TRAVEL RECORD OF BIG-HAPPY

平成24年9月、退職したのを機会に、始めた旅行記です

〔国内-14〕 滋賀県長浜市:日帰り観光

2015年03月20日 | 国内旅行

2015 年 3 月 20 日(金) AM 7 : 30 ~ PM 5 : 30    天候:晴れ時々曇り 気温 7.6~14.1 ℃ 風速:5.1 m/s

3 月 23 日  近江孤篷庵 の写真等を追加しました

今回は少し足を延ばして、滋賀県琵琶湖の湖北:長浜へ妻と二人で行ってきました。

AM 7 : 30 自宅を出発、9 : 00 長浜港発の竹生島行きの船に乗るため、
時間を気にしながら一般道を走ったが、どうにか出船 2 分前に到着。
切符を買って乗ると同時にクルーズ船が桟橋を離れ動き出した。

琵琶湖汽船クルーズ船  長浜 ~ 竹生島   所要時間 30 分   往復 ¥ 3,070 /人

平家物語ゆかりの地  竹生島:周囲 2 km 、面積 0.14 k㎡ の琵琶湖で2番目に大きな島

「 宝厳寺 」(竹生島観音) 本尊:大弁才天  宗派:真言宗豊山派  
724 年、天照大神のお告げを聞いた”聖武天皇”の命により、創建された。
1,602 年、秀吉の遺命により豊国廟より観音堂・唐門が移築され国宝となっているが、
重要文化財になっている船廊下と共に、現在修復工事が行われている。

御朱印    西国 33 ヵ所の観音霊場 第 30 番札所     

この日も多くの巡礼者が訪れていた

標高 197.6 m の中腹  165 段の階段を登った所に本尊を祀った宝厳寺の本堂が有る

江戸時代初期に焼失、約 350 年後に再建された三重塔  朱色がきれい

「 都久夫須麻(つくぶすま)神社 」 (竹生島神社) 祭神:湖水を支配する浅井姫命
本殿は 450 年前、秀吉が寄進した伏見桃山城の御殿が移築されたと言われている。
明治4年の神仏分離令によって、寺と神社に分かれ祀られるようになった。 

国宝に指定された神社本殿  縁結びの神として人気を集めている

湖上から見た本殿の前の竜神拝所  鳥居に向かっての”かわらけ投げ”が行われている

竹生島を離れたクルーズ船内のアナウンスで、この大仏の事を知り下船後に行ってきた。
「 平安山良畴寺 ( りょうちゅうじ ) 」  長浜びわこ大仏と呼ばれている。

鎌倉幕府の北条時頼公により創建されたお寺  時頼公自ら刻んだ阿弥陀三尊像が祀られた

先代コンクリート製大仏の老朽化により、平成6年青銅で再建された高さ 28m の阿弥陀如来の大仏様

港の北側、豊公園内の 「 長浜城 」  秀吉公が居城として初めて築いた城跡に昭和 58 年に再建された。

鉄筋コンクリート製3層5階建て、歴史博物館になっている。 近くまで行って写真だけ撮ってきた。

JR長浜駅の北東、街中の 「 豊国( ほうこく )神社 」   1,593 年秀吉逝去後、町民により創建され秀吉が神として祀られた。
秀吉を神格化することが禁じられた江戸時代に取り壊されたが、1,793 年恵比寿宮として再建された。
その時密かに秀吉も御祭神とされ、明治維新後 ”豊国神社” と呼ばれるようになった。

鳥居の右側の石柱に、2つの神社の呼び名が刻まれている。

毎年 10 月の豊公まつりに、盛大な武者行列が行われる。

”長浜の御坊さん” と湖北の人々に親しまれている「 大通寺 」   浄土真宗大谷派(東本願寺)長浜別院
戦国時代に布教活動された浄土真宗の、近江の国の中核として創建されたお寺。
七千坪の広さの境内には、伏見桃山城から移築された本堂や大広間が建てられている。

江戸時代( 1,841年 ) に落成した山門、 近世大型建築としては県内屈指の名作

大広間奥の書院 ”新御座”   正面上段の壁画は、狩野永岳筆

含山軒庭園  この写真には写っていないが、伊吹山を借景にし造られた名園


丁度開かれていた馬酔木( あせび )の盆栽展     かわいい花がいっぱい  

先日から梅の花ばかり撮っていて迷ったが、あまりにも綺麗で再度アップしました

「 長浜八幡宮 」 平安時代に創建されたが、戦国時代に焼失後、長浜城主になった羽柴秀吉によって復興された

御朱印    現代では、家庭円満 ・ 健康長寿 ・ ぼけ封じの神社として親しまれている

鳥居の奥の、大きな松の木とたくさんの灯ろうが並ぶ、長い参道。

広い境内の中の ”拝殿” とその奥に有る ”本殿”    日本三大山車祭の長浜曳山祭で有名な神社

八幡宮に隣接した 「 舎那院( しゃないん )」 真言宗豊山派  本尊:木造愛染明王座像(鎌倉時代)

814 年、弘法大師を開基として創建された古刹。

江戸時代初期に建立された本堂。  芙蓉の花の名所として知られている。

西国四十九薬師霊場の第 31 番札所  「 総持寺(そうじじ)」
奈良時代、行基によって開山されたが、戦国時代に焼失後秀吉により再興された

御朱印    真言宗豊山派  御本尊:薬師如来像

4月下旬から5月上旬にかけて、100 種 1,000 本のボタンの花の寺となる

”松梅の木” 弘法大師が昼食をとった時の梅干が生え、それに松が宿った木  本当に1本の木のように見える

「 神照寺 ( じんしょうじ )」   真言宗智山派
700 年程前の室町時代に、将軍足利尊氏がこの寺に立ち寄った証に植えた”萩の寺”として知られている

御朱印    御本尊:十一面観音菩薩座像

今では 1,500 株、約2万本の萩の木が群生し、初秋の風物詩となっているお寺。 

サンシュユ( 山茱萸 )の花   池の上に張り出した枝に、小さな花をいっぱい付けていた

境内の片隅に、初めて見る珍しい椿の花が咲いていた  寺の人不在で名前を聞けなかったが…

長浜市街から 30 分位走った里山に有る    「 近江孤篷庵 ( おうみこほうあん ) 」
江戸時代初期、茶人として有名な小堀遠州とその家臣を弔う菩提寺として創建されたお寺
ここの駐車場で猿の群れに出会った、20 匹以上が大根を抱えて動いていた。 突然の事で少しびっくり…

御朱印    臨済宗大徳寺派   御本尊:釈迦牟尼如来

駐車場から参道へ行く道の左側山麓に有る、小堀家歴代の家臣のお墓
< 小 堀 遠 州 >    安土桃山時代 ~ 江戸時代前期の大名:近江小室藩主
千利休・古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、徳川三代将軍家光の茶道師範を務めた3大茶人の1人
豊臣秀吉・秀長、徳川家康・秀忠・家光に仕え、建築・造園・茶・華・歌・書・香道等に才能を発揮した総合芸術家
〔 桂離宮・二条城・名古屋城・大阪城・江戸城西ノ丸等 〕 の建物や 〔 大徳寺孤篷庵・南禅寺金地院等 〕 の庭園を作った

こんな所にお寺が有るだろうかと思える細い山道を、数分登ったところで、やっと山門が見えてきた

周り全部が山に囲まれた境内に入ると、砂利が敷かれた小道が寺の建物まで続いている

山裾に広がる庭は一面の苔の中に、近江八景の琵琶湖を模した池がある
秋にはこの庭のモミジと参道のドウダンツツジの紅葉がきれいなお寺となる。

その苔の中に小さな薄紫色の花がたくさん咲いていた。 ” 猩々袴( しょうじょうばかま )”

このお寺でも、帰る途中で見覚えの無い花を見かけた。 葉を見ると椿の仲間のように思えるが…違うかな?

「 近江孤篷庵 」を出て車に戻ったところで丁度4時、長浜を出て5時半頃無事自宅に帰宅。
今日1日中長浜の街にいて車で数分の所を何ケ所か廻ったが、時間の都合もあり全部は見られなかった。
また機会が有ったら…     万歩計: 5,694 歩    車走行距離: 133 km

釣りのブログかいています。 暇つぶしにでも見て下さい。
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