昨日、山の神様の運転で蒲郡の西浦半島を見てきました。
カシミールの富士山展望マップを見ると、愛知県内ではこの位置でも見える筈となりますので、興味を持ちました。
しかし、天気が生憎でしたので、結果的には見えることなしに帰って来たのですが、予想外のこともありましたので、記事にして4つ、日を追って出していきます。
位置図 ↓
三河湾内に突き出した部分を訪ねました。赤丸部分は今回訪問した場所です。
西浦半島 ↓
「西浦半島」という言葉が地図には載っていませんので、はっきりとはしませんが、とりあえずそういう名前が相応しいように思いました。
半島の突端部に御前(ごぜん)崎があり、その道路を挟んだ北側に小高い山があり、その山頂に稲村神社があります。 そこに麓から通じる歩道があり、それは「万葉の小径」と名付けられていました。その道すがらに眺望の良い場所があれば富士山が見えるに違いありません。
ところで、三河湾周辺は万葉集とゆかりが深くて、この「万葉の小径」という命名もそれに因んだ名前のようで、歩道沿いには万葉の歌が掲げられていました。
今回は半島内の赤丸部分を歩きましたが、先ずは南の部分の「万葉の小径」などをレポートします。
富士山 ↓
「万葉の小径」を登り詰めたところに「朝日の輝く丘」という展望ポイントがあり、どうやらここからなら富士山が見えそうな気がしました。・・・・・「見通しが良ければ」の話ですが。
今回はカシバードの描画で、その幸運な時の景色を想像してみました。
シャリンバイ ↓
「万葉の小径」の近くでシャリンバイが実をつけていました。
長忌寸奥麿の歌 ↓
引馬野(ひくまの)に にほふ榛原(はりはら) 入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに とあります。
ネット上でこの歌の意味を調べました。
意味:引馬野に色づいている榛原(ハンの木の林)に分け入って、衣に色をうつしなさい、旅のしるしに。
以下すべての歌の意味はネット上で調べたものです。
「万葉の小径」 ↓
樹間の小径で始まりますが、最上部近くではこんな道になっています。
三河湾内北部の島 ↓
どうやらこの角度で富士山が見えるようです。(見通しの良い時ならば・・・ですが)
大伴家持の歌 ↓
をみなへし 秋萩しのぎ さを鹿(さ牡鹿)の 露分け鳴かむ 高圓(たかまと)の野そ
意味:おみなえしや秋萩を踏み倒して、牡鹿(おじか)が、露(つゆ)を分けて鳴くでしょう。高円(たかまど)の野でね。
舟で釣り ↓
湾内に浮かぶ小舟を見ました。望遠で覗くと、4人が乗っていて、そのうちの一人は小さい女の子で、それ以外の人たちは釣竿を持っています。何を狙っているのでしょうか。
ヤマハッカ ↓
細々と咲き残っていました。
作者不詳 ↓
言に出でて、云はばゆゆしみ、朝顔の、穂には咲き出ぬ、恋もするかも
意味:口に出して言って悪いことが起こるといけないので、朝顔の花のように、目立たないように恋をするのです。
さて、この歌が三河に所縁のあるものなのでしょうか。またこの朝顔はどんな植物を指すのでしょうか。
安礼の埼 ↓
いづくにか 舟泊てすらむ 安礼の埼 漕ぎ廻(た)み行きし 棚なし小舟
高市黒人の歌で、
意味: いずこへ停泊したのだろうか、安礼の崎を漕ぎ廻って行った棚なし小舟は となります。
ところでここに出てくる「安礼の埼」は愛知県内だけでも2か所の候補地があり、確定はしていないようです。
この御前崎が「安礼の崎」と考えたのは、アララギ派の歌人で万葉研究者でもあった土屋文明と御津磯夫であり、彼らは黒人の歌が海上航行中に詠われ たとする考え方から、この地御前崎を安礼の崎とすべき最適地であると、書いていたそうです。確かにこの岬からの海上展望には素晴らしいものがあります。
有馬の皇子の歌 ↓
家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
意味:家にいると器によそうご飯を、今は旅(朝廷への反逆罪で護送中の旅)の途中なので椎の葉に盛ります。・・・・・となりますが、椎の葉はとても小さい葉ですね。
大來皇女(おおくのひめみこ)の歌 ↓
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありと言はなくに
意味: 磯のそばに生える馬酔木を手に取ってみようと思うのだが、それを見せてやりたいあの弟(大津皇子=686年10月、草壁皇子に対する謀反の疑いをかけられ無念の刑死を遂げた)がまだ生きていると、誰も言ってはくれないことだ。
これにもいちゃもんですが、馬酔木は海岸線では見ないように思います。
柿本人麻呂の歌 ↓
潮騒(しほざゐ)に伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)漕ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻(しまみ)を
意味:潮騒の中を伊良虞の島のあたりを漕ぐ船に妻は乗っているだろうか、荒々しい島の周りを。
歌中の「伊良虞の島」は恐らく愛知県渥美郡渥美町神島のことで、三島由紀夫の「潮騒」の舞台になる「歌島」はこの島のことです。