり覚悟が整っていましたから、冷静に受け止めれましたが
どうやら姉は、私とは違っていたようでした。
午後の集中治療室の面会を済ませてから
ひとまず、姉の家へ・・・。
今後の事を話し合いました。
色々話してる中で、姉は、生命維持装置と言う先生の言葉に
固執しているのがわかりました。
母が『死ぬ』と言うことに納得ができないでいるのです。
「○○ちゃんは(私の事)お母さんが死んでも構わないというのね」と
言いだし、さめざめと泣きだすのです。
「親が死んで悲しくない子供はいないよ」と言っても
姉は駄々っ子のようになってしまいます。
そこへ姪っこ(姉の娘)も参戦してきます。
親の泣く様子に、我慢できなくなったのでしょう。
正直、まいりました・・・。
今、なんでこんなことを私がブログに書いてるかと言うと
私自身がまいってるのです。
そして何とか自分を取り戻し 整然と粛々と母を送りだす準備をしなくてはと思ってるのです。
かっこいいことを言うつもりはないのです。
でも姉は何とか生命維持装置にすがっても
母を生かしたいと言い出し一歩も 譲りません。
正直心の中で「バカじゃないの
」ってどなりたい気持ちでいっぱいでした。
先生が生命維持装置の話を出してきたのは、
遠くにいる会わせたい人が居るなら、万が一の時は、
その人が到着するまでの間、それを作動させることもできる
と言ったのです。
もうもとに戻ることはないと、年齢の事と合わせてはっきりと言ったのです。
でも私は、もう意識もなく、ようやく苦しそうな息をしてるだけの母を
誰かに見てもらおうとは思っていなかった。
母もそんなこと望んではいないと思っていた。
早く楽になって父ときっと出会えることができる・・・。
でも姉は違いました。
一分でも一秒でも長く生きていてほしいというのです。
言いませんが「それは生きてるもののエゴでしょう、」って言いたかったです。
私をおかしいと思う人が居るかも知れませんが
死後の世界を信じています。
天国地獄などと言う そんな難しい死後の世界ではなく、
ただ単に肉体が滅びても
魂は自由にどこへでも行けると思ってるのです。
母は、まだ意識のあるとき、
お見舞いに行っても「もう家に帰りなさい。」と私の家庭を気遣ってくれてた人です。
プライドが高く、自分の弱みは見せない人です。
今たくさんの点滴やらチューブやらにつながれたこんな姿、
母はいやだろうと思うのです。
私が母の立場なら、家族や周りのものに負担をかけたくないと思うし
母も同じだときっと同じ思いでいると思うのです。
私は 母のその時が来て あわてて醜い姿をさらけ出し
母に迷惑をかけたくありません。
しっかりと母の最期を看取り、セレモニーを取り仕切り
母を送り出したいと思っています。
姪っこは、「叔母さんはお母さんとは考えが違いすぎる」といいます。
「自分で抗がん剤を止めたほどの強い人だから・・・。」
「お母さんは、お父さんを交通事故で亡くした時、
体調を崩してひどい状態になって傍で見てるのはつらかった」といいます。
・・・私は何も言わなかったけど、・・・
私は自分のことだって此処までに至るには
どれだけの涙を流したか、どれだけの思いがあったか・・・。
絶望と苦しみと虚脱感の中、真っ暗な死の淵を歩いたその思いは
誰にもわかってもらおうとは思っていない・・・。
今そこから脱出した時のことをふっと思うことはあっても・・・。
でも生かしたいという姉と、もう 楽にしてやりたいと思う私とは
平行線のままです。
・・・吸って吐いて・・・呼吸とは人間の本能だと思うのです。
あんなに浅く苦しそうで はかなげな呼吸をしてる母を
見入るには忍びないけど最後の最期の一呼吸まで
しっかり見届けようという私と
「あんなに苦しがっても意識もないのに、
必死に呼吸をしようとしてるおばあちゃんは生きたいからだよ」と
姪っこは言います。
姪っこは、「○ちゃんはどう思う?」って娘(私の)にまで矛先を向けます。
それまで一言も発せずにじっとしていた娘が話始めます。
いやだなって思いました。
でも娘は落ち着いた声で「私には意見を言う立場にないけど・・・」と言いながら
訥々と、静かに話し始めます。
なんと言ったかは、ヒートアップしてましたから、よく覚えていないのですが
なんかとてもよいこと言ったような気がしています。
あのとき、ヒートアップしていたみんながクールダウンして
私は自分の娘が偉いなって、いい子に育ったなって思ったのです。
姪っこが大人の話に入ってきてというわけではないのです。
あの子はあの子なりに母親をかばいたかったのだと思うのです。
みんなつらいんだと思うのです。
でも生かしたいという姉と、天寿を全うさせたい思う私の思いとは
交わることなく・・・。
ひとまず母の命ともしびが消えかかってる、今
まだ消えてしまわないうちに、一旦戻ってきました。
色々やらなくてはならないのに、
何やってるんだろうと思いながら
こうしてブログに思いを書いていたら
少し落ち着きました。
長いつまらないこと書いてしまいました。
見て下さってありがとう。
本当はいろんな準備をして喪服一式も整えて、
わかる所にきちんと置いておこうと思います。
万が一の時は娘に取りに戻ってきてはもらわなくてはなりませんから。
今日が土曜日でよかったと思います。
娘たち二人がフルで、手足になってくれますから。
さあ、頑張る。
しばらくは、姉の家に泊り、その最期の時を看取りたいと思っています。
すべてが終わり、落ち着くまでお休みします。
コメント、お返事書けなくてごめんなさいね。
今日のまほろばさんの掲示板に有った言葉。
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ごめんなさい、まほろばさん。
勝手に張り付けてしまいました。
4月6日午前9時 記