昨日の続きです。
蕪村を読んでいますと、思いもかけぬ、私の昔を思い出すような楽しい句に出逢うことがあります。
“蚊屋の内に ほたる放して アゝ楽や”
どうでしょうか。戦後の何もない世の中でしたが、緑色をした麻で作られた蚊帳を吊って寝ていたのですが、その中に裏の小溝から捕って来た平家蛍を数匹ですが、放して何もない夏の夜の一時を楽しんだことが今のように思い出されます。いくらでも蛍は取れたのですが、母の、何時も、「2,3匹がええんじゃど」と云う言葉に従って、蚊帳の中にな放して、それを見ながら眼ていました。毎晩ではなく、長い夏休みに1日か2日かぐらいだったと思えますが、電気を消されて、寝間は、深緑色と云うか鉄色と云ったらいいのかもしれませんがほとんど真っ暗に代わります。そんな蚊帳の中に光る幻想的な淡い蛍の光によって、留まっている蚊帳一部だけに緑が映し出されます。それが何とも云われないようなとてもきれいでなかなか寝付かれず、「はようねにゃあ」と幾度どなく、母からお叱りを受けたことが、つい昨日のように感じられます。
蕪村の句の「アゝ」という言葉にも、随分と、そのような蕪村の幼年時代の思い出が込められているのではないかと思われます。
しかし、子供時分にこんな経験をしたことのない近代の俳人達には、この句の持つ深い意味は、到底、理解しがたくなってしまっているのではと思われますが、どうでしょうかね。
蕪村には、蚊屋を詠んだこんな句もあります。
・蚊屋つりて 翆微つくらむ 家の内
・あら涼し 裾吹蚊屋も 根なし草
・蚊屋を出て 内に居ぬ身の 夜ハ明ぬ
・蚊屋を出て 奈良を立ち行く 若葉哉
蕪村を読んでいますと、思いもかけぬ、私の昔を思い出すような楽しい句に出逢うことがあります。
“蚊屋の内に ほたる放して アゝ楽や”
どうでしょうか。戦後の何もない世の中でしたが、緑色をした麻で作られた蚊帳を吊って寝ていたのですが、その中に裏の小溝から捕って来た平家蛍を数匹ですが、放して何もない夏の夜の一時を楽しんだことが今のように思い出されます。いくらでも蛍は取れたのですが、母の、何時も、「2,3匹がええんじゃど」と云う言葉に従って、蚊帳の中にな放して、それを見ながら眼ていました。毎晩ではなく、長い夏休みに1日か2日かぐらいだったと思えますが、電気を消されて、寝間は、深緑色と云うか鉄色と云ったらいいのかもしれませんがほとんど真っ暗に代わります。そんな蚊帳の中に光る幻想的な淡い蛍の光によって、留まっている蚊帳一部だけに緑が映し出されます。それが何とも云われないようなとてもきれいでなかなか寝付かれず、「はようねにゃあ」と幾度どなく、母からお叱りを受けたことが、つい昨日のように感じられます。
蕪村の句の「アゝ」という言葉にも、随分と、そのような蕪村の幼年時代の思い出が込められているのではないかと思われます。
しかし、子供時分にこんな経験をしたことのない近代の俳人達には、この句の持つ深い意味は、到底、理解しがたくなってしまっているのではと思われますが、どうでしょうかね。
蕪村には、蚊屋を詠んだこんな句もあります。
・蚊屋つりて 翆微つくらむ 家の内
・あら涼し 裾吹蚊屋も 根なし草
・蚊屋を出て 内に居ぬ身の 夜ハ明ぬ
・蚊屋を出て 奈良を立ち行く 若葉哉