3・11・・・
この数字を並べただけで今の私にいったい何を表現出来るというのだろうか・・
でもあの日を決して忘れないためにも私たちはこの日付を
魂の奥底に深く刻み付けなければならないのだと思う。
あの痛ましい震災の日を境に何かが変わった・・・
それは被災地のみならず、東北地方からは離れた地域に暮らす私ですら
その思いは日々強くなってゆく。
※ ※ ※
明日という日が何度巡っても、友と交わした約束はもう2度と叶うことがなく、
昨日まで当たり前にそこにあったものが跡形もなく消えてしまった。
一瞬にして奪われた過去と未来の狭間に漂う現実。
誰もが目を疑ったあの日・・
過去も現在も未来も時間さえも臨界を越えて波間に消えた。
※ ※ ※
恵みの大地に根を張り地に足を付けて生きていた。
豊かな水は田畑を潤し、澄みきった風が山々を渡った。
当たり前にそこにあるべきものが侵されてしまった。
戻れる家があっても帰ることが出来ない。
気がつけば汚染という見えない境界線がいつしか貼られてしまっていた。
※ ※ ※
テレビの映像やネットを見るたびに
今ここでこうして座っている自分をはがゆく思う
現地へ行って何か形ある支援をしたい・・と誰もが一度は思う
でも現実にはそれは叶わない
背負っている日常というものが誰にもある。
大地が裂け津波で流された一本の桜の木が
ガレキの上に横たわり花を咲かせていたという。
最後まで生き切ろうとするその姿に被災地方の底力を見たような気がした。
「電車の中で誰かの足を踏んでも知らない振りをしてしまう。
自分さえよければ人はどう思おうとかまわない」
そんな身勝手さに1人でも多くの人が気づき
たとえ小さなことでも他人を気遣う一歩が
思いやりのリングになるのではないだろうか・・
自分の隣にいる人を気遣えない人に世界は見えないし地球も救えない
手の届かないものに目を凝らす前にまず自分の回りに目を凝らしたい。
そこで何か自分に出来ることがあればまずそれを一生懸命にやる。
それを見た人が今度は自分には何が出来るんだろうと考えてまた何かを見つける。
たとえばそんな連鎖が、長い目で見て大きな力になるのではないのだろうか。。。
※ ※ ※
明け方の空を見上げたことがあるだろうか
夜明け前、世界はブルーの深い闇に落ちてゆく。
そこからしだいに空が白みまた今日が始まる。
見慣れた日常が今日も繰り返されることを
あなたも私も心のどこかで信じている。
本当は約束された未来など何処にもないのに。。。
あの空は被災地まで続いている・・と今日も明けてゆく空を見上げて思う。
カーテンを開けたその窓の向こうや、信号待ちする交差点。
揺れる川面にも被災地へと続く空が見える。
多くの人が空を見上げて被災地を思うだけでも
それは心の架け橋になると私は思う。
3・11・・あの日を永遠に忘れないその為に・・・