最近、一般社団法人CSRプロジェクトの「ほっとコール」という患者さんの就労相談を担当することもあります。
全員が全員、自分の望むものを手に入れることはできませんが、1つでも何かが変わればと望んでいます。
さて。
いつも猫の方ばかり更新しているので、たまにはこっちを。
これは、がんになった人のほとんどが一度は同じ思いをしていると思うのですが・・・。
例えば婦人科の若いがん患者さんで、子供ができないことをまだ受け入れられていない人に対して、延々と自分の子供の自慢を聞かせる人とか。
勇気を出してがんを患っていました、というと決まって「どこ?どこのがん? え゛、もう結婚できんじゃん」とか。
そうかと思うと、後遺症があるとどれだけ伝えても、全く聞いてくれていない、すぐに家族は忘れてしまうので孤独だ、とか。
とある講演先で、先進医療の話をしたかった司会者が、「riderさんのように大きな手術をして辛い思いをしなくてもいい時代だ」というようなことを言われたこともあります。
まあ、そんな時は金だけもらって帰る気が満々になりますが。
なぜこんなことを思い出したかというと、ちょっと前のとある市民講座でね。こんなことがあったのですよ。
本来であればがん治療の話を広く知ってもらうための企画するような場であったにもかかわらず、不妊に関連したAとゆー団体のPRをしたいがために、それはそれはきつい治療をして奇跡的に助かった友人を、「治療はうまくいったが子供が産めない可哀そうな患者」と紹介し、子供ができた人と並べ、延々と赤ちゃんや妊婦さんが出てくるPRビデオを見せられ、「スバラシイ」とコメントをさせるというコトをしやがったヤツがいてね。
その友人は、やっとのことで自分の治療は正しかったことを受け入れ、子供が産めないことも受け入れ、やっと前に進めるようになったのに。
しかもだ。
その友人は、最初元気になった話をすればいいということだったが、当日現場に行って、そんな内容であると初めて知ったらしい。
あいた口がふさがらない。あごが外れそうだ。
しかし、時にがん患者は残念だけれどもこんな扱いを受けることがある。
婦人科のがんだけではなく、さまざまながんで治療によって不妊になることは少なくない。
結婚して子供がいて孫がいる > 結婚して子供がいる > 結婚している > 結婚していない という、カースト制のような思想は患者自身の中にも地下水のように静かに奥底に流れていて、たまに泉のようにわき出してくる。
これに対して対抗する手段はハッキリ言ってない。
ただただ年をとることだけが、このくだらないランク付けから抜け出す手段でしかない。
不妊の問題に限らず、デリカシーのないヤツはどこにでもいる。
出会ってしまった時は事故だと思って、また時が過ぎるのを待つしかないと思うのです。