八月 九日(水) 晴れ
朝一番、朝礼後にガーンと一発電話で冷水を浴びた。
「『ポンプ車の手配が付きません』との事です、所長、どうします?」
とN子が取り付いだ。
「なにーッ!?どうもこうも俺はそんなヘマはしていない。俺が手配したのは、もう2週間前、
否この前4階のコンクリート打設時にもここで・・・そうこの場でポンプ工の松田さんと打ち合
わせをして、配車係と『予約確認OK』迄してたのに、何でだ!!」
と目の前はクラクラだ。
「松田さん、どうしていま頃、何言ってるの!(何をねぼけてんだ!?)」
「お盆前の時期はどこの現場も、打設してから休みに入ろうとしているので、ポンプ車が足ら
ないのです」
「そんな事はここ10年ちっとも変わっちゃいないのでしょ!私は前もって、ずーっと前から予
約をしていたし、4階のコンクリート打ちの時、ここでアナタと確認したでしょ!!」
「はい、覚えています。手帳にも書いてあります」
「じゃあ何とかしろヨ!ではなくて、決まっている事ですね!!」
「それが・・・」
「今更、理由を聞きたくもない。Kビルはいつも通りの『予定変更無し』だからね」
「所長の所は絶対に予定変更ありませんね?」
「俺が、直前になって割り込んだりズラした事あるのかね、前回のAマンション、ここのKビ
ルでもあったかね?」
「そうだよねえ……所長ン所は固い(動かない)からなあ・・・」
お盆前は余裕を持って11日にしたのだが、明日でも打てる。
とにかく今、ここへ来て各下請けへの予定変更が無理なのは目に見えているが、
「所長らしくもない」
とこの際何と言われ様とも、盆前には打たねばクニへは帰れない。
何の為にこのクソ暑い中を、職人達が汗水流して頑張ったんだ。
型枠工事は今日残業すれば完了だ。
―――配筋検査もなしで明日朝一番からでも生コンの打ち込みは可能だ。
最終チェックの一日が、出たとこ勝負のコンクリートになるだけで、このフロアーは
精度ぬきだ―――。
こう考えれば、突貫工事から比べれば、楽勝で打設可能だ。
しかし、横から自分の配下の現場のみを考えて割り込む神経でないと《権力のあるお方》
にはなれないのだろうか・・・
私は一所長でチームワーク楽しく建物を創って世に残して行きたい。
あと10年働いたとして15棟も建物を創っていられない歳だ。
楽しい思い出で定年後には創った建物巡りをしてみたい。
「夕方にまた電話します・・・済みません」
「悪い知らせは待っていないからね!」
「はい、何とかします・・・」
イライラするのはポンプ工に対してでなく、仲間内でこちらがケリ出される事だ。
(Kビルは工程があるので盆明けに廻しても間に合うから……)
なんて例え配下の現場に権力があろうとも一体何考えてンだと言いたいよ。
お互いに予定を組んで『横の連絡、縦の報告』を行っているではないか。――――むッ!。
万一明日になってもと至急チェック体制に入って、5時半頃に事務所に戻った時はアワの
出るモノが片手にヘバリ付いていた。
ふと電話の『デンゴンアリ』に目が行くと、
「ポンプ工の松田です。手配出来ました」
と留守番電話に入っていた。
これが逆目の伝言なら窓ガラスにガッチャーンとぶつけて、風通し良くなる所だった。
早速電話を入れた。
「松田さん、OKなんだね、それで明日かい?」
「いいえ、いいえ11日ですよ、打ち合わせ通りのね」
「11日なら、今日はもう残業止めても良くなったわけだね。有り難う」
ここでアリガトウもないものだが、口癖か本音かは分からないけれど、つい答えていた。
場内スピーカーで作業員全員を打ち合わせ室へ呼出した。
待つ事3分。
机の上には冷たくてアワの出るモノをたくさん出しておいた。
「残業は中止だヨ。決めていた通りの11日でポンプ車もOKとなったヨ」
嬉しくて仕様がない私のサービスだ。
さあさあ道具片付けて、掃除は明日でもいいし、時間はタップリ有るのだから、もう今日は
御苦労様でした…だ。
明日に向けて頑張っていた感謝の意味で、
『一杯飲もう、少ないけど水よりはいいさ、さあ、皆で乾杯しよう』となった。
作業服を着替えた人、頭に水道の水をかけて体を冷やしている人、様々に帰る準備を
しながらチョット(つまみ飲み?)のビールは格別に美味(うま)いものだった。
設備工が一番ホッとしている。
夜通しかけて配管をしないと(間に合いそうにもない)と夜食迄段取りに取り掛かっていた
のが、急遽(きゅうきょ)解散だ。
七時からなら何とか作業が出来るから……と三時頃に緊急集合をかけていたのが解除だ。
夕方、Kビルの応援に来た人の中には、ビールを飲みにだけ来た様になった人もいた。
(運のいい奴め!)
もう今日は朝っぱらから、午後、夕刻、夜と何だか騒々しくもあり、結果的には、
『楽しんだ一日』とでも言う事だろうか。
これだから、現場は生きている。
自分で『育てハグクム』様な『魂』が入って行く。
この気持ちを若者達に伝えて行くのが私の義務でもあると思うのだけれども―――。
M店舗の事は完全に忘れてしまって、今日は快い疲れを感じてグッドナイト・・・。
八月 一日(火) 曇り
八月になった。
Kビルの話を一番初めに聞いたのは冬だったのだから、もう半年も経っているのだ。
実質4月から工事着工したとしても丸4ヵ月ここで仕事をしている。
この付近の人達とも、随分と顔見知りとなった。
喫茶店等で食事をしていても、
「大分出来ましたね。何階建てですか?工事は順調ですか?」
とよく聞かれる様になった。
「ええ、お蔭様で順調でね・・・ええ6階建なんですよ」
「マンションですか?」
「いえテナントビル、そう、貸し事務所です、お店屋さんは入りません」
「入る会社は決まっていますか?」
「いいえ、まだパンフレット作製中でしてね、建物の名称を考えているんですよ、いい名前
が有りませんかねえ」云々。
(私はいつからこんなに誰とでも話が出来る人間だったのだろうか―――)と思う。
本人としては『人見知り』する内弁慶的な性格だと思っているのだがね・・・。
コミュニケーションと言うべきか、おしゃべり好きというか、現場としては全く
『明るくて楽しい現場だ』
と自他共に認めている。
「ここへ来ると何かホッとするし、よその現場のモヤモヤをここでは落とせるので、
立ち寄ってみた」
と言いながら、今回の工事にはチョッピリしか仕事のない(斫はつり工事)の杉浦組の社長
が来られた。
私は他の現場の情報を手にいれるには好都合だけれど、その現場に対してどうの
こうのとは言わないし、何を言われても、
「うんうん……そうですか・・・困ったねえ―――」
としか、答え様がない。
それでも積もった話を話終わる頃には、元気回復しているみたいだ。
話を中断して、
「現場をチョット見て来るので10分したら戻るから待ってて……」と言いながら、
「『王様の耳はロバの耳』と言う話があるでしょ杉浦さん、あの足場板の向こうに穴があるので
《△△現場のバカヤロウ》と言っておいでよ」
と冗談を言い残して私は事務所を飛び出して行った。
現場のおさまり具合が気になってた部分を世間話に夢中で約1時間見過ごしているので、
サッと指示して来る予定だった。
しかし、出たが最後・・・とまではいかないにしても、
「あのねえ、所長」
と問いかけられて、目的地迄は一直線という訳にはいかなかった。
早めに事務所に戻ったつもりだったけれど、20分近くは過ぎていた。
それでも杉浦さんは待っていてくれて、喫茶店へ行こうと誘ってくれた。
(うーん、アイスコーヒーは飲みたいし、仕事も気になるし―――。)
でも折角の好意だからと30分間現場をエスケープした。
今日は一日なので定例の安全大会があり、この資料が作成途中であり、書き上げねば
ならない。
フロッピーには大会用の資料をかなり入れてあるので、ワープロ作業は早く終わるけれども、
参加者人数分のコピーに時間がかかる・・・。
安全大会資料のレイアウトと今月の安全テーマをどうするかを、気にかけながらのコーヒー
タイムではあった。
「それにしても暑いねえ、現場は大変だよねえ、所長の所は休憩所にもクーラーが効いて
いるからイイけど□□は大現場なのに設備がなってなくて困るよ、ここは楽勝だね」
全くのお上手、ヨイショ話と言うものだろう。
喫茶店から戻り、昼食もそこそこに安全大会の資料を作成し、何とか間に合った。
これは事務のN子の頑張りによるものだった。
ワープロがある程度操作出来る様になったので、彼女専用のフロッピーを渡していた。
その中から先月度を参考にしてN子のセンスで、今月度の配布資料を私がエスケープし
ている間に作っていてくれていた。
一部修正はあったもののOKだった。
ここまで出来る事務補助(女性)には今まで出会っていないので、感服した。
(Kビルが終わっても、次の現場にも連れてってやるからネ―――)
安全大会ではあるものの真昼の13時の炎天下のさなかに全員集合しての安全立ち話も、
クソ暑いだけなので1階テナント広場を会場とした。
コンクリートの臭いがまだある部屋だけれど、サッシュはまだないし、風通しは抜群だ。
多少ほこりっぽいけれど、一部分は休憩室になっている。
誰が作ったのか机も椅子もある。
弁当の包み紙兼用とも思えるスポーツ新聞が転がってもいた。
いつも通りの挨拶から今月度の安全テーマ、そして私のコメントが続いた。
この際だ、アドリブで一発。
「廻れ右して下さい………この休憩室は誰のものですか?皆のものだから皆で片付ける
事にしよう」
と言ってフト横に竹ホウキが立て掛けてあるのが目に入った。
「今から5分間、この1階を全員ではき掃除しよう・・・その後で今日の記念品の軍手を
配ります、以上」
1階はあっという間にきれいに片付いた。
作業服、弁当箱、道具類等がきちんと置かれて、ごみ箱の中のゴミも処分した。
ついでに1階室内状況写真を記念に撮っておいた。
せめてこの状態が一週間保ち続けたら―――
今月はお盆休み迄が勝負の10日間だ。
コンクリート打設もあるけど『夏バテ・熱中症』に気をつけて頑張ろう。
7月末日で出来高27%、予定より3%アップしている。
工程は順調だ。
七月二十七日(木) 晴れ
Kビルの4階コンクリート打設だ。
朝9時半頃迄はF君の手配、段取りを確認していた。
職人さんの顔ぶれも下の階とほぼ同じメンバーである。
後はハプニングが起きない事を祈るだけだ。
この階も110㎥前後の生コン予定だ。
その後は、1~3階のダメコン(後で打とうと計画していた所や材料取り出し用仮設の穴の
数か所を復旧)を3㎥位打つ必要がある。
これを今日確実に打ち終わって(塞ふさいで)おかないと、サッシュとか設備工事が入って来
る時になってから、穴のままだとその場になって、あわててしまう事になる。
次の5階のコンクリート打設がお盆前だけれど、その時に打つとしたら、型枠解体するまで
の期間を考慮して、仕上げ工事の工程は9月から着手になる。
これでも遅くはないけれど、後にズラしてまとめてダメコンを打つとすれば、ポンプ車も
土工も手配し、5~7㎥の生コン打設に一日費やしてホースを引きずり廻すだけで、時間の
無駄だ。
今日も昼過ぎには打設終了するだろう。
ポンプ車自体の残りコンクリート(ホッパー、ホース内)も含めて、全て打ち切ってしまえ
る時間がある。
3時迄有効にポンプ車を稼働させ清掃して回送しても、定時迄には作業完了する。
しかし、今日の予定を「4階の打設だ」との先入観で場内に入って来た人に、ダメコンを打
つと言うと余分な仕事の如くに思えて、
(えッ?次の機会にしてよ)
と顔に書いてある。
ここを押し切って打てるかどうかが、F君と下請けさんの親密度の判断材料だ。
「前に来たヤツが残した所なら、前のヤツらに打たせりゃいいがねえ・・・」
――ご最もな意見でございます。でも――――
「自分達だって『面倒クサい所は後から打とう』とその時は言っていて、他の仲間にカバー
してもらっている事を忘れるな」
私が親方ならそう言ってやる。
まあこのダメコンも定時以内に終わるように予定を組んでおけば、余程の事がない限り職人
さん達も動いてくれる。
お盆前でクニへ帰ろうとあせっている時だと無理だがネ……。
私の若い頃はポンプ車で少量のダメコン打ち等は勿体(もったい)ないという主任の考えで、
ネコ車(手押し一輪車)からバケツリレ ーで穴を埋めたものだ。
中には高さ1.2m積んだブロックの上部型枠の中へ脚立に跨(また)がって……。
この記憶がダメコン、雑コン、穴埋めコン等の言葉を聞いただけで
『やりたくないもの』
と反応してしまうみたいだ。
10時にはM店舗にいた。
『鉄骨本締め』も今日で終わるだろう。
弋工が仮締めしていたボルトを正規のハイテンションボルトに差し替える仕事は
『鍛冶(かじ)工』
と称する職種の仕事だ。(鍛冶工の説明は後日しましょう)
鉄骨を製作した工場から、鉄骨組立のベテランが「本締め」に来る場合も多い。
施工図が悪かったり、うっかりすると本締めの工具が入らない狭い部分があったりすると、
工場で原寸図を引いた(書いた)人を呼んで勉強させている事もよくある話だ。
―――吊り足場がなくてハシゴでも架けると本締めは出来るけれど、本締めを止めて吊り
足場を解体する訳にはいかない。
「困ったねえ」
と言うより先に
「この部分はリフト(信号機を直すような車)を持って来て足代解体後に・・・」
となり、もう今となってはそれしかない・・・という現場もかつてあったなあ。
こういう事の繰り返しも幾つかあって、鉄骨工事は終了していくのだ―――。
ここM店舗は待ったなしの短期工事だという事で手戻りは絶対に許されない。
それに私の性格を見通して鉄骨工も弋工もそれなりの対処をしていてくれた。
それでも窓の変更図面を打ち合わせをしていたにもかかわらず、変更前の状況が2ヵ所出
て来た。
鉄骨がやっと組めた、組めたと安心するには、まだまだ先なのかも知れない。
他にもチェックミスがないか気掛かりになり始めてきた。
ボルトの締めつけ忘れだってあるかも知れないし……。
心配のタネは尽きないものだ、全く。
夕刻にはKビルへUターンだ。
ダメコンは予定カ所全て打ってあって合格だ。
但し、ダメコンを打設時にホースからはみ出たコンクリートの処理がまずい。
これは早急に処分しておく事だ。
コンパネの上に牛の糞(ふん)の如く無造作に置いてあり、固まっている。
これも誰かが片付けねばならないのだ。
設計事務所、オーナーが来られた時、それ(牛の糞)を見てどう思われるかも建築技術屋の
神経の配り所の一つと私は思うが・・・。
七月三十一日(月) 晴れ
とにかく暑い。
朝礼中でも建物の影に入ってのラジオ体操だ。
久し振りに朝礼時に雑談をした。
「この暑い太陽の光は、太陽からどの位の時間で地球に届くか知っている?」
額(ひたい)からもう汗がキラキラと光っている人もいるこの暑い時に、頭なんか使えない
だろうけれど、一応訊(たずね)てみた。
「光でもかなりかかるよ、星は何光年というし……」
「太陽はもっと近いから早いさ」
「雲に隠れたら届かない、測れない」
「俺そんな事知らんでも構わん」
まあそれぞれ好きな事を言っていた。
「F君、どの位だと思う?」と訊(きい)た。
「多分・・・10分位だと思います」
そう正解だ。
太陽から地球まで1億5000万キロメートル、時間にして8分30秒で到達するのだから、暑い
のだ。
オゾンがなくなるともっと環境が変化するから、スプレー塗料のガス、クーラーのガス
(フロンガス)を撒(ま)き散らす事のない様にしましょうと言ったけれど、建築現場で
なおかつ安全とは何のかかわりもない朝礼話だった。
5階のコンクリート打設は8月11日だ。
これはもう大分前に決定している事だ。
そして、翌日墨出しを午前中行って、昼から現場は休みに入る……盆明けは・・・。
「所長、いつからいつ迄Kビルは休みなの?…クニへ帰るの?」
こういう会話が来客と言わず、電話と言わず、挨拶代わりに多くなった。
盆、正月はクニへ帰るし、また、この業界は出稼ぎ(この言葉は使いたくない)が、かなり
多い。
クニへ帰る人に現場再開予定は○○日だというのも、カワイソウである。
「お盆前に頑張った分、ゆっくり戻ればいいよ」
と優しい心か、甘い考えか分からないけれど私はいつも言うている。
長期連続休暇取得の正当性をマスコミはニュースにしているけれど、この業界は働きバチ
(働きバカ?)から抜け出せそうもない。
まとまって休めるのは我々も含めて盆・正月しかないのだから、若者が嫌う5Kの内の一つの
『休日がない』のKも理由の一つとしては、かなりのウェイトを占めて当然だ。
でも、『現場は楽しいものだよ』と言いたくて書き始めたこの物語も、今読み返してみると
『楽しい所なんか何もない』様だ。
私の偏見がさらに一方的に書いてあるだけで、私自身悩んでしまった。
これでは私のウップン晴らしを言いたかったと受け取られそうだから、失敗談の所はカット
してみよう。
これからは仕上げ工程に移って行くので、現場の雑談記録をテーマにして行こう。
今日の朝礼の様な話もしょっちゅうヒマツブシ(失礼、自由時間内言動)としては有るし、
駄洒落(だじゃれ)やクイズやギャンブル予想やアッと驚かす事から、チョットHな会話も
この集団(Kビル軍団)内では、日常茶飯事だ。
電気の担当者のK君、空調衛生担当のH君、わが社のF君、事務のN子と年令が22から30で
くっ付いているのに私だけダントツの42。
まさにトウが立っている私だが、彼らの中でも通用する
『ヤンパー(ヤングパパ)だ』(設備総合担当のMさんもヤンパーの部類だナ)
体力では負けるけれど口数はこっちのものだ。
教養(雑学)だってこっちのものだ。
太陽光線知らなかっただろうよ、教えてやったンだぜとフクミ笑いだ。
しかし、若者の中にいると気分的にも楽になるのは何故だろう。
『こいつらアホか!?』
と言えない分、私もその集団側に近い方にきっと居るのだろう。
仕事の厳しさ、口うるさ型、ヤンチャ度は職人からも指摘されるけれど、それは特定の時期
特定の内容による場合で、常に監視状況ではない。
言い合える雰囲気、コミュニケーションの充実、雑学の押し売り、明るい笑い、これらは
現場には不可欠だと思う。(自己納得というけども…)