一寸、又、寄り道をします。
私は、今、持てあます時間にかまけてではないのですが、その昔、手に入れた几董の「蕪翁句集」のページを捲っています。
その中に、たまたま地震を詠んだ蕪村の句がありましたので、ちょこっと趣を変えて、この句について考えてみました。なお、この本は天保8年に出版されたものです。

おろし置 笈に地震 なつ野哉 (地震にはナヘフルとルビが符ってあります)
です。
何時、どこで地震に遭ったのかは知りませんが、地震を詠んだ珍しい蕪村の句ではないかと思います。あの文政13年に起きた京都の大地震の時に詠んだ句ではありません。念のためにですが。
土間か長屋かそこら辺りに置いていた笈が地震で揺れる程度ですから、そんなに大きな地震ではないと思います。でも、その震れの面白さを水墨画のように捉えた蕪村の直截的な感性には感心させられます。そのあるかないかの揺れ動く笈の向こうに広がる夏の野や、更に、小さく震れる笈の上に広がるの夏空が大変印象深かかったのでしょうか。なんでもない平凡な句のようですが味わってみると大変な秀句だと思われます。
その辺りが千楯先生や仙果先生とは、一味も二味も違う地震に対する感覚的な捉え方をしていると思われます。
なお、この写真にある蕪村の句ですが
・いづこより礫うちけむ夏木立
・酒十駄ゆりもて行や夏こだち
・
・行々てこゝに行々夏野哉
みちのくの吾友に草扉をたゝかれて
・葉がくれに枕さがせよ瓜はたけ
・離別れたる身を蹈込んで田植哉
と、読むのだそうです。書かずもがなですが?
私は、今、持てあます時間にかまけてではないのですが、その昔、手に入れた几董の「蕪翁句集」のページを捲っています。
その中に、たまたま地震を詠んだ蕪村の句がありましたので、ちょこっと趣を変えて、この句について考えてみました。なお、この本は天保8年に出版されたものです。
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おろし置 笈に地震 なつ野哉 (地震にはナヘフルとルビが符ってあります)
です。
何時、どこで地震に遭ったのかは知りませんが、地震を詠んだ珍しい蕪村の句ではないかと思います。あの文政13年に起きた京都の大地震の時に詠んだ句ではありません。念のためにですが。
土間か長屋かそこら辺りに置いていた笈が地震で揺れる程度ですから、そんなに大きな地震ではないと思います。でも、その震れの面白さを水墨画のように捉えた蕪村の直截的な感性には感心させられます。そのあるかないかの揺れ動く笈の向こうに広がる夏の野や、更に、小さく震れる笈の上に広がるの夏空が大変印象深かかったのでしょうか。なんでもない平凡な句のようですが味わってみると大変な秀句だと思われます。
その辺りが千楯先生や仙果先生とは、一味も二味も違う地震に対する感覚的な捉え方をしていると思われます。
なお、この写真にある蕪村の句ですが
・いづこより礫うちけむ夏木立
・酒十駄ゆりもて行や夏こだち
・
・行々てこゝに行々夏野哉
みちのくの吾友に草扉をたゝかれて
・葉がくれに枕さがせよ瓜はたけ
・離別れたる身を蹈込んで田植哉
と、読むのだそうです。書かずもがなですが?