にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

きもの

2008年09月27日 | 日々のこと
きのうから読み始めた『いのちを纏う』を読み終える。
いろいろな感情が渦巻いていて、まだぜんぜん消化できていない。
ものすごく納得できるところも、疑問に思うところも、たくさんある。

修士論文で書いたかくれキリシタンのひとたちのこととも、これから書こうとしている博士論文とも、深くかかわってくると思うので、これからまたじっくりていねいに読みかえして消化していきたいと思う。

印象に残ったのは、植物染料で化学繊維を染めることはできない、化学染料は純粋だけれども、植物染料はそもそも不純物である、という話と、こんなに地上には緑があふれているのに、植物から緑を直接染めることはできないという話。闇の藍と、光の黄色があわさって、初めていのちの緑が染まるのだという。

苦痛でしかなかった装うことが好きになったのは、何年か前にシサム工房さんと出逢ってからだと思う。

お店のひとたちとあれこれ相談しながら、自分に似合うものを探し、その衣がつくられた背景に想いをめぐらせ、その服をつくったひとたちと、いまのじぶんとの関係を繋いでいくこと。

それが、装うという行為が本来包含していることなのかもしれないと思う。

何年か前にアトピー性皮膚炎が悪化して、化学繊維を着ることができなくなってしまい、ほんとうに肌にあうものだけを着るようになってから、衣からエネルギーをもらえるようになった気がする。

きのうは母に電話をして、母のきものを送ってもらえるようお願いをした。
母のきものは、母のきものであると同時に、母にきものを持たせた、いまは亡き祖母の想いのこもったきものでもある。そのきものを纏うとは、祖母の想いも、母の想いも、そしてまたいまのわたし自身の想いも纏うことであるだろう。

きょうは、ひとめぼれして買った苔色の地に蘇芳色で刺繍された衣を着て、シサム工房さんにたちより、いつものようにお店の方とおしゃべりをして帰りました。


いのちを纏う

2008年09月26日 | 日々のこと
お休みだったので、午前中、美容院に行って髪を切り、近くで働く友人とお昼ご飯を食べる。

髪の毛、ずっと切りたかったので、かなりすっきり。

その後、散歩がてら2時間ほど歩き、途中でたちよった本屋さんでたまたま目に入った志村ふくみさんと鶴見和子さんの対談集を買って帰り、夕方からずっと読んでいた。

いまの自分にとって、音と、色、それから衣が重要な鍵概念になるような気がしている。

時間をかけて、ゆっくり考えていこうと思っています。  


***志村ふくみ/鶴見和子『いのちを纏う 色・織・きものの思想』藤原書店、2006年*** 

星の宴ツアー

2008年09月24日 | 日々のこと
・・・月の宴にひきつづき。

きのうは、フ会(2007年10月14日発足。ふとしたきっかけで仲良くなった3人の女性により構成される。今回で例会第3回目。)と称する三人組で、青少年科学センターというところに、プラネタリウムを見に行ってきました。

「かぐやの見た月」という特集で、通常の星の説明に加えて、月探査機「かぐや」から見た月の説明もありました。(かぐやの近くには、「おきな」と「おうな」と名づけられた衛星がまわっているそうです。芸が細かい。)

高校の古典の時間に、上弦の月、下弦の月、立待月、居待月、寝待月などの呼び方を教わったときも、ロマンチックだなあと思った記憶があるけれど、さらに、寒月とか、朧月とか、夕月とか、月の呼び名がとてもたくさんあったことに驚きました。

それだけ、昔のひとにとっては、月の満ち欠けは大切なものだったのかもしれないなあ、と思います。

星で気になったのは、「ちょうこくしつ」という名前の星座があったこと。
帰ってからすこしだけ調べたところによると、ニコラ・ルイ・ド・ラカイユという、18世紀のフランスの天文学者が、1750年から1754年にかけて南半球の喜望峰へ観測に出かけたときに、新しく作った星座だそうで、1763年に出版された彼の遺著『Coelum Australe Stelliferum』という本で発表されているそうです。もともとは、ラカイユは「彫刻家のアトリエ」と名づけていたようです。

ラカイユさんは、どうしてそのような名前をつけたのか、由来が気になるところ。機会があったら、調べてみようとたくらんでいます。

そのあと、センター内を探検し、鴨川付近の鳥の声を聞いたり(ボタンを押すと聞くことができる)、ティラノサウルスのあいさつを聞いたり(ボタンを押すと聞くことができる)、もりだくさんな一日でした。

雨はコーラが飲めない

2008年09月19日 | 日々のこと
江國香織さんが、愛犬の雨くんと音楽について綴ったエッセイ。

アメリカン・コッカスパニエルの雄犬である雨くんは、ビリー・ホリデイ(←わたしも大好き)や、オペラのソプラノが好きらしく、毛が長くて、ちょっと放っておくと、モップのようになってしまうらしい。

行間から、雨くんにふりまわされながら、ふりまわされることによって、雨くんの存在にしっかりと支えられている江國さんの愛情が伝わってきて、ひとつひとつの音楽とあわさって、あたたかい気持ちになります。

小さいころ、アレルギー性結膜炎と、小児喘息を患っていたこともあり、動物をさわるといつも目がかゆくなり、咳がとまらなくなっていたので、動物はかわいいとは思うのだけれど、近づくのは怖い、そんな存在でした。いまでもまだ完全に恐怖心が薄れたわけではないので、動物にふれるときは、内心ちょっとおっかなびっくりになっています。

傍目にはわからないかもしれませんが、動物はきっと気づいていると思う。
言葉でやりとりするわけではない分、動物は、人間よりも、気配や、微妙な感情の動きに敏感なような気がするのです。

けれど、最近、すこしずつ恐怖心が薄れてきました
いつか遠い将来、犬か猫かうさぎかにわとり(もし飼えるなら小馬やロバ、アルプスの少女ハイジに出てくる、ユキちゃんみたいなヤギもいいなあ)と暮らしてみたいです。

読んでいると、昔実家で飼っていた、いまは天国にいる犬に会いたくなりました。


***江國香織『雨はコーラが飲めない』新潮文庫、2007年)***



しあわせのおかし

2008年09月15日 | 日々のこと
大好きだった近所のケーキやさんが、今日でお店を閉めることになりました。

いまの家にひっこしてきてから、ちょうど4年くらいになりますが、そのあいだずっと、ささやかなしあわせを運んでもらいました。

ふんわりしたスポンジと優しい味の生クリームのショートケーキや、季節ごとの、かわいらしくて茶目っ気の感じられるデコレーションケーキ、いくらでも食べられたレーズンサンド、いつもショーウィンドウの前であれこれ迷う時間は、ほんとうに幸福なひとときでした。

家族でやっておられる、こじんまりしたお店のケーキの味は、小さいころ母がつくってくれたケーキの味に似ていました。

ただただ、そんなお店に出会えたことに感謝したいです。

きのうは、夫とふたりでまんまるなデコレーションケーキを買い、晩ごはんに半分ずつ食べました。

きょうもこれから、お店に行き、我が家でささやかなケーキバイキングを開催する予定です。

なにを買おうかな。


wish upon a moon -月によせるうた

2008年09月14日 | 日々のこと
So many people wish upon a moon.
Moon smiles and cries, for each wishes.

Moon's smile brings gentle dreams on the pillows of people.
Moon's tears brings magical drops on the petals of flowers.

People's tears turns moon blue.
People's smile turns moon gold,

People knows that moonlight is made of so many wishes.

Someone wish upon a moon tonight.



ひとびとは月に願いをかける。

月はほほえみ、ときに涙を流す。
ひとつひとつの願いごとのために。

月のほほえみはひとびとの枕元にやさしい夢を運び、
月の涙は花びらに魔法のしずくを運ぶ。

ひとびとの涙が月を蒼色に染め、
ひとびとのほほえみは月を黄金にかがやかせる。

ほんとうはみんな知ってる。
月の光が、ひとびとの願いでできているってこと。

今夜も、だれかが月に願いをかける。

元気の素

2008年09月13日 | 日々のこと
メキシコに留学中の友人が、一時帰国しているということで、京都在住のもうひとりの友人と3人で、ひさしぶりにお茶を飲みながらおしゃべりました。

約一年ぶりに会う彼女は、ますますきらきらと内側から輝いていて、まだ行ったことのないメキシコの風に吹かれたような気持ちになりました。

お茶を終えて別れ、まさに地下鉄の改札をくぐろうとしたとき、別の友人から、携帯電話に着信履歴があることに気がつきました。

台湾からの留学生で、これまた半年くらい会っていない、大好きな友人からのメッセージで、「偶然京都に来ているので、ひさしぶりに晩御飯でも」というお誘いでした。

もちろんそすぐにその友人に電話をし、いっしょに晩ごはんを食べましたとも。

たのしかった。

疲れてくると、愚痴っぽくなり、いろんなことを悲観的にしか見られなくなるけれど、こんな大好きな友人たちと過ごす時間が、わたしにとっての元気の素であり、ものを生み出す原動力なのだなあ、と実感する。

好きな友人たちと過ごして、きれいなものを見て、溜まった澱を流し、エネルギー補給をしながら、毎日をたのしんでいきたいものです。

追記:絵は、メキシコ土産にもらったポーチ。
あざやかな色がかわいくて、一目で気に入りました。

The Big Pumpukin!!

2008年09月11日 | 日々のこと
うちの近所のスーパーの店先に、何日か前から巨大なかぼちゃが売ってあります。
どれくらい大きいかというと、わたしが腕をひろげても抱えられなさそうなくらい。

さいしょに見たときは、ほんとにびっくりしました。
直径、50センチはゆうにありそう。

かぼちゃの背後には、張り紙がしてあり、マジックペンの手書きの文字で、「有機栽培のかぼちゃです。値段応相談。」と書いてあります。

値段を聞いてみたくて、うずうずしているのですが、勇気がなくて、今日もそのまま帰ってきました。

あんな大きなかぼちゃを抱えて帰って、なんにんかでかぼちゃパーティーをしたらたのしいだろうなあ!!

パンプキンパイ、かぼちゃの煮つけ、かぼちゃのお味噌汁、かぼちゃのガーリック焼き・・・。嫌になるくらいかぼちゃづくし(笑)

買わないまでも、次回やっぱり値段くらいは聞いてみよう。
だって、あんな大きなかぼちゃにはこれから先の生涯、出会うことはない可能性のほうが高いから。

でも、手が届きそうな値段だった場合、ものすごい誘惑にかられることは必至だな