にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

I'm on a diet!!

2008年10月31日 | 日々のこと
さいきんちょっと太ってきたので(たぶん晩酌のせい 笑)、ダイエットしようと思っています。

秋なので、身体は脂肪を蓄える時期なので、無理のない範囲で。

目標はあと2ヶ月で2キロ減。

2週間ぐらい前から、晩酌を極力減らしてきちんとお米を食べることと、一口20回噛むこと、できるだけ湯船につかること、心がけています。あとは、一回一回の食事をたのしんで、味わうこと。たくさん食べ過ぎても、あまり気にしないようにしています。

体重は0.5キロぐらいの幅で、増えたり、減ったりしているのですが、きょう、アルバイト先の同僚から、「さいきんやせた?」といわれました。(よろこび!!

数字にはでてこないけれど、意識の変化が外見に出ているのかもしれないなあと思います。だとしたら、とてもうれしいな。

仲良しの友人も、ちょうどダイエット中なので、彼女の近況報告も励みにしながら、のんびり続けようと思っています。

2ヵ月後、このブログで目標達成のご報告ができますように!!

進行中

2008年10月28日 | 日々のこと
このあいだ、さっそくインドネシアのお客様に「トゥリ マカシ(インドネシア語で”ありがとう”という意味)」と言ってみました。

とってもびっくりした顔をされ、つぎにふわーっと笑顔になられました。

そのあと、ものすごい早口でインドネシア語でしゃべりかけられ(まったく意味はわかりませんでしたが、おそらく、「きみはインドネシア語がしゃべれるのかい?」というような意味のことだったと思われます)、"Sorry, I know only one word(すみません。じつはひとつしか単語知らないんです。)"と笑ってごまかしたのでありますが(笑)

そういえば、中国に行ったときも、「太貴了(その値段は高すぎます!!)」という単語だけ覚えて行き、使ってみたのはいいけれど、相手がものすごい早口でしゃべりかけてきた言葉はまったくわからなかったので、気迫負けして買わされたこともあったような。。

なんにせよ、なかなか順調であります。

好きなもの

2008年10月23日 | 日々のこと
はだざわりのよいTシャツ。

ワンピース。

そら。

あめのおと。

にじ。

ゆうやけのいろ。

つき。

湯沸しがカタカタいうおと。

ミルクがたっぷりのチャイ。

こたつで食べるアイスクリーム。

ふわふわのシフォンケーキ。

いろんないろの色えんぴつ。

ちいさなスプーン。

ブレーメンの音楽隊

2008年10月21日 | 日々のこと
先日の日記で書いたように、いろいろな言葉での「ありがとう」をあつめようとおもいついたはいいものの、さてどうやってあつめたものかと思案しているうちに、何日か過ぎていました。

するときのう、何年か前から文通をさせていただいている、音楽仲間からのお便りが届きました。わたしのブログを読んで、永い間大切にとっておられた、パンの袋のコピーを同封して送ってくださったのでした。

そこには、48種類の「ありがとう」が。
フィンランド語では「ありがとう」は「キートス Kiitos」って言うんだなあ、こんど近所のフィンランドカフェに立ち寄ったら、「キートス!」って言ってみよう。オーナー、びっくりするだろうなあとか、マレーシア語(トゥリ マカセ  TERIMA KASEH)とインドネシア語(トゥリ マカシ TERIMA KASIH)はとってもよく似ているんだなあ、とか、いろいろな言葉と、それを話しているひとびとに思いをめぐらせながらたのしみました。

さっそく、きょうからすこしずつノートに書いてみようと思っています。

・・・ところで、びっくりしたことがひとつ。

あつめた「ありがとう」を書こうとおもっているノートは、先日プラネタリウムに行ったときに、おともだちにもらった”ブレーメンの音楽隊”の小さなノートなのですが、偶然にも、今回いただいたお手紙も、ブレーメンの音楽隊のレターセットでした。

たんなる偶然なのだろうけれど、なんだか不思議。

すこしまえから、『ブレーメンの音楽隊』と、ミヒャエル・エンデの『モモ』が気になっていて、読み返そうと思っていたところだったので、なんだかいろいろなことがふっと重なったように思えて、うれしかったです。

うれしいニュース

2008年10月17日 | 日々のこと
高校に教育実習に行ったときの教え子のひとりが、かねてからの夢に一歩ちかづいたとのお知らせが。

いままで、塾や予備校で教えたり、教育実習で教えたり、家庭教師をしたりしてきたのですが、どういうわけかわたしは生徒運がよいようなのです。(ちなみに昔から先生運もかなりよい。)

たいていの場合、生徒のほうがしっかりしているので、わたしのほうが「先生だいじょうぶ?(博多弁だと「先生だいじょうぶと~?」となる)と心配される羽目になり、どっちが先生なんだかわからない状況に陥るのですが。(当時中学3年生だった家庭教師先の生徒には、どういうわけか進路相談にまでのってもらってしまった)。

教えることそのものよりも、「先生」と呼ばれることが苦手でたまらないので、じつは、「先生」と呼ばれるお仕事をしているときは、たのしいよりも、苦しいほうが大きい。

大げさに考えすぎるのだとわかってはいるけれど、「先生」と呼ばれるたびに、先生なんかになりきれない、自分のふがいなさが重たくのしかかってきて、苦しくなる。

それでも、わたしはたくさんの素敵な生徒たちと出会ってきて、それらの出会いは、いつも「生徒」ではなくて、ひとりの「ひと」との出会いでした。

ブログに何気なく描いたわたしの絵をいちばん最初にほめてくれたのも、もと教え子だったし、「うたと笑顔を忘れないようにね」というメッセージを、教育実習の最後の日に書いてくれたのも、うけもっていたクラスの生徒のひとりでした。(おそらくその生徒は、わたしが古典よりもうたが好きなことをみぬいていたに違いない 笑)

陽ざしがやわらかくさしこんでいた教室で、寝不足の目を腫らしながら、両手に抱えきらないくらいたくさんのことを学ばせてもらった10年ちかく昔の夏。

みんな元気かな~。またいつか、会いたいものです。

言葉から言葉へ

2008年10月16日 | 日々のこと
先日、日本語教師のボランティアをしている友人と話していて、言葉を教えるということについての話題になった。

昔、すこしだけ日本語教師の勉強をかじったことがあるけれど、わたしの記憶に間違いなければ、言語の教え方には、大きくわけてふたつあって、たとえば、日常で日本語を使っている人に英語を教えるときに、英語だけを使うやり方と、日本語を使って英語を教えるやり方とがある。

友人が師事している先生は、直接その言語で教えるやり方をされているということだった。

ふたつのやり方は、どちらがいいというものではなくて、習うひとの年齢や性格、生活環境、なんのためにその言語を覚えたいのか、などによってベストな方法は変わってくるだろうし、場合によっては、ふたつを組み合わせながら教える場合もあるだろう。

「わからない」という状況に、比較的長い時間耐えられたり、そのこと自体をたのしめたりする人と、どうしても我慢ができない、苦痛でたまらなくなる人との違いもあるだろうし、同じ人でも状況によって、「わからない」ということが、苦痛になったり楽しみになったり変化するのかもしれない。

だけど、すぐに別の言葉に翻訳して理解できたときに比べて、わからない言葉をずっとその言語だけで理解しようと苦労して、ある瞬間わかったときの感動ってすごいものがあるよね、ということで、友人と意見が一致した。

このことは、じつは同じ言語を話していて、通じていると思っているひとたち同士でもありうることで、ずっとわからないと思い込んでいた、あるいはわかっていると思い込んでいた、そのひとの言葉のつかい方や考え方が「わかった」と思えた瞬間の感動は、世界がぐるりと回転してみえるくらいの衝撃がある。

言葉ってほんとうに不思議で、おもしろい。

2008年10月13日 | 日々のこと
このあいだのインドカレーにひきつづき、この2日間はひさしぶりのともだちと会いました。

いつ会っても、自由な風が吹いている(そしてビールを美味しそうに飲んでいる)Yちゃんとは見晴らしのいいカフェで。
彼女が先日行ってきたという、「きのこ展」(於 京都府立植物園)の話に耳を傾け、あいかわらずのユニークな視点と絶妙なおしゃべりに笑い転げました。

この世に「菌類談話会」という会が存在することを、生まれて初めて知りました。きのこファンの方々の情熱は、想像をはるかにこえたものがあるのだなあとしみじみと感銘を受けました。

お洒落でチャーミング、しかしちょっとコミカルなG子さんとは、ご令嬢のT嬢(御年0歳。ダンサー志望?)とともに、蕎麦かっぽう 宇一朗さんへ。

落ち着いたたたずまいのお店で、お座敷なので、赤ちゃんを連れた友人とも、ゆっくりくつろぐことができました。お蕎麦も美味しく、店員さんもとても感じがよくておすすめです。鴨つみれそばと焼酎のお湯割り、ほんとに美味しかったな~。

集中してなにかに没頭する時間も大切だけれど、なんとなく煮詰まっているときは、好きな友人たちと積極的に会ったり、綺麗な景色を観たりして、いろいろなことにエネルギーを拡散して、ひとつのことばかり思いつめないようにしたほうがいいんだなというのは、30歳を過ぎてようやく学んだ自分なりの自分への対処法。

自分のなかの風通しをよくすると、深刻に思えていたことが、じつはそうでもなかったことに気がついたり、自分になかった視点に気づかされて呼吸が楽になったりするから。

やっぱりわたしにとって好きな友人たちとともにする美味しいお酒やごはんは、生きていくための、そして自分の中にいるいろいろなひとを育てるための糧なのであります。

追記:写真は、ある日の空。なんだかきのこみたいで、妙に愛嬌が(笑)

育てたいひと

2008年10月11日 | 日々のこと
ともだちと、インドカレーを食べに行きました。

いつものように、涙がでるほど笑わせてもらったのですが(汗や涙に強いことを謳ったマスカラが全部流れ落ちるくらい)、相手によって、じぶんのなかにいるいろんなひとを演じわけているよね、という話になりました。

わたしの前では、彼女はしっかりしていて、頭の回転が速くて、ここぞというときには本気でしかってくれる愛にあふれた友達(ムーミンにでてくるミィのイメージ。わたしはムーミンのなかでミィが一番好きです。)なのですが、彼女曰く、職場では、わたしの前でいるよりもだいぶスローペースで、おっとりした女性と思われているらしい。

わたしの前にいると、自然にスピードが速くなり、しっかりした人物が出てくるとのことでした。

なんでだろう。

わたしが自分自身ひとにどう思われているかはわからないし、場所によってもひとによっても受け取り方は違うと思いますが、とりあえず、仕事の場では、自分のなかにいるしっかりしたひとをもっと育てていきたいです。

merci !

2008年10月10日 | 日々のこと
海外からのお客様で、英語でやりとりしたあとに、最後に「ありがとう」と日本語で言ってくださるかたがときどきいらっしゃいます。「こんにちは。」「さようなら。」など、かたことでも、日本語で言ってくださるかたから、言葉を、あるいは違いを尊重してくださろうとしている気持ちが伝わってくると、こちらもとてもうれしい気持ちになります。

そういうお客様に対しては、こちらも日本語で返すのが礼儀だとおもっていたので、「ありがとうございます。」と日本語で返していました。

けれども、このあいだ先輩に「むこうが日本語で言ってくれてんねんから、そのひとの国の言葉で返したらええやん。」と言われ、ためしにフランスのお客様に「merci!」(ほとんど唯一といってもいい、わたしが知っているフランス語)と返してみたら、びっくりした顔をされ、そのあとものすごく喜ばれました。

日本語に対して日本語で返すのではなく、相手が日本語で話してきてくれたからこそ、こちらも相手のかたの国の言葉で返すという方法もあるのだなあと目が開かれる思いでした。

もちろん、フランスから来られた方がフランス語を話されるとは限らないし、言語には、さまざまな歴史的、政治的な背景がかかわってくると思うのですが、そういうこともふくめて、いきなりひとつの言葉を全部勉強しようとするのではなくて、いろいろな言葉の「ありがとう」を知りたいと思います。

どんな言葉でも、「ありがとう」と言うときは、そのひとの顔が輝くので、どうやらわたしはそれをみるのがうれしくてたまらないようなのです。

まえからやってみたいと思っていた、いろんな国の「ありがとう」を、このあいだともだちにもらったちいさなノートに書いて集めてみようと思っています。

京・月・花展

2008年10月07日 | 日々のこと
ミナコカワウチさんの京・月・花展に行きました。

どれも、静かなたたずまいを持った美しい作品で、作品を見ているうちに、自分がとてもせかせかした気持ちになっていたことに気づかされ、ゆったりした気持ちになりました。なかでも、"willow"と題された作品が、とても心に残りました。

高瀬川に優しく降り注ぐ緑の雨のような柳は、わたしにとって京都の風景の根幹にあるものです。

どんどん加速していく世界のなかで、ゆっくり自分と向き合う時間を持つこと。

ひとりの人間が生きていることだけで十分すぎるほど意味のあることなのだと思いますが、かりにArt、芸術や学問と呼ばれる領域に特別な力があるのだとすれば、それは、自分と向き合うことで、世界や他者と深くつながっていくことができる、世界と深くつながるためのエネルギーをお互いに与え合うことができる、ということなのではないかと思う。

会場におられたミナコカワウチさんとおしゃべりし、たくさんよいエネルギーをいただきました。

日々迷うことばかりですが、悩んだり苦しんだりする自分を認めながら、風にたおやかに身を任せる柳のように生きていきたいと思います。