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議論に絶対負けない法 ゲーリー・スペンス 松尾翼【訳】 1996年5月31日 三笠書房

2015-04-24 07:54:00 | 仕事
◎議論する技術は、まさに「生きる技術」だ!
ゲーリー・スペンス

 議論する技術は、まさに「生きる技術」である。人生に勝つことは、ある意味で、日々の議論(他人との対決、そして自己との対決においても)に勝ち抜くことである。
 職業上、議論は私の商売道具であり、私はこの道具を練りに練り、鍛えに鍛え、そしてこれを駆使して四十年以上のあいだどんな議論にも負けを知らずに今日まできた。
 この本は、そんな私の「議論に勝つための全知識」の結晶であり、私なりの成功人生の縮図でもある。自己実現するために、どう戦い抜くか――私は「生きる知恵」の伝道者としての使命感をもってこの本を書いた。
前袖より。
帯のよるとこの本は『全米で180万部突破、大ベストセラー中!』だったらしい・・・「基準値」がわからないと役に立たないどうでもいい情報だって言ってるでしょう!

日本の読者へ
あなたも、これを守るだけで「必勝の議論」ができる!

 さて、私は議論する能力を身につけていく過程で、あまり攻撃的でもないし、敵意といったものも少ない「東洋的なアプローチ」からも、実に多くのことを学んだ。ここで言う東洋的とは、自分ばかりを前面に押し出すのではなく、相手を思いやり、相手との和を何よりも大切にするという意味である。
hmhm。
 一方、アメリカにおいては、自分がまず第一で、相手のことを理解しようとか、相手に自分のことを理解してもらうまで辛抱強く待つなどという考え方には、まったくなじみがない。聞いてもらうこと、理解してもらうこと、自分の要求に応じることを相手に要求し、その要求が受け入れられなければ、なぜ受け入れられないかその理由を教えろとまた要求するのがアメリカ流だ。確かに「キーキー鳴るタイヤは油をさしてもらえる」が、ほとんどの場合、忍耐強く相手を待つことが大いに報われることもまた事実である。
/(^o^)\
・・・要は短気なんだよなぁ。
アメリカ人に東洋的なアプローチを学ぶ東洋人。どうなってるんだ。

3 常に「主導権」を確保せよ
なぜ相手に力を与えてしまうのか、なぜ自ら手放してしまうのか

「正義」が生んだとんでもない私生児

 私は偽善が大きらいだ。不正が大きらいだ。だから攻撃した。視界に入った人を一人残らず攻撃した。不可解な微笑みを浮かべながらずる賢い弁論をした。感じのいい企業弁護士も攻撃した。口先巧みに悪賢い論述をした学者ぶった専門家も攻撃した。情け容赦ない言葉を連発しているうちに、うかつにも陪審員まで攻撃してしまったのだ。私があまりに冷酷だったために、陪審員がやむを得ず被告側に味方したのだった。私は自分のありったけの力を使って、自分自身をぶちのめしてしまったのだ。
むむむ・・・むー。
「ふせい」を打ったら「父性」が最初に出てきてギクリ。俺の思考回路は「ふせい=不正=父性」を憎むということなんだろうか。「父性=男性」であり「俺=男性」である、故に「俺は俺を憎む」。実にスッキリとした結論ですナ・・・ナ。


6 「偏見」を突き崩して議論に勝つ
頑固で手に負えない「刷り込み」をきれいサッパリ洗い落とす法

「自滅」は避けるのが最高の将軍

 前に定義したように、勝利とは私たちが望むものを手に入れることだ。長い目で見れば結局、私たちが「望む」ものは、私たちの豊かな人生の貯えを無駄に使わず、実を結ぶ努力のために使うことだ。自分たちの人生を無駄にされたくない。私はどの戦争で戦うべきか、誰を相手にどの戦いとどの議論をすべきか決める権利を自分自身のために残しておいた。もし私が将軍なら、敵の防備が非常に固くて、攻め込めば自滅するという時に、兵を戦いに送り込むことは決してしないだろう。将軍が自分の兵隊を大事にしなければならないのと同様、私たちは自分を大事にしなければならない。したがって、勝利は必ずしも勝利ではない。特にどうやっても変えられない偏見を相手が持っている時、つまり、相手がどうしても壊すことのできない戸棚に閉じこもって心に錠をかけている時には、勝利とは、退却するという戦術を取ることが賢明だと認めることだ。
やっぱり三十六計逃げるに如かずに落ち着くんだなぁ・・・。

13 怪物「リバイアサン」とどう戦うか
自分の力の及ばない相手に究極的に勝利する法
ははは、リバイアサンは海の怪物ではありませぬか。
僕は漁師とかダイバーじゃないんで・・・
 職場で議論するためにはまず、私たちと雇用主との関係について理解しなければならない。会社のもとで働いているなら、その本質を理解していなければ職場で意味のある議論をすることはできない。怪物のことを何も知らなかったら、私たちはその怪物と格闘しないはずだ。会社で働いている時に、会社という怪物の本質を十分に理解せずに議論をすることは、無駄であり、おそらく危険である。
gkbr。
負けないことによって勝つ方法

「他人の倫理観に合わせて利益にノーと言うことなど、どうしてできるだろうか。われわれは倫理という名のゲームをしているんじゃない。利益という名のゲームをしているんだ。ゲームをはじめたからには、こう考えてゲームをしなくてはならないのだ。倫理が最優先されるのは、倫理を守ったほうがより大きな利益を生む場合だけだ。わからないのか?」
著者自身『誇張しすぎているだろうが』と断ってはいるものの、これが所謂『会社役員』の『陳腐で、お決まり』の主張・・・らしい。
倫理を守らなかった会社は利益どころか潰れてるよねー、と思うだけにしてる。
 覚えておきなさい。給料の支払い小切手にサインするのが誰であろうと、私たちは常に自分のために働いている。雇ったり解雇したりするのが誰であろうと、私たちは常に自分自身を満足させる。私たちは常に自分自身の基準に従って生きている。結局のところ、それが常に勝つ方法なのだ。

「リバイアサン」の正体がわかれば勝負は見えている

 これまでにあなたは、いつ議論すべきか、どうすれば人の信頼を得られるか、どうすれば力を理解できるか、聴くことができるか、議論を準備し、作り出し、実践することができるかなどを学んだ。議論を生涯の仕事とする私にとって大きな意味を持つこれらの道具、テクニック、助言は、あなたが職場で議論する際に大いに役立つだろう。
あざーっす!さぁ早速実践d
 だが、もし私があなたを反逆しようという気にさせてしまったなら、急いで警告するが、反逆はめったに成功しない。反逆者は理解されないし、人々は自分が理解できない相手を恐れるからだ。それに、ありのままの自分でいること、自分自身の決断力にこたえること、自分自身の力を大事に取っておくことと、自慢げにいばり散らして騒音を立てまくることとはまったく別のことだ。
 ものおじせず、率直に主義を主張することがよくないと言っているのではない。主義を誇示することに、ふつうは何の利点もないと言っているのだ。自分の倫理に従って静かに生きている人は、自分の倫理観について耳をふさぎたくなるほどの大声で怒鳴り散らす人よりも、意味の深い議論をすることができる。
ここで(朝からちんたらブログをいじるような)短慮な読者を引き留める著者の先読み力には嫉妬すら覚える。



ページ数が300超えだったからいつもより早起きした甲斐はあったと思う。読み返し必須とメモしておく。