太った中年

日本男児たるもの

木村政彦伝説

2011-12-19 | weblog

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

このタイトルでこの厚さは書きすぎではないか。最初そう思った。何しろ700ページ、2段組みという大著である。だが読み出してすぐに杞憂(きゆう)だとわかった。叙述にゆるみはなく、主題に向かって真っすぐに進む。史料批判の甘さや、自信過剰な文体は抵抗を感じたが、力で無理やりねじ伏せられたような読後感は悪くない。

登場人物が力道山を含めみな魅力的である。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」といわれた日本最強の柔道家を育てた牛島辰熊は、とりわけ心に残る。

「鬼の牛島」と恐れられたのは、最低でも1日40本の乱取りをこなし、試合になると開始の合図とともに相手に襲いかかり、攻めて攻め続ける攻撃精神から来ているだけではない。本書に収録された牛島の写真の風貌だけでただものではないことがわかる。その眼光は獲物と見たら絶対に仕とめる猛禽(もうきん)のように鋭く、ひとたび牛島に睨(にら)まれると、みな怖気(おじけ)づいて闘争心を失ったという。

牛島は柔道だけの男ではなかった。昭和19年、牛島は太平洋戦争をやめさせるため、東条英機暗殺計画を企てて逮捕された。牛島は石原莞爾の『世界最終戦争論』に深く傾倒しており、東条暗殺計画にあたっても、故郷の山形に隠遁(いんとん)中の石原に相談に行っている。石原の許(もと)には空手家で在日朝鮮人の●(「恵」の「心」が「日」)寧柱や、その●寧柱に憬(あこが)れて日本にやってきた大山倍達こと崔永宜も集まった。石原の東亜連盟思想に共鳴したからである。

こうした昭和の裏面史が随所に散(ち)りばめられているのも、この本の読みどころである。

これら異色格闘家の中にあって、木村はイデオロギーとは無縁だった。全日本選手権13年連続保持、15年間不敗という前人未到の記録は、師匠の牛島ゆずりの並外れた練習量の賜物(たまもの)だった。1日の練習量は10時間を超え、大木に帯を巻いて深夜1000回の打ち込みをした。

全盛期の木村を知る関係者は、東京オリンピック金メダリストの「ヘーシンクでも3分もたなかったろう」と口を揃(そろ)える。その男が、なぜ力道山に敗れたのか。取材に18年かかった本書の結末は、著者の木村への愛情が涙となってにじんでいる。

(以上、日経ブックレビュー)

プロレスは興行であり試合はブック(脚本)されたものである。木村はプロレス日本一をかけて力道山と対戦するワケだが謎のKO負けをする。木村対力道山のブックはまず、引き分け。次が力道山の勝ち。その次が木村の勝ち。そのように勝ち負けを繰り返しながら全国を興行する予定だった。ところが力道山は引き分けのブックを反古して殴りかかり木村をKOした。この本のタイトルはそのあと木村は力道山を殺そうと思い短刀を持ち歩くのだが何故殺さなかったかというもの。ちょっと強引だな。結局、木村は力道山と金銭で和解をした。それから木村対力道山の試合は「柔道対相撲」の対決でもあった。果たして関脇止まりの力道山が史上最強の柔道家をKOしたのでこのときから「相撲取り最強伝説」がうまれた。また真剣勝負なら本当はどちらが強いのだろうかということでこの本は木村政彦最強伝説を復活させている。Wiki木村政彦 強いのだろう。ではまた。