彼らを躾けるという事
彼らを可愛がるという事
彼らをお手入れするという事
彼らを・・・
彼らと共に暮らすという事に伴って私達が彼らに働きかけること・・・
彼らに自由と言う意味が分かるとすれば私達が彼らにしている事はいったい何なのだろうか
散歩の途中でふと思う事があります。
河川敷の広場でノーリードで遊ばせてもらっている彼ら
車両進入禁止になっている土手道をノーリードでお散歩している彼ら
法律上彼らの飼い主さんは、万が一事故が起きた場合その管理責任を問われます。
また事故が起こらなくてもその管理責任を問われる場合がありますし
リードをしていても事故が起きればその管理責任を問われます。
それは私達が彼等と安心して安全に暮らしていく為に定めれれたルールだと思っています。
しかし、ノーリードでのお散歩を目にした時心のどこかにフッと現れる思いがあります。
いいな ぁ ~ ・・・
自然な環境での生き生きした彼らってどんなんでしょう
お手入れも無く、私達から躾を仕込まれることも無く自由気ままな彼らの姿 ・・・
ある時お散歩で一緒になられた方にこう言われまいた。
ずいぶんお手入れされているようですが、そんなトリミングして彼らが可愛そうと思いませんか
半分丸裸で彼らが可愛そうと思いませんか
トリミングに疑問を感じませんか
そして吐き捨てるように・・・犬を玩具にするな・・・と言われてその方は、その場を立ち去れれました。
私は何も言えなくなってしまいました。
私がしているお手入れはいったい何なんだったのだろう
犬の歴史、ペットとしての成り立ちからすればそれは古く遡らなくてはなりません。
愛玩犬として品種改良されその容姿も性格も人と共に暮らすために彼らは変ってきました。
そうした彼らの歴史的な無成り立ち経緯からそのトリミングスタイルは
少しづつ変化し受け継がれてきました。
私は、それを疑う余地もなく受け入れ彼らに施してきました。
それは、彼らにいつも清潔で美しくいて欲しいとの願い
少し身勝手な思いですが、寝食を共にするために少しでも綺麗でいて欲しいとの思いから
お手入れをしてきました。
たまたまその犬種が他の犬種に比べ特殊なトリミングを施さなければならない犬種だったわけですが
そのトリミングについても何の疑いも持ちませんでした。
動物愛護の精神が声高に叫ばれるなか
断耳が断尾までもが かの国 では禁止されているとか・・・
そうした風潮、世の中の世論の流れは、ある意味極端な捉えられ方をされ
何でもダメと言う方向に進みかねません。
実際こうした言葉を投げかけられた私としても自分の今行っているお手入れに対して
本当にこれで彼らの為に良い事なのだろうかと自己矛盾の渦の中でもがくことがあります。
では、リードでつなぎとめておくことが、自由を奪う事が動物愛護の精神に反していないのか ・・・ ?
また、可愛がる事、躾ける事、叱る事と 虐待 との間に明確な線引きが出来ているのか ・・・ ?
叱っている時冷静に自分をコントロールし行き過ぎた体罰にならない様にできるのか ・・・ ?
と言う疑問が脳裏に浮かびます。
彼らは 『 やめて、ごめんなさい、もうしないから ・・・ 』 と声にして言う事が出来ないのです。
彼らの嫌がるお手入れを強いていないのだろうか ・・・ ?
毎日のお手入れが本当に彼らの為になっているのだろうか ・・・ ?
しかし、お手入れもされず被毛を放置されたままの仔達を目にする度にこう思うのです。
もう少しお手入れされていたら皮膚病も目の病気もひどくならなかっただろうに
もう少しお手入れされていたら家族からも皆からも可愛がってもらえるのに
もう少し丁寧にお手入れされていたら羨望の眼差しが投げかけられたのに
そうしたらもっと可愛がってもらえるのに ・・・
もう少し綺麗にお手入れしてもらっていたらお家の中に入れてもらえたのに
それ以上に思う事は、お手入れを通して彼らとの絆を紡ぎ綯って行く事の大切さ ・・・
こうした思いが交互に浮かんできます ・・・
毎日のお手入れはしっかりすべきだ、いや、お手入れは最低限で後は自由にさせておくべきだ ・・・
自己矛盾のジレンマは、これから先ずっと重く私にのしかかってくるでしょう。
私がコームを握れなくなってしまうまでの永遠の問題なのかもしれません。
しかし、お手入れの手を止める事は、今の私には出来ません。
ご褒美を楽しみにやってくる彼らの嬉しそうで無邪気な瞳の輝きがある限り ・・・ 。
by ちぃ君 & もっ君 のパパ