日本の外交史上、最大の失態は、対米開戦を通告した時刻が真珠湾攻撃の開始から五十分間も遅れたことだろう。だまし討ちに、分裂していた米国民の世論は一つになった、というのが通説だ▼攻撃時刻の三十分前に米国側に手交するはずだった宣戦布告文が、大使館員の電文解読やタイピングの遅れによって、ずれ込んだことなどが原因とされてきた▼この「大使館怠慢説」に異を唱えている人がいる。元外交官の井口武夫氏だ。三年前に発表した著書『開戦神話』は、発掘した新史料によって、日本側がハル国務長官に手交した通告文は、軍部によって意図的に開戦意図が削られた事実を浮き彫りにしている▼その通告文は、大使館への電文の到着が遅れるように陸軍が工作した疑いが強いという。事実なら、だまし討ちの汚名は米側に開戦を察知させない策略の報いである▼軍部の圧力に屈した東郷茂徳外相らは、通告遅れの責任を大使館員のミスという小さな問題にすり替えた、というのが井口氏の主張である。歴史が定まるまで、七十年という歳月は短すぎるのだろうか▼残念ながら、変わらないのは官僚トップの責任逃れだ。原発事故の責任を取って更迭されたはずの経済産業省の事務次官ら三人は、勧奨退職の対象になり、一千万円以上多い退職金をもらっていたのは記憶に新しい。曖昧な責任追及は国を蝕(むしば)む。
(以上、東京新聞コラム)
真珠湾攻撃については米国陰謀論まであってさまざまな研究がなされている。冒頭書籍で井口武夫氏は旧日本帝国陸軍参謀瀬島龍三と外交官加瀬俊一などが事実を隠蔽した責任を追及している。敗戦によって軍部、軍官僚は消滅したが官僚機構は残った。GHQも解体できなかった。上記コラムで東京新聞は官僚トップの責任逃れを指摘しているが、これは身内に甘い官僚機構の体質の問題だ。如何ともし難い。ではまた。