…………………………(ティエラ)…………
ティアラ(王冠)の言葉を耳にするようになったのは雅子妃殿下の報道からだったと思うのだが《ティエラTierra》という単語が私の人生に大きく関係するようになった。
ティエラ、それはスペイン語で「地球」「土」という意味である。
NHKのラジオ出演が終って、退屈な日々を過ごしている時、
「失礼します、東京のグランブルーの増田と申しますが…」
と丁寧な声が電話から聞こえて来た。
「何それ?」
また《風来坊》の購入申し込みの電話かと嬉しくなったのだが、用件は別だった。
「私共は日立建機さんが発行している冊子を編集制作している会社ですが、今度福本さんの記事を載せたいと……」
「本を紹介ですか?」
「《ティエラ》という名前のPR誌で、インタビュー形式で登場して頂けないでしょうかと……」
「何それ?」がまた出る。
今までに48号ほど配られているそうだが、私は一度も見た事がない冊子であった。
日立建機さんが、重機関係にて取引のあるお客さんに自社製品のPRをはじめ、土木の分野を離れたユニークな話題も提供している《業界誌らしくない冊子》である事を知らされた。
朝日新聞とNHKラジオの両方が増田さんの眼と耳に飛び込んで、《風来坊》を読まれて私と会いたくなったのが事の発端だそうだ。
ティエラに私からのメッセージを載せたいので…という企画に、私は簡単に飛び乗った。
「名古屋へ記者とカメラマンを連れて行きます。ご都合のよろしい日は?……」
10日後、我が家で数時間、建設現場の若者を応援するが為の話に花が咲き、実もたわわに熟したようで、庭で鳴いている蝉の声も負けるほどの会話となった。
とりとめもなく、結論も出ない長話の中のメモから起草するのは、私自身が本を出版した経験があるので、大変な仕事である事が骨身にしみるほどよく分かる。
それを仕事としている事に尊敬をするし(冊子を発行している楽しみは何なのだろう)と、配布済みの数冊のティエラを見せて頂いていると、腕(指先かな)がムズムズして来た。
「このPR誌に私の1頁を連載出来ると、面白くなるかも?」
と半分冗談のつもりの悪いクセがここでも出て、つい調子に乗って言ってしまった。
「その事も、検討して来ました。日立建機さんには福本さんの了解次第で上申するつもりです」
「エッ?」
驚いたのは正直に言って私である。
気ままに自分の言葉で綴っているから文章が出来るのであって、テーマを与えられたり、企業宣伝になる美辞麗句や本音を外した文章はマッピラ御免であり、しかも、読者対象が私の専門の建築だけではなくて《土木分野》も含まれるのである。
話のネタが土木向きにもなっていなければ、日立建機さんとしても配布できないのは当然である。
「建築と土木の共通の仕事から話題をひろげれば…」
と気安く増田さんは仰るが、まあ何とかなるだろうけれど、正式に決まってから考えようと心積もりだけにしてインタビューに戻した。
余談として・・・、
土木と建築を較べて「どちらの位が上なのか」の論議を、嫌というほどやって来た。
ゼネコンの社内でも上位争いにこだわっているのだが、私は土木が上と結論付けている。
その答えの理由は至って簡単である。
「《土建業、土建屋》と辞書に有る以上、土木が上でなければならない」
と私の理屈を定義付ければ、丸く解決するのだ。
観光ホテルを山頂に建てるにしても、そこ迄たどり着けられる道路が無くては建築物は創れないし、建物が完成しても浄化槽へ流せるまでの下水道の排水工事がなければ、建物は機能しないのだから、土木対建築のどちらが上かと言い争っても仕方ない話だろう。
計測単位を㎜で測るか㎝を使うのか、私有地の境界線の中で工事するのか国(官有地)の中の仕事かによって建築と土木の分岐点となるが、土建業とまとめれば似たもの同士である。
「仲良くやろう」
と誰かが旗を振らなくても、心の底では相手を分かっているものだよね。
話をティエラに戻して・・・。
その土木の分野に数回で終わる話でなく連載となると話のネタが途切れるのでは……と心配が無きにしも非ず、と言うのが正直な気持ちであった。
「私の文章で書きますから、都合が悪ければ修正して頂けますか?」
この条件さえ認めてもらえば、ある程度は続けられるとも思える。
言葉の言い廻し方、不適切な言葉、日立建機さんの立場を考慮していない文章等は、自由に修正してもらうのに、何ら不満はない。
話のテーマも私の自由で良い事になって、先ずは土木と建築の共通する部分で、若手現場マンを育てる話を基盤にする話から始めようとなった。
「早速、日立建機さんにご報告して承諾をいただきますから、しばらくお待ちください」
(必ず承認になるから)
と増田さんの自信をたぎらせた顔が、頼もしく見えた。
それから半年後、日立建機の東京本社で連載についての打ち合せ会があり、
『元、現場監督の熱血コラム 福本悟美の現場大好き』
のタイトルも決まっていて、来月からでも原稿次第で寄稿出来る体制が整っていた。
現在は年4回の季刊行であるが、その時は隔月発行だった。
百号まで連載の心積りで執筆開始していてもう90号を越えたところとなっている。
日立建機さんが若手建設現場マンを応援されている中で、私も微力ながら若者に夢と希望の光を伝えたく応援させて頂けている事に感謝している。
若手現場マンからの応援に支えられて、私にまだ熱血の血が騒いでいれば連載を継続するかもしれないが、建設現場を応援したい気持ちはいつまでも持っていたいと思っている。
(注)この本には、ティエラに掲載したものを一部転載してあります。
またインターネット版の《ウェブティエラ》もご覧ください。
ティアラ(王冠)の言葉を耳にするようになったのは雅子妃殿下の報道からだったと思うのだが《ティエラTierra》という単語が私の人生に大きく関係するようになった。
ティエラ、それはスペイン語で「地球」「土」という意味である。
NHKのラジオ出演が終って、退屈な日々を過ごしている時、
「失礼します、東京のグランブルーの増田と申しますが…」
と丁寧な声が電話から聞こえて来た。
「何それ?」
また《風来坊》の購入申し込みの電話かと嬉しくなったのだが、用件は別だった。
「私共は日立建機さんが発行している冊子を編集制作している会社ですが、今度福本さんの記事を載せたいと……」
「本を紹介ですか?」
「《ティエラ》という名前のPR誌で、インタビュー形式で登場して頂けないでしょうかと……」
「何それ?」がまた出る。
今までに48号ほど配られているそうだが、私は一度も見た事がない冊子であった。
日立建機さんが、重機関係にて取引のあるお客さんに自社製品のPRをはじめ、土木の分野を離れたユニークな話題も提供している《業界誌らしくない冊子》である事を知らされた。
朝日新聞とNHKラジオの両方が増田さんの眼と耳に飛び込んで、《風来坊》を読まれて私と会いたくなったのが事の発端だそうだ。
ティエラに私からのメッセージを載せたいので…という企画に、私は簡単に飛び乗った。
「名古屋へ記者とカメラマンを連れて行きます。ご都合のよろしい日は?……」
10日後、我が家で数時間、建設現場の若者を応援するが為の話に花が咲き、実もたわわに熟したようで、庭で鳴いている蝉の声も負けるほどの会話となった。
とりとめもなく、結論も出ない長話の中のメモから起草するのは、私自身が本を出版した経験があるので、大変な仕事である事が骨身にしみるほどよく分かる。
それを仕事としている事に尊敬をするし(冊子を発行している楽しみは何なのだろう)と、配布済みの数冊のティエラを見せて頂いていると、腕(指先かな)がムズムズして来た。
「このPR誌に私の1頁を連載出来ると、面白くなるかも?」
と半分冗談のつもりの悪いクセがここでも出て、つい調子に乗って言ってしまった。
「その事も、検討して来ました。日立建機さんには福本さんの了解次第で上申するつもりです」
「エッ?」
驚いたのは正直に言って私である。
気ままに自分の言葉で綴っているから文章が出来るのであって、テーマを与えられたり、企業宣伝になる美辞麗句や本音を外した文章はマッピラ御免であり、しかも、読者対象が私の専門の建築だけではなくて《土木分野》も含まれるのである。
話のネタが土木向きにもなっていなければ、日立建機さんとしても配布できないのは当然である。
「建築と土木の共通の仕事から話題をひろげれば…」
と気安く増田さんは仰るが、まあ何とかなるだろうけれど、正式に決まってから考えようと心積もりだけにしてインタビューに戻した。
余談として・・・、
土木と建築を較べて「どちらの位が上なのか」の論議を、嫌というほどやって来た。
ゼネコンの社内でも上位争いにこだわっているのだが、私は土木が上と結論付けている。
その答えの理由は至って簡単である。
「《土建業、土建屋》と辞書に有る以上、土木が上でなければならない」
と私の理屈を定義付ければ、丸く解決するのだ。
観光ホテルを山頂に建てるにしても、そこ迄たどり着けられる道路が無くては建築物は創れないし、建物が完成しても浄化槽へ流せるまでの下水道の排水工事がなければ、建物は機能しないのだから、土木対建築のどちらが上かと言い争っても仕方ない話だろう。
計測単位を㎜で測るか㎝を使うのか、私有地の境界線の中で工事するのか国(官有地)の中の仕事かによって建築と土木の分岐点となるが、土建業とまとめれば似たもの同士である。
「仲良くやろう」
と誰かが旗を振らなくても、心の底では相手を分かっているものだよね。
話をティエラに戻して・・・。
その土木の分野に数回で終わる話でなく連載となると話のネタが途切れるのでは……と心配が無きにしも非ず、と言うのが正直な気持ちであった。
「私の文章で書きますから、都合が悪ければ修正して頂けますか?」
この条件さえ認めてもらえば、ある程度は続けられるとも思える。
言葉の言い廻し方、不適切な言葉、日立建機さんの立場を考慮していない文章等は、自由に修正してもらうのに、何ら不満はない。
話のテーマも私の自由で良い事になって、先ずは土木と建築の共通する部分で、若手現場マンを育てる話を基盤にする話から始めようとなった。
「早速、日立建機さんにご報告して承諾をいただきますから、しばらくお待ちください」
(必ず承認になるから)
と増田さんの自信をたぎらせた顔が、頼もしく見えた。
それから半年後、日立建機の東京本社で連載についての打ち合せ会があり、
『元、現場監督の熱血コラム 福本悟美の現場大好き』
のタイトルも決まっていて、来月からでも原稿次第で寄稿出来る体制が整っていた。
現在は年4回の季刊行であるが、その時は隔月発行だった。
百号まで連載の心積りで執筆開始していてもう90号を越えたところとなっている。
日立建機さんが若手建設現場マンを応援されている中で、私も微力ながら若者に夢と希望の光を伝えたく応援させて頂けている事に感謝している。
若手現場マンからの応援に支えられて、私にまだ熱血の血が騒いでいれば連載を継続するかもしれないが、建設現場を応援したい気持ちはいつまでも持っていたいと思っている。
(注)この本には、ティエラに掲載したものを一部転載してあります。
またインターネット版の《ウェブティエラ》もご覧ください。