明日のスピーチのコンセプトは、野球の醍醐味、そして輝くプレー、なぜそのプレーに惹かれるのか等々をテーマとしたい。
田中将大投手が楽天に勝利をもたらした。非常に力のあるストレート、スプリットにスライダーと付け入るすきを与えなかった。
彼の凄さ、功績については様々なメディアで語り尽くされ、私が語るべきものを持っているわけではない。
調子が悪ければ1試合に数回、良くても必ず1回はピンチというものはやってくる。
勝負どころでは、浮き上がるような剛速球で打者のバットがボールの下を通過していく空振りを奪っていた。
野球は、「動と静、間」のスポーツである。スポーツは勝敗、プレーの激しさ、強さ、速さだけが称えられるものではなく、最後はその美しさというところに行きつくと感じている。
例えば「投げる、打つ、走る、捕る」というのは、野球の基本プレーであるが、観ているものを惹きつけて離さないのは、選手の速さ、強さ、華麗さだけでなく、例えば、何気ないしぐさであったり、ボールを投げる時のフォームだったり、投げた後のボールの軌跡であるとか、打者であれば打席に入った後、構えるまでの一連の動作であたったり、投球を打ち返す時の、バットスイングなど、その所作の美しさであると思う。
もちろんそれは魅力の一部でしかないが、そのすべてが最終的にはその美しさに集約されるんだと思う。
キャッチャーである私は投手の球の軌跡が野球でもっと美しく感じるものである。
投手が渾身のストレートを投じる。私から見ると左前方から投じられた右投手の投球が、ホームベースの対角線上にあるアウトコース低め、ホームベースにぎりぎりかするかどうかの所を、通過するボールの軌跡がとても好きだ。
ピッチャーはマウンドと言う、小高い位置から投げおろしてくる。その軌跡はボールが規則正しく回転しながら、鋭い角度で、ずどんと一直線にミットに吸い込まれる、私は捕球の瞬間、脇をしめ、肘を絞り、ミットに吸い込まれた玉の勢いを利用して、手の甲を上に向けるように、捕球し、ミットを制止させる。
そして、審判のコールを待つ。もちろん、打者は微動だにできずに見逃した。
きっと彼は、神に祈っているだろう「ボール」であってくれと。
でも打者は分かっているのだ、自分が三振したということを。
私はこのボールの軌跡がとても好きなのだ。