にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

「すごいジャズには理由(ワケ)がある」書評

2015年03月30日 | お知らせ

ウェブマガジン「JAZZ TOKYO」で、
悠雅彦さんが『すごいジャズには理由(ワケ)がある』
(岡田暁生,フィリップ・ストレンジ共著/アルテスパブリッシング/2014)
の書評を書いてくださっています。


(書評)
http://www.jazztokyo.com/column/editrial01/v64_index.html

岡田暁生先生のお話とフィリップさんによるピアノ演奏のコラボイベント
「琳派400周年記念 ”すごいジャズには理由(ワケ)がある”」も、
5月16日に府民ホールALTIで開催されます。
ぜひおこしください↓
http://www.rimpa400.jp/?p=739

(アルテスパブリッシングblog)
http://artespublishing.com/…/%e6%82%a0%e9%9b%85%e5%bd%a6%e…/

しっぱいの宝箱

2015年03月27日 | 読書ノート
ー江光世/バジル・クリッツァー/岩井俊恵『あなたの想いが届く愛のピアノレッスン』ー
http://hon.gakken.jp/book/2380038200


ピアノ教育者の江光世さん、アレクサンダー・テクニーク教師のバジル・クリッツァーさん、
心理学者の岩井俊恵さんの共著。

ピアノや音楽に限らず、
先生や親も楽しみながら生徒やこどもと
一緒になにかを学ぶためのヒントがたくさんちりばめられた本だと思う。

ピアノを続けること自体が目的なのではなくて、
ほかにやりたいことや向いていることが見つかったらやめてもいい。

でも、その先何をするとしても、ピアノを通して学んだ「規律」(この本の中では、「数ある選択肢のなかで、自分にとってほんとうに大切なものを一番に選択すること」という意味で使われている)は、人生のなかできっと大きな力になる、というメッセージ。

いわゆる「西洋音楽」は数ある音楽のなかのひとつにすぎないし
(「西洋音楽」と一言で言ってもものすごい幅と奥行きがあると思う)、
ひとによって合う楽器や好きな音楽の種類は違う。

だから、なにがなんでもピアノを学ばなければならないとは思わないけれど、
わたしはピアノの音がとても好き。
弾き語りのために、最近20年ぶりぐらいにピアノの練習を再開したのだけれど、
ピアノを弾いていると
パレットに音で色をつくって好きな絵を描いているような気持ちになる。
(とはいえ、技術が追いつかなくて、思ってたのとだいぶ違う、
「変な色」ができてしまうことも多々ありますが・・・笑)

ピアノ教室をひらいておられる松井美香さんの手記も
ご自身の体験から得たことが綴られていて、胸に響く箇所がたくさんある。

本のなかで紹介されていた江光世さんの生徒さん(小学校4年生)の文章があまりにも素敵だったので
備忘のために記録。

わたしもしっぱいの宝箱に宝物をたくさんつくろう(もうずいぶん大きいんですけどね 笑)。


***
しっぱいの宝箱

 わたしの宝物は、いっぱいあります。その中でも大事な物は、しっぱいの宝箱です。しっぱいの宝箱は、次のステップにいけるようにここがだめだったから今度はなおそうねと、ふりかえられるための物だと思います。
 わたしはピアノのコンクールが大好きです。どうしてかというと、自分のいけないところやよいところがわかるし、がんばったことを発表するからです。
 わたしの今年のしっぱいの宝をちょっとしょうかいします。コンクールでソナチネのさい後の音階のところでとまってしまったことです。指番号をまちがえたのがげんいんです。先生に注意されたところです。とてもとてもくやしかったです。たくさんなきました。そしてたくさんはんせいをしました。音読みの時、正しく正かくに楽ふを読むことの大切さを、知りました。
 先生がわたしのしっぱいを聞いて、
 「小さいうちにいっぱいしっぱいをしておくと、大きくなったらそのしっぱいが力になるから」と教えてくれました。わたしはしっぱいの宝箱を心の中に作りました。そしてその中にしっぱいした宝も入れました。先生が、
 「自分がしっぱいをしてかなしい思いをした時、人の気持ちも分かるようになるよ」
と教えてくれました。たくさんはげましてくれました。
 しっぱいの宝箱に入っている宝はそれぞれ形がちがいます。大きなしっぱいだったら大きな形、小さなしっぱいだったら小さな形、べつの音をひいてしまったらへんな形の宝です。わたしはどれも大事です。でも、わたしは、コンクールの時しっぱいの宝箱を、家において行きます。なぜかというと、この前まちがえたから、あそこはぜったいまちがえないようにしようと思い、そこに気をとられてしまうからです。そう思うより、わたしの音楽を聞いてくださる人に、心をこめてひいた方がいいからです。先生が、
「あなたの音楽を聞いてくださる人に、自分の気持ちがつたわることが一番大事ですよ」
と教えてくれました。
 これからも心の中のしっぱいの宝箱を大事にして、かなしい気持ちや、うれしい気持ちや、くしかった気持ちを自分の音楽にしてあらわして、たくさんの曲にちょうせんしてみたいです。(原文ママ)



(江崎光世/バジル・クリッツァー/岩井俊恵『あなたの想いが届く愛のピアノレッスン』学研パブリッシング、2015年、pp.103-104.)

Feira

2015年03月22日 | 日々のこと


Vermilion Fieldの3枚目のアルバム、
Feiraを聴いています。
http://victorentertainmentshop.com/product/…

いままでのCDと比べて音が柔らかくて、
端整ななかに情熱が秘められてる感じ。

メンバー全員が曲を書くこのバンド、
それぞれの個性が見事に融け合っていて、
かつお互いを輝かせるような音だなあといつも感じます。

タイトルのFeiraってどういう意味かなあって調べてみたら
ポルトガル語で「市場」という意味だそう。

メジャーデビューという一つの岐路にあたり、
マーケットという土俵に登る覚悟がこめられているのかもしれませんが、
ほかにもいろいろな連想を呼びこんでくれるタイトルです。

リーダーの朱さんが、ライブのMCで言っていた、

「このフレーズ、サックスの運指めっちゃむずかしいやろうなーって思いながら曲を書いてます(笑)」

という言葉に、昔一度訪れた中国の広州の市場を思い出しました。

一見喧嘩しているのかと思うくらいの大きな声で
あちこちで売り手と買い手が値段の交渉をしているのだけれど、

「べつに喧嘩しているわけではなく、
単に会話を楽しんでいるだけ(笑)」

と案内してくれた中国人留学生の友人が教えてくれました。

「指がむずかしいだろうから書かない」のではなく
あえて喧嘩をふっかけるように、
そんなフレーズを「書く」という選択。

お互いを信頼しているからこそ生まれる
遊び心だと思います(演奏を聴いていると、どこが難しい箇所なのかまったく悟らせない栗田さん、
あらためてすごいなー)

ちなみに、スペイン北西のガリシア地方の言葉では
Feiraは「お祭り」という意味だそう。

これまた彼らの音楽と雰囲気にぴったり。

大陸的なおおらかさを感じさせる音です。

教育フォーラム

2015年03月14日 | 日々のこと
昨日今日と二日間、
所属しているセンターのフォーラムでした。

ずいぶん昔になりますが、教育学研究科のある先輩の発表で印象に残っているのが、
「教育という分野には、根底に、次世代に善きものを残したいという愛がある気がして、
それが自分にとっては救いです」と、
レジュメに書いておられた言葉です。

「教育」という営みは、善きものを残したいという善意が、
ともすれば簡単に自己満足に陥ってしまうという因果なものではあるけれど、
根底に流れているのが、自分ではなく、他者に対する愛情であるという点で、
なんだか安心させてくれる領域でもあります(その分、厳しい領域でもありますが)。

そんなことを感じた二日間でした。



追記:「自分ではなく、他者に対する愛情」と書きましたが、
「自分への愛情であり、他者への愛情である」のほうが適切かも。

自分を犠牲にした愛情は、ほんとうの意味での他者への愛情ではないと
個人的には思っています。



Home made sensations

2015年03月06日 | 日々のこと
ーHome made sensations.

手作りのお菓子みたいな
あたたかい音に包まれます。

あたたかくてクールで、お茶目でセクシーな、タイトル通りのアルバム。

おうちでつくるsensationsはどんなお味?

いままでのアルバムが、ウイスキーのロックなら、今回はほろ苦いリキュールがたっぷり入った甘いお菓子みたい。

でもお菓子だと思って油断すると酔っぱらいます。
そこはやっぱり(笑)

さすがに朝からお酒は飲めないので(←もはや最後の理性の砦ともいいますが)、
Good morning bluesを聴きながらコーヒーを飲んで、今日も一日がんばります♪

みなさまもよい一日を。

Yoshie Ichikawa
"Home made sensations "

Yoshie Ichikawa -vocal&guitar
Shin-guitars etc

市川芳枝先生

2015年03月05日 | 日々のこと
大学時代、ジャズのジの字も知らなかったわたしに、
歌うとはどういうことかを、身をもって教えてくださった市川芳枝先生。

短いなかにたくさんの深い意味がこめられたお言葉は、いまでも胸に焼きついています。

不肖の弟子ですが、目指すべき場所を、ずっと遠くで照らしてくださる、尊敬する師匠です。

新しいCDが今夜の草津でのライブから発売開始だそうです。

お聴きできるのがいまから楽しみです。

CDはもちろんですが、魂を震わせる歌声を、ひとりでも多くのかたに聴いていただけることを願っています。
Yoshie Ichikawa Official Website:
http://www.ichikawa-yoshie.com/

ハンナ・アーレント「戦争の世紀」を生きた政治哲学者

2015年03月03日 | 読書ノート

矢野久美子『ハンナ・アーレント―「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書、2014年)

知りあいの先生がくださって、昨日から読み始めた。
もうすこしで読了する。
文庫本は、軽くて持ち歩きやすいので、ちょっとした空き時間に読み進められてありがたい。

ハンナ・アーレントは、1906年に生まれた政治哲学者で、
ドイツのユダヤ人家庭に生まれ、大学では哲学をハイデガーとヤスパースに学び、
1933年、ナチス支配下のドイツからパリに亡命。
第二次世界大戦勃発後、アメリカ合衆国に亡命し、哲学、政治的な問題について書き続けた。

大学時代、大学院時代を通して、
彼女の著作のいくつかはゼミの課題になったこともあって、
読んではいたけれど、
いまあらためてこの本を読むと
親しい友人だったベンヤミンが、ナチス支配下で自殺したことや、
亡命後のアメリカで、英語を一から学ばなければならなかったこと、
ユダヤ人を大量虐殺するためだけに作られた収容所の存在、
原爆の投下という出来事を見つめ、考え、言葉にし続けたことの痛みが伝わってくる。


「痛みが伝わってくる」という言い方は、
おこがましい気がして、
簡単に感情移入することはできるだけしないようにしようと思っているのだけれど、
文字通り、読んでいて痛みを覚えるような箇所が随所にあった。

大学時代から、亀のようなゆっくりペースで、
大の苦手だった歴史を学んできたなかで、
一番むずかしいと感じることは、
目を背けたくなるような過去の暗い出来事や、人間の醜い面を、
どのようにうけとめ、かかわり、考えていくのか、ということ。

ひとによって考え方は違うと思うが
(そしてそんなことは当たり前だという人も、そんなものは学問ではないという人もいるだろうが)、
歴史を記述するということは、
自分と向き合うことなしにはできない作業だと個人的には思っている。


カウンセラーがカウンセリングをする前に、自己分析を経た訓練をするように、
ある出来事や物語を記述する自分自身が、どのような考えの癖や偏見を持っているのかを
知ろうとする努力を並行して行うことが大切だと思う。


ただ「事実」を並べただけのように見える年表にも、
どの出来事を選ぶのか、
出来事をどのような名称で、どのような言葉で書くのか、
ある出来事がいつ始まり、いつ終わったと考えるのか、
といった細部に
書いた人の「まなざし」が書き込まれていると思うからだ。


大学院時代、植民地時代の日本の歴史についての論文を読むと、
気分が悪くなり、何も考えることができなくなることがよくあった。
それまでなにも知らずに生きてきた自分が、加害者であるように思い、
論文から責められているように感じていた。


いまでも、知ってしまってつらくなるような出来事や物語はたくさんあるけれど、
15年前に比べてすこし自分が変化したと感じるのは、
自分を加害者や被害者の立場に同一化して、苦しんだり、感情移入したりするのではなく、
距離をとりながら見ることが、すこしはできるようになってきたのではないかということだ。

いいかえれば、織りなされる関係性のなかで、自分のなかに、加害者にも被害者にもなりうる、
あるいは、どちらでもないいくつもの面を見ていくということでもある。


簡単に感情移入することも、誰かや何かを敵にしたてあげて、
「自分は違う」と思おうとすることも
思考の停止につながる。


だからといって、ほかのひとに「目を背けるな」と押しつけるのは違うと思っていて、
つながろうとしたうえで、いろいろな物語があることを受けとめて、
自分自身の頭で考えて、言葉を探していくことしかできないのではないかと思う。


ひきつけすぎたり、離れすぎたりを繰り返しながら
それでも、考えていくしかないのだろう。


「みんな同じ」
ではなくて、
「個」をほりさげたり、もてあましたりする迷走の過程で
違和感を紡ぐ、軋むような言葉たちをどこかで聴いてくれ、
言葉を返してくれる仲間がいるというのは、
ありがたいことだとも思う。


いいタイミングで出逢ってくれた本でした。