建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

弋工の思い出(3)

2010-01-25 09:58:14 | Weblog

……………………… (弋工の思い出 3)………

 今度はレッカーのオペレーター(運転手)が蒼い顔をして来た。

 鉄骨を吊り上げていたら、左右の弋の合図が違っていたそうだ。

 80㌧レッカーは重量を吊り揚げる力はあっても、揚重する速度は少し
遅い。
 
全速旋廻でもゆっくり動くようにしか見えないので、弋がイラ起った
ようである。

 弋の一人は早く巻き上げ(上移動)と言い、一人は廻せ(旋廻)とオ
ペに合図したのだが、オペは安全上、自分の判断で一旦動きを停止した
ら、二人からボルト(リポビタンD程度)
が運転席に向かって
げつけられたのだ。

「で、被害は?」
「重機(レッカー)に傷が少し付いたのはイイが、もうこの弋さんとは
やってられない!」
「弋はどうしてる?」
「鉄骨から(地面に)降りてどこか行った、鉄骨は吊ったままですよ」
 少々の風では動かない鉄骨梁だが、宙ぶらりんは危険な状態だ。

「とにかく梁は地面に一旦降ろしてから、話をしよう…よね」
 
相当、オペさんは頭に来ているが、なだめる言葉も見当たらない。

 最初から弋とオペさんの連携は上手くいっていなかったらしい。
 
そこまでの配慮が出来なかった私のミスでもある。

「まだ先は長いし、ちょっと弋の社長を呼ぶから、皆で話し合いをしよ
うよな?」
「弋を代えるか、私が出て行くしかないでしょうよ…」
「そうかも知れないが、所長に相談もしなければ、俺は何も言えないよ…」

「オペやって20年以上なるが、こんな弋さんグループは初めてだ、私は
もう出来ません!」
「交替するにしても、事情をはっきりさせておかないと、次ぎのオペさ
んが困るから」
「・・・(次ぎの人には悪いことを、押し付けたけど…)・・・」

 とにかく、私もはっきり言ってここから去って行きたいので、一触即発
でケツをまくる腹づもりは出来ていた。

 鉄骨工事がかなりの工事量を占める現場であって、鉄骨建方にマゴつい
ていたのでは話にならない。
 どうやってこの状態を乗り切るか・・・
(内輪話から得るものは何もない…のでここでの話は省略しますが、弋職
人は交替メンバーがいなくて、オペさんを交替させるしか無かった)

 竣工まで鉄骨建方のみならず突貫状態は続いたが、重大事故がなかった
のは幸いである。
 工事全般に於いて苦心した割に儲けも出ず、イイ思い出もなく、教訓に
なるものもなかった。

 高層ビル・マンション・体育館・大劇場など色々な鉄骨造の建物を経験
したが、鉄骨建方の度にこの現場を思い出して複雑な心境になり、
同じ轍は踏まなように反省もしている。

 底辺を経験しただけにその後の鉄骨工事は気合が入っていて、現場は
順調に進んでも気持ちは悪い方向ばかり憂慮して、鉄骨建方にはどうも
笑顔を忘れているようだ。

    《続く》・・・コメント待ってるからね~

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        〒454-0962 名古屋市中川区戸田4丁目1605-1
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            E-mailandante2@d2.dion.ne.jp
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弋工の思い出(2)

2010-01-15 08:49:46 | Weblog

     ………………………(弋工の思い出 2)…………

 鉄骨建方が始まった。

 80㌧レッカーが2台、少し離れて45㌧レッカーが1台待機している。

 先日地面に山積みしてある鉄骨を、45㌧レッカーで先ず柱から引きずり出して80㌧レッカーに柱を引き渡し、それを受け取って更に奥の80㌧レッカーに引き渡してから、やっと1台の柱が建つのである。

 バケツリレーのように柱を2度手渡してから、柱が垂直になるように方向を変えてやっと柱を建てるのであるから、時間がかかっても鉄骨はなかなか建たない。

 普通一日に30ピース(大小の30部材)ほどが取り付けの目安である。

 昼まで作業しても遠い所から鉄骨を移動させていただけのようであり、だんだん焦って来る。

 の字にならなくてもせめての字のようになるまで、柱(コーナーの)4本と梁5本(周囲と中の1本)は繋いでおきたい。

 それでも一日予定数の30分の9であるから、弋は今日、全く稼いだことにならない。

 鉄骨建方の開始早々から、弋職人の周囲の空気は重くなってしまった。

 それでも、三日間は耐えていた。

 だが、四日目の朝礼時に弋さんが一人も来ていない。

 今日からはトラックから直接吊り上げて、そのまま建てられる柱もある。

 トラック3台はもう場内に入って荷降ろしを待っているのだが、肝心の弋さんがいない。

 携帯電話のない(職長はポケベルを持たされていた)時代であるから、職人さんと連絡が付かないので、現場に現れるのを待つしかないが8時20分は廻っている。

 朝礼が終わって、
「弋はどうした!いつ来るンだ!」
と周辺が騒がしくなった頃に、

「二日酔いで……、すぐには上に上がれんよ、福さん」

 酔いが残っていれば上がれないのは当然だが、弋が鉄骨に上がれないでどうするンだ。

「じゃあ誰がこの荷を降ろすンだ?」

「アンタらで降ろしてくれ、まだ酔いが残っているから…」

だらしない職長であり、若い弋さんも下を向いているだけで何とも気まずい空気である。

 刀を持っていたらブッタ切っているところだ。

「もう帰れ!宿舎に戻って寝てろ!

 弋は今までも不平タラタラ言いながら作業をしていて、周囲の意気が萎えている所に、チームワークを乱す態度は許せなかった。

 足場組立ての弋さんにお願いして、トラックの荷物は降ろしたが鉄骨建方は休みとなった。

 工事全体が遅れている所に、また遅れを重ねてしまったし、レッカー使用料も一日分無駄になってしまったのは私の短気からであり、所長にも鉄骨工事の関係者にも申し訳がなかった。

(雨が降って今日は高所作業が出来なかったンだ)
と自分に言い聞かせるしかなかった。

 それ以後、弋は私の機嫌をとるかのように、少しは私の指示を聞くようになったようだった。

 やっとのことで10日間が過ぎた頃、

「もう、帰ります!二度とこの現場には来ません……」
「何?何があったの?」

今度はレッカーのオペレーター(運転手)が蒼い顔をして来た。

  《弋工の思い出3へ 続く》

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弋工の思い出(1)

2010-01-04 09:55:14 | Weblog

        ………………………(弋工の思い出 1)…………

 はっきり言えば《弋工》との思い出にイイ思い出が無い。

 特に鉄骨建方の弋工では、私の現場時代の中でも最低部類の話があり、
ずっと尾を引いているようでもある。

 昔、私の若かりし頃、高い所から、
「ここがおかしい、見に来い!若いの!
とナメられてるような、上がって行く勇気がないのを見越したような、
怒鳴り声が来る。

 私の現場経験が浅いのもあるが、年期の入った弋の職人さん達はオッ
サンであり、所長も今一歩腰を低くして、弋さん弋さんと、丁寧語を発
している。

「行くから、待ってろ!」
 
行っても何が何だかわからない私は、弋工に指示も出せないのに強気な
返事で負けてない。

 昔の事だから、命綱はないし安全ネットを張るのでもなく、落ちたら命
も落とすだろうから、
恐怖心を持たないように、頭にカッカと血を昇らせ
たままで、鉄骨柱をよじ登る。

 梁の上に辿り着いて下をみると10㍍は越えている所に立っている。
「落ちたら串刺しになるぞ」
というように、鉄筋が地獄の針の山のように感じて見えるのもナントカ
が縮むって如くの恐怖が付きまとうものだ。

 弋は梁の上で手招きしている。
「クソッタレが…(ナメんじゃねえや!)」

 歩く面の鉄骨の幅が45㌢あろうとも、平均台の上を歩くよりもっと怖
いが、
「そんな素振りは見せられっか!」
と腹をくくるのだった。

 なんど怖い思いをしただろうか、否、させられただろうか。

「怖いと思う前に、足元だけを見て鉄骨の上を歩けよ、足場板より広い
ンだよ」

 
地上で所長や先輩たちから何度も聞かされていても、鉄骨の上に立つと何
の役にも立たない教訓であった。

 そんなこんなで弋さんから鉄骨建方も鍛えられたが、思い出話の一つを
してみよう。
 
昭和の終わり頃、私の副所長時代・・・。

 静岡県のサッカーの強い街で鉄骨建方時の事件である。

 工期はかなり遅れていて、鉄骨建方の弋職人の確保もままならない時
だった。

 鉄骨工場(名古屋)から鉄骨の柱や梁が10㌧トラックで一気に現場に
入って来た。

 鉄骨工場も出来上がった部材を現場に搬出しなければ、工場の製品置
場が山積みになってしまい身動きが取れず、納期予定が過ぎている部材
を先ず現場に搬入したのだ。

「現場も置く場所がないから、持って帰れ!」
と弋に言われても、トラック運転手は引き返す訳にはいかない。

 鉄骨の搬入順序まで決めていても、現場の遅れにより搬入予定日も遅
れているのであるから、やむなく荷を受け取る事をせねばならない。

「建てるところからが仕事だから、荷降ろしは追加代をくれるなら
するよ」

「(今、建てなくても、荷降ろしは弋の仕事だ、何をホザイてンだこ
の弋は!)」

銭はどうにかするからと、トラックの荷物はひとまず地面に降ろした。

 鉄骨の建築物が多くて、鉄骨建方専門の会社が少ないので、弋職人の
態度がデカい。

 この現場は最初の打ち合わせではこの弋さんではなかったそうだが、
工期が遅れたので予定の弋さんは違う現場に行ってしまったそうだ。

 急遽弋さんを探して、引っ張って来たのであるが、この弋さんが不足
している時に仕事が空いていたような弋さんでは
『人気が無くて腕は悪い』
と先入観が先走っていた通りであった。

 名古屋から遠く離れた静岡県であり、職人さんの寝泊りの準備も、
現場で行う条件になってやっと確保出来た弋職人だったし、
朝晩の食事の世話まで頼まれて、それは断ったものの、夕食代金は多少
補填したようだった。

 鉄骨建方が始まった。

       《弋工事の思い出2へ 続く》

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