満たされない何かを探す旅には
終わりがないのか・・
十人十色、答えは読み手に委ねられるということでしょうか
人は誰でも人生という一本のレールを歩き続けているのかもしれません。
でも時にはそこから外れて自分が何処から来て何処へ行こうとしているのかと
確かめてみたくなることがあります。
何かが欠けている・・それが何かわからないから何かにぶつかり戸惑い迷い転がり続ける。
これは大人にこそ読んでいただきたい「自分探しの旅」の絵本。
絵も文章もとてもシンプルですが、一部が欠けた丸い「ぼく」が転がり続けて
自分にピッタリ合う欠片を探し続けるお話。
そしてそんな欠片を見つけた時に、また新たな旅が始まるのです。
※ ※ ※ ※ ※
寄り道して嬉しい発見をしたり、時々道に迷って泣いたり、
立ち止まって考えたり、振り返って切なくなったり・・
人間って喜怒哀楽があるからこそ愛すべき存在なのではないでしょうか。
みんなどこか欠けていることをわかっているから
心のどこかで何かを求めて今日も歩き続けてる。
その欠けてる何かが運命の赤い糸を感じる相手だとして
たとえばその相手と出会えたとします。
確かにひとりでレールの上を歩くよりは楽になったけれど・・でも何かが違う。
パートナーを得ることで互いに学べることはたくさんあって引き出しも増える。
それはとても意味のある大切なことです。
でもそれと自分探しの旅は違うと思うのです。
あなたと私の魂は別のもの。
どんなに強い絆で結ばれていようとも自分の魂の欠けた何かは
自分で探し続けなければならないと思います。
その欠けた部分に誰かが与えてくれたピースをはめ込んでもやはり何かが違うからです。
探し続ける欠片は他人からしてみれば何でもないただのガラクタにしか
見えないものかもしれません。
でも自分の中でどうしても譲れない何かってありますね。
もしかしたらそんなかけがえのない何かの最後の1ピースかもしれませんよね。
「もうどうにでもなればいいさ」と我を捨てて降り立った場所に何気に転がっていたり・・
ふと自分の回りを見回した時に見慣れた日常の中でそれが何か気づいたり・・
ひとりコツコツと地味にやり続けてきた何かだったり・・・
※ ※ ※
だけど最後の欠片はそう簡単に見つかるようには出来ていないのかもしれません。
最後の1ピースを探しあて旅を終えることよりも
欠けてる何かを探し続けてゆくその過程に本来の意味があるのではないでしょうか。。
年を重ねた今、そう思います。
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