ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

暮れてなほ命の限り蝉しぐれ

2019-11-30 08:45:53 | 草花
中曽根康弘さんが昨(11/29)日亡くなりました。
学生時代の4年間、埼玉県熊谷市から都心まで高崎線の電車で通学していたその車窓から、関東平野の畑の中に「首相を国民投票で選ぼう」という看板が立っているのが見えて、中曽根康弘という名前が添えられていました。

その頃彼は、群馬県選出のバリバリの若手代議士であり、河野一郎(子は河野洋平、孫は河野太郎)さんと共に人気のあった政治家でした。
その後、内閣総理大臣にまで登り詰め、長期政権を担って数々の業績を残しています。

人間の為すことですから、まして政治の世界のことですから、功罪が入り混じるのは当たり前のことですので短絡的な評価は差し控えて、ここは一つ、101歳という長寿を全うされてあの世に羽ばたかれた偉大なる「風見鶏」さんに哀惜の心を捧げます。

11月29日の夕空 ↓


暮れてなほ命の限り蝉しぐれ  中曽根康弘

日が暮れても聞くことのできる蝉しぐれは「ひぐらし」くらいのものでしょうカ?ナ カナ カナ カナ・・・・


夕景はその日の鈴鹿山脈
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11/24日 西浦半島を訪問の帰途 その4(最終記事):安城市村高の大楠と夕焼けの鈴鹿山脈

2019-11-28 07:03:38 | 草花
蒲郡の西浦半島を見た後、家に帰る道を辿っていたのですが、安城市と岡崎市の境の矢作川を美矢井橋で渡っている時に夕空が綺麗に焼けていて、その中に鈴鹿の山並みがシルエットで浮かんでいるではありませんか。
この印象的な景色を、どうしても写真に撮って残しておきたくなりました。
矢作川沿いの堤防上から急いで撮った写真を載せて、このシリーズを終わりにします。
写真を撮った場所 ↓




堤防の下にはこんな大木が生えています。 ↓

これを「村高の大楠」と言っていて、小生のブログでも過去に案内してきています。

案内板 ↓


堤防上から眺めた鈴鹿の山並みを並べていきます。
鈴鹿山脈の全体 ↓


次にズームして南から北にカメラを振って行きます。
野登山・仙ヶ岳・入道岳 ↓


鎌ヶ岳・御在所岳方面 ↓


釈迦ヶ岳 ↓


竜ヶ岳 ↓


藤原岳 ↓



そして、鈴鹿山脈からさらに北に離れて伊吹山 ↓


いつもの高楼から眺めるよりも距離が遠いのにもかかわらず、こちらの方がよりはっきり見えています。
既に日が落ちてしまっていて、とても慌ただしい中で山脈と向き合いましたが、姿だけは何とか記録することが出来ました。

キダチダリア(=コウテイダリア) ↓

堤防から下りて、車のところに戻ると、目の前の農家にこんな花が咲いていました。


あたりは薄暗くなっている中を家路につきます。夜の暗さが来る直前に・・・・・・・・
物凄い夕焼け空になってきました。 ↓

車で走行中でしたが、この光景を思わず激写してしまいました。
運転中の山の神様は「これで明日の天気は晴れ?」と言いましたが、小生は「これだけ濁ったドス赤い夕焼けは雨」と判断しました。
そしてあくる日は、今にも雨の降りだしそうな朝の空でしたが、雨は落ちてはこなかったようです。
コメント (6)
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11/24日 三河湾の西浦半島を訪問 その3:原山付近の林道を散策

2019-11-27 07:07:21 | 草花
西浦半島の中で一番標高の高い場所は原山という山で、この山頂には標高93.3メートルの三等三角点が置かれているようです。
長いこと山を歩いて来た小生のサガとして、これは是非この山の頂を訪問してみたいと希望していました。
今回、その機会を得て勇んでこの付近までやってきましたが、時間がやや押し気味で、そのことが気になりだしていました。
来るときに事前に地図で確認してきましたが、満足な山道がなくて、自分で道を作りながら歩くことになりそうでした。

ところが山に入る道を取り違えてしまい、修正するには時間がなくて、山頂を踏むことなしに戻ることになりました。

今回はそんな失敗がありましたが、目指す原山近くの山の模様をレポートします。
付近の地図 ↓

赤丸の中で動いていました。


15時20分 ↓

時刻は午後3時20分で、日が傾く時間帯ですが曇り空のために夕刻感が深まっています。
薄く黄葉した中を広い道が通っています。



ゴンズイ ↓

赤と黒、この樹の一年中で一番きれいな姿ではないでしょうか。



ヤクシソウ ↓

近年ヤクシソウをあまり見なくなったなぁ・・・・・と思っていました。
しかし、そんな中で見たこの群生状態は驚きでした。



ハゼノキの紅葉 ↓

見事な色付きはハゼノキのようです。



上水道の施設 ↓

蒲郡市の第二西浦貯水池とあり、道はここで行き止まりになっていました。
山の頂は遠くに見えていましたが、今回の遠出はこの辺が限度みたいです。時間が押して来ていますので、ここで引き返すことにしました。



クサギ ↓

引き返す地点でクサギの実を見ました。



ヤツデ ↓

帰り道でヤツデも見ます。来るときには気づかないものが出てくるものですね。



カクレミノ ↓

カクレミノも見ましたので、ついでに実がないかと探すも、見つけられませんでした。
日陰に強い常緑樹で、剪定もやりやすいので庭木として植えられることが多いそうですね。



真っ赤か ↓

赤く染まったものはこんな小さな木だけでした。これもハゼノキだと思います。



薄化粧 ↓

山道の下りで薄く化粧した部分を見つけて撮ります。
道には所々で椎の実やコナラの実が落ちています。


コメント (2)
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11/24日 三河湾に突き出した西浦半島を訪問 その2:対岸の渥美半島の眺めと稲村神社

2019-11-26 08:57:40 | 草花
御前(ごぜん)崎突端にある小山を「万葉の小径」を辿って登っています。
目指すのは山頂にある稲村神社ですが、その途中に「朝日の輝く丘」と言う眺望のすぐれた場所があります。
そこでは対岸の渥美半島の山々がシルエット気味に見えていました。
その眺めからレポートしていきます。
現在位置 ↓

赤丸の中を歩いています。



渥美半島一帯の山並み ↓

この左側に見えていた蔵王山が画角から外れてしまっています。



蔵王山・衣笠山 ↓

蔵王山と衣笠山からは富士山が良く見えます。


大山・雨乞山 ↓

大山は渥美半島内では一番高い山で、一等三角点を持ちます。
この大山と雨乞山からも富士山が見られます。


宮山と神島 ↓

宮山は渥美半島突端の山で、典型的な海岸暖地性常緑樹の原生林として国の天然記念物指定されています。 神島は渥美半島から離れて三重県鳥羽市に属しています。



稲村神社の石段 ↓

見上げると怖いような急勾配の石段があり、(たしか)102段昇ると神社境内に着きます。



ツワブキ ↓

暖地の海岸沿いでよく見かける花が出てきました。



稲村神社 ↓

海岸から約80メートル上がったところにある神社ですから、こじんまりとした感じがあります。
拝殿横に「由緒記」があり、これを読みましたが、江戸時代には雨乞い神事などを行っていたようですが、それ以前のことについては記述されていませんでした。
徳川家康が渥美半島での鷹狩の帰途この地に立ち寄ったことはありましたが、この神社まで登って来たかどうかは書いてありませんでした。



狛犬 
阿形 ↓


吽形 ↓

いずれも身体に彫り物が施されていました。



椎の木 ↓

これは御神木扱いでしょうね。下に実が落ちていましたが、小さいものでした。



菊の花 ↓

これはリュウノウギクでしょうか、花は終わりに近い姿でした。
コメント (2)
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11/24日 三河湾に突き出した西浦半島を訪問 その1:御前(ごぜん)崎の万葉の小径

2019-11-25 12:26:03 | 草花
昨日、山の神様の運転で蒲郡の西浦半島を見てきました。
カシミールの富士山展望マップを見ると、愛知県内ではこの位置でも見える筈となりますので、興味を持ちました。
しかし、天気が生憎でしたので、結果的には見えることなしに帰って来たのですが、予想外のこともありましたので、記事にして4つ、日を追って出していきます。

位置図 ↓

三河湾内に突き出した部分を訪ねました。赤丸部分は今回訪問した場所です。



西浦半島 ↓

「西浦半島」という言葉が地図には載っていませんので、はっきりとはしませんが、とりあえずそういう名前が相応しいように思いました。
半島の突端部に御前(ごぜん)崎があり、その道路を挟んだ北側に小高い山があり、その山頂に稲村神社があります。 そこに麓から通じる歩道があり、それは「万葉の小径」と名付けられていました。その道すがらに眺望の良い場所があれば富士山が見えるに違いありません。
ところで、三河湾周辺は万葉集とゆかりが深くて、この「万葉の小径」という命名もそれに因んだ名前のようで、歩道沿いには万葉の歌が掲げられていました。
今回は半島内の赤丸部分を歩きましたが、先ずは南の部分の「万葉の小径」などをレポートします。



富士山 ↓

「万葉の小径」を登り詰めたところに「朝日の輝く丘」という展望ポイントがあり、どうやらここからなら富士山が見えそうな気がしました。・・・・・「見通しが良ければ」の話ですが。
今回はカシバードの描画で、その幸運な時の景色を想像してみました。



シャリンバイ ↓

「万葉の小径」の近くでシャリンバイが実をつけていました。



長忌寸奥麿の歌 ↓

引馬野(ひくまの)に にほふ榛原(はりはら) 入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに とあります。
ネット上でこの歌の意味を調べました。
意味:引馬野に色づいている榛原(ハンの木の林)に分け入って、衣に色をうつしなさい、旅のしるしに。

以下すべての歌の意味はネット上で調べたものです。


「万葉の小径」 ↓

樹間の小径で始まりますが、最上部近くではこんな道になっています。


三河湾内北部の島 ↓

どうやらこの角度で富士山が見えるようです。(見通しの良い時ならば・・・ですが)



大伴家持の歌 ↓

をみなへし 秋萩しのぎ さを鹿(さ牡鹿)の 露分け鳴かむ 高圓(たかまと)の野そ

意味:おみなえしや秋萩を踏み倒して、牡鹿(おじか)が、露(つゆ)を分けて鳴くでしょう。高円(たかまど)の野でね。




舟で釣り ↓

湾内に浮かぶ小舟を見ました。望遠で覗くと、4人が乗っていて、そのうちの一人は小さい女の子で、それ以外の人たちは釣竿を持っています。何を狙っているのでしょうか。



ヤマハッカ ↓

細々と咲き残っていました。



作者不詳 ↓

言に出でて、云はばゆゆしみ、朝顔の、穂には咲き出ぬ、恋もするかも

意味:口に出して言って悪いことが起こるといけないので、朝顔の花のように、目立たないように恋をするのです。 
さて、この歌が三河に所縁のあるものなのでしょうか。またこの朝顔はどんな植物を指すのでしょうか。



安礼の埼 ↓

いづくにか 舟泊てすらむ 安礼の埼 漕ぎ廻(た)み行きし 棚なし小舟 
高市黒人の歌で、
意味: いずこへ停泊したのだろうか、安礼の崎を漕ぎ廻って行った棚なし小舟は  となります。

ところでここに出てくる「安礼の埼」は愛知県内だけでも2か所の候補地があり、確定はしていないようです。
この御前崎が「安礼の崎」と考えたのは、アララギ派の歌人で万葉研究者でもあった土屋文明と御津磯夫であり、彼らは黒人の歌が海上航行中に詠われ たとする考え方から、この地御前崎を安礼の崎とすべき最適地であると、書いていたそうです。確かにこの岬からの海上展望には素晴らしいものがあります。



有馬の皇子の歌 ↓

家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

意味:家にいると器によそうご飯を、今は旅(朝廷への反逆罪で護送中の旅)の途中なので椎の葉に盛ります。・・・・・となりますが、椎の葉はとても小さい葉ですね。




大來皇女(おおくのひめみこ)の歌 ↓

磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありと言はなくに

意味: 磯のそばに生える馬酔木を手に取ってみようと思うのだが、それを見せてやりたいあの弟(大津皇子=686年10月、草壁皇子に対する謀反の疑いをかけられ無念の刑死を遂げた)がまだ生きていると、誰も言ってはくれないことだ。
これにもいちゃもんですが、馬酔木は海岸線では見ないように思います。



柿本人麻呂の歌 ↓

潮騒(しほざゐ)に伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)漕ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻(しまみ)を

意味:潮騒の中を伊良虞の島のあたりを漕ぐ船に妻は乗っているだろうか、荒々しい島の周りを。
歌中の「伊良虞の島」は恐らく愛知県渥美郡渥美町神島のことで、三島由紀夫の「潮騒」の舞台になる「歌島」はこの島のことです。
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