蓬莱橋を対岸に渡り終えて、小高い所から眺めたり、河原に下りて橋を見上げたりして、別れを惜しみます。
その後は70mほど山中の坂道を登って台地上に出ますが、そこは日本でも有数のお茶の産地でもありました。
橋を覗く”窓” ↓
林間にこんな場所がありました。渡って来た長い橋を望めるようです。
”窓”から見た橋のほぼ全景 ↓
こんな景色が待っていました。向こう岸は島田の市街になります。
今度は河岸まで下りて見ます。
ヤブミョウガ ↓ ↓
花と実を見ることが出来ました。
近づいて ↓
見上げます。 ↓
橋脚がすらりとしていて長いですね。
見納め ↓
対岸の島田市街方面まで延びた姿を見納めにします。
台地の上を目指す ↓
河岸から約70mの高度差は日陰の山道で涼しく上っていけました。
牧之原台地の上に出ます ↓
牧之原台地では茶の生産が盛んで、大井川右岸には面積5,300haに及ぶ「牧之原大茶園」が広がり、全国の茶園面積の約12%を占めています。
それは1869(明治2)年7月、最後の将軍慶喜を護衛してきた幕臣たちが勝海舟たちの命を受け、中條景昭、大草高重らが、牧之原台地での茶畑
の開墾を開始したことから始まります。
当初は大変厳しい環境の中で、筆舌につくせない苦労の連続でありました。
勝海舟は、旧幕臣たちから様々な問題に関して相談を受け、経済的な援助も惜しみませんでした。
1873(明治6)年には、仕事を失った川越人足たちも約30㏊の茶畑を開墾し始め、1878(明治11)年には約41㏊に拡張された。
勝海舟は1875(明治8)年に官職を辞した後も、影に日なたに牧之原台地開拓士族を物心両面で援助し続けました。
茶畑の開墾を支援し続けた勝海舟たちの存在を抜きに、島田市に広がる「牧之原大茶園」を語ることはできないでしょう。
「牧之原大茶園」 ↓
茶畑の間を通る車道を「日光浴」しながらトボトボと歩いて行きます。
スベリヒユ ↓
道沿いで見た花はこれだけだったような気がしました。ほかには林縁でカラスウリが頻繁に出て来ましたが、
真昼間ですので花は咲いてはいません。
金谷駅 ↓
駅の浜松よりにはトンネルがあります。旅の情緒を醸してくれますね。
この電車で ↓
この電車で、浜松まで行き、乗り換え、以後豊橋、岡崎で乗り換えて午後2時少し過ぎに帰宅。