ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

安城市 野寺の本證寺を三たび訪問

2024-12-30 21:26:27 | 草花

よわい(齢)やそじ(八十路)を越えて・・・・・忙しいのだか、暇なのだか・・・しながら毎日を暮らしています。

ここのところ短い期間に三度にわたって、安城市野寺にある本證寺を訪問しています。

最初は三河一向一揆の本拠地探訪という目的でしたが、次に行ったときには境内で気になる木の実を見つけ、

三度目の今回はそれを確認に行ったのでしたから、やっぱり相当暇しているのでしょうね。

確認 ↓

訪問の目的はこの樹の確認でした。 まず樹肌を確認します。

 

下に落ちている実の確認 ↓

地面に、大きさはサクランボほどの皮付きの実が落ちています。

(画面・上に置いた二つの固まりは皮を取り去って硬い実だけにして洗ったあとのものです。)

(実が硬いのでこれをお数珠にする場合もあると聞きました。)

これが先日名前を聞いたチャンチンモドキ(香椿擬き)かどうか確かめるためにここに来たのでした。

まだ頭上高くに葉が残っていますが、それを観察しても、どうやら間違いがなさそうです。

このことを報告するためにお庫裏に行くと、ちょうどご住職がいらっしゃいました。

先日、NHKの当地方の紹介番組にも顔出しされたお方でしたが、「どうする家康」で空誓上人役を務めた

市川右団次さん張りの存在感のあるご住職でした。

 

本證寺の本堂 ↓

比べるものがないのでスケール感が出ませんが、大掛かりで立派な建物です。

 

鼓楼 ↓

これがお城の天守閣のように見えてお寺に威厳を持たせているように思いました。

 

阿弥陀如来立像 ↓

堂内の最重要箇所には阿弥陀様の立像(りゅうぞう)が安置されています。あたりの雰囲気は厳かにして

穏やかさに包まれています。

 

遺跡の発掘調査 ↓

 

お寺の外周では三河一向一揆当時のお堀や土塁の発掘調査をやっています。

今回の記事のものは旧代官屋敷の跡ではないかとされているところです。

 

以上は12月17日に出す記事のはずでしたが、うっかりしていて「下書き原稿」扱いになっていて、発信できていませんでした。

みっともないことですが、本年の納めの記事とさせていただきます。

皆さまどうか良い年をお迎えください。

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12/23日 平成の「天皇誕生日」ですが平日 下弦の月 山望そして「遠足」

2024-12-23 17:08:33 | 草花

本日は上皇様の91歳の誕生日でした。お父君の昭和天皇はご長寿で、崩御されたのが87歳でしたので、今の上皇様の方がすでに年齢的には上回っているのでしたね。 日本国内は平和であり、めでたいことではないでしょうか。

もぅ一つ忘れてはならないのが、この日が極東軍事裁判で死刑判決を受けたA級戦犯7名の絞首刑が執行された日であるということです。戦勝国側は当時の皇太子誕生日にわざわざ7名の死刑執行したということになりますか?(1948年)

第40代総理大臣 東條英機は教誨師花山信勝(浄土真宗本願寺派僧侶)に影響を受け、浄土真宗に帰依した。その後は独房で経本などを読み念仏をする毎日となった。執行前日、明日の執行を告げられた東條は「死ぬ時期は、いい時期だと思います」と述べ、国民に対する謝罪、「平和」の捨て石となり得ること、陛下に累を及ばさないことなどを告げた。そして阿弥陀仏に帰依したことで、「喜んで死んでいける」と語っている。(ネットより抜粋)

戦争に負けたから罪人となり、勝った方は空襲や、広島長崎で無辜の民を大虐殺しても何ら罪を負わず、涼しい顔して大統領を務めた、ルーズベルトやトルーマン特にトルーマンなんて輩は絶対地獄で未来永劫彷徨っていて欲しいものです。

21日月齢20.4 ↓

撮影は夜中の11時49分。今年夜に見る月の見納めです。これ以降は早朝の月を見ることになります。

 

本日(12/23)早朝の下弦の半月 ↓

撮影は早朝5時48分。月齢は21.6でした。

 

本日(12/23)午前中は良い空でしたので、いつもの高所に上がります。

しかし、生憎、木曽御嶽は見えず ↓

 

恵那山も微妙 ↓

 

ところが南木曽岳は ↓

南木曽岳・・・いつもは中央アルプスの連嶺の手前・下の方で、山体に溶け込んでしまって、ほとんど

見えなくなっていたのですが、背後の中アに雲がかかっているので、手前の南木曽が見えていました。

 

山望は芳しくなかったので下り、少し歩くことにしました。

 

重原の八幡社 :

由緒書き ↓

いつもは通り過ぎていた神社ですが、今回は立ち寄って行きます。街中のお社ですが、入ってみると

かなりの広さがあり、手入れもされていて、あたりは清浄感が漂います。

鳥居から拝殿までの奥行きは適当にあります。

 

参道には古木が立ち並びます。

 

本殿 ↓

 

社名額 ↓

 

主棟鬼飾り ↓

中心に「神」とあるのは初めて見たように思います。それからそのわきの一つ巴もそうかもしれません。

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松本奎堂と宮城道雄

2024-12-22 04:56:35 | 草花

松本奎堂と宮城道雄という名前をご存じでしょうか?

お二方とも刈谷市に縁のある方です。(以下はネットより抜粋)

まず松本奎堂(1832~1863)は幕末の人で天誅組の総裁の一人です。

刈谷藩士の次男。幕末の尊攘派の志士。通称、謙三郎。

若いころに武術の稽古で片方の目を失明。のちに昌平坂学問所に学び、そのあと大坂に家塾を開いた。
中山忠光らと天誅組を組織して大和五条に挙兵したが、8月18日の政変で賊名を受けて敗死。
辞世は♪君がため命死にきと世の人に 語りつぎてよ峰の松風♪

 

宮城道雄(1894 〜 1956)
箏曲家、作曲家。幼少期に失明、二代目中島検校に師事し、生田流筝曲の免許を受けた後朝鮮に渡り、1909年14歳のとき「水の変態」を作曲・初演する。1917年東京に移住、1919年に第1回作品発表会を行う。その後「越天楽変奏曲」、「春の海」などの作品を発表する。1937年東京音楽学校東京芸術大学教授となる。1948年芸術院会員。

1956年6月25日未明、【越天楽変奏曲】の演奏のため大阪へ向かう途中、東海道線刈谷駅付近で急行「銀河」から転落し、同日午前7時15分、刈谷の豊田病院で死去。62歳でした。

 

今回「遠足」でこのお二方にゆかりの地を訪問しました。始めは宮城道雄の供養碑です。:

 

 

この記念塔の下部には東面に「水の変態」と、南面に「春の海」の音符が刻まれています。

 

付近にアオツヅラフジの実が ↓

実を持ち帰り、種を出して綺麗にすると ↓

不思議な形ですね。こうなるためにどんな必然があるのか? 造詣の神様に尋ねたいものです。

 

つぎに松本奎堂のお墓参りに行きます。

 

途中で桜が咲いている場所がありました。 ↓

小公園の一角でカメラを構えていると、高架上を地元の名古屋鉄道の電車が碧南方面に走って行きます。

 

十念寺 :松本奎堂の墓所は刈谷市の街中にある十念寺境内です。

入口 ↓

坂道を登って行きます。

由緒 ↓

 

御本尊 ↓

阿弥陀如来坐像で、大きい立派なお像でした。

 

十一面観音立像 ↓

 

子安観音 ↓

新しいお像でしょうか、美しいですね。

 

松本奎堂のお墓 ↓

今から凡そ90年ほど前に小生の亡父が若い時、皇国史観に染まり、天誅組総裁の松本奎堂を知ることになり、

やがて傾倒し、この場所を参拝に訪れたようです。

年代が下り、小生が年老いた父親をこの場所に連れてきたこともあります。

 

20日の更待月 ↓

月齢は19.3。 おそらく夜に眺める最後の月になりそうです。

21日は昼が最短の冬至ですが、夜の空は曇っているし、月の出タイムも夜半にズレこんでいます。

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大きな木のあるお寺さん 萬福寺のソテツ、イブキ、クスノキ、鬼瓦

2024-12-21 04:49:12 | 草花

去る日、”遠足”の途中で立ち寄った、知立市の林桂山 萬福寺はちょうど報恩講の営まれた最後の日でした。

お忙しい最中でしたので境内を見て回るだけにして、お話を聞くことなしに引き上げてきましたが、後日再訪することになります。

境内には大きな木が立ち、それにも圧倒されました。

入口 ↓

「林桂山 萬福寺」とあります。浄土真宗大谷派に属する大寺になります。

 

本堂 ↓

大きな構えでした。

 

報恩講 ↓

報恩講の最後の日でした。

 

ソテツ ↓

8本立ち、推定樹齢500年とのことで、樹高4m以上、知立市の天然記念物となっています。

 

イブキ ↓ ↓

幹のねじれた様な外皮がこの植物の特徴ですね。

樹高は15m、樹齢は上と同じく推定500年。こちらは愛知県の天然記念物となっています。

 

クスノキ ↓

これも大木でしたが、銘板は付いていなくて、詳細は判りません。クスノキはほかの地でも大木が多いので、この程度では未だ名木の仲間入りはしていないのでしょうか。

 

鬼瓦 ↓

建替の時に下に下ろして取り替えたもので、中央に「大悲無倦常照我」とあります。これは”阿弥陀仏の

大慈悲が常に衆生を照らす”と言うことですが、”常に”と言うことにはいつでも(時間)どこでも(空間)

という意味があります。

 

紅葉で締めくくり ↓

カエデの可愛い紅葉を愛でてからこの萬福寺にお暇します。

 

 

別のお寺でお茶の花 ↓

 

帰り路に立ち寄った別のお寺さんで、入り口のところに茶の花を見つけました。

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月の出が遅くなりどんどん細くなってきた。 遠山には雪が着き厳しさを増している。

2024-12-20 11:22:19 | 草花

夜のお月見タイムは月の出るのを待っている時間がどんどん遅くなり、今晩(更待月)を最後に、待ちきれなくなりそうです。

しかし、今晩の月の出はお天気の関係で、見られないかも知れません。

下弦の月は23日早朝に(午前5時台)南中するので、朝方なら南~西空に架かっているのを見ることが出来そうです。

大晦日の月の出は朝の7時26分頃ですが、月齢0.2で。きわめて細く、太陽に近いこともあり、見ることは出来ないでしょうから、

今年の月の見納めは12/29日朝早く(05:29分頃)東天に上がる極細の月の出になるのではないでしょうか。

一部ダブる画像もありますが、満月付近から昨晩(12/19)まで、細まりつつある月を追っていきます。

14日小望月・月齢13.0 ↓

 

15日満月・月齢14.1 ↓

 

16日十六夜・月齢15.2 ↓

 

17日立待月・月齢16.2 ↓

 

18日居待月・月齢17.2 ↓

 

そして昨晩(12/19)の寝待月・月齢18.3 ↓

今晩(12/20)更待月の夜空はどうなることでしょうか。

 

 

山望:

 

木曽御嶽 ↓

朔日(12/19)は空に水蒸気が上がってきて、午前9時ころにはすでに見通しが落ちて来ていました。

 

中央アルプス ↓

 

恵那山 ↓

 

恵那山・大川入山・蛇峠山 ↓

 

伊吹山 ↓

北西方向の伊吹山は辛うじて姿を確認できる程度。(北の方角にある白山は見えていませんでした。)

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