まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.253 各駅巡り・近江鉄道(鳥居本から米原へ)

2015-09-16 09:50:36 | 鉄道
おはようございます。



ここまで8回に渡ってお伝えしてきた各駅巡り、近江鉄道編、いよいよ今回が最終回となります。前回は彦根駅までやってきました、では、ラストスパートと行ってみますか。


国道8号線の佐和山トンネルを抜けると真っ直ぐに伸びる下り道、そ言えばここで思い切りコケたことがあったなあ、もう4年前、北国脇往還を走った時だった。あの時は走り始めてすぐのことだったが、相棒は奇跡的に無事だったのでその先は体の痛さを我慢しながらの走りとなった、楽しい気分で走っている時は痛ささえ忘れるのです。やがて新幹線の高架をくぐり抜けると、左手側に小さなレトロな様式の駅舎が見えてくる。








鳥居本駅に到着、この駅舎はもう御馴染となっているもの、その説明については写真2枚目にある看板に書いてあります。駅舎の内部は天井が高く広々としていて、田園風景の中にポツンとある1面のホームもまたいい雰囲気を漂わせている。すぐそばにはこの場所とは時間の流れが違い世界にあるように新幹線が通り過ぎて行く(写真3枚目)。







鳥居本と言えば中山道の宿場町、もう何度も走っている所でここでも紹介したことがありますが、せっかく来たのだから今回も走ってみることにする。地味で静かな宿場町だが、旧街道の雰囲気を漂わせている町並はいつもと変わらない感じで気まぐれな旅人を迎えてくれる。鳥居本宿を象徴するのが本家合羽所の古い看板が軒に吊るされた古い民家と、赤玉神教丸の赤川製薬の古い建物とその前を緩やかにカーブする道。ここを過ぎると松並木があって宿場町は終わりを迎えて、道は国道8号線と合流する。






線路沿いにある国道を走って次のフジテック前駅へとたどり着く、またまた社名入りの駅名だ。以前自分(一人称)がこの線を乗った時にはまだなかった駅は、2006年に開業したとのこと、簡素で新しさを感じる駅舎だが駅名表示板だけはなぜか重厚な手書きな感じで駅名を記している。もちろんこの駅も無人駅、そしてここでこの旅最後となる電車を見かけることとなる。ホームの向こう側はフジテックの敷地、緑の中にエレベーター研究塔がデ~ンとした構えで建っている。


さて、この旅もいよいよ終わりの時を迎える。国道8号線を進んで行くと新幹線の高架とJR東海道本線が近づいてきて、やがて近江鉄道の終点米原駅へと到着する。米原駅は近年改装されて新しくなったが、そのおかげでJRのホームは昔の乗換駅独特の雰囲気があったのがすべて失われてしまって、ただの駅になってしまってのが残念である。その横でポツンと目立たなくある近江鉄道のホームも同様につまらない雰囲気だったので、ここだけは写真に撮っていない。







写真はその代わりと言う感じで撮った米原駅前の古い町並の風景、ここは中山道と北陸道の分岐点となる所で、その一角には古い石の道標が立っている。そしてここでも飛び出し坊やは健在、0系坊やはつぶらな瞳で町の人たちの安全を見守っているかのようだった。そんなわけで各駅巡り、近江鉄道編はこれにて終了となります。三岐鉄道編ももうじき終了の予定、しかし各駅巡りはこの先もいろいろなメニューを取り揃えてここでの出陣を控えております、その時はまたお付き合いのほどよろしくお願いします、今回はここまでとしておきます。      まちみち


No.252 木曽路の終わり

2015-09-15 10:11:58 | ふうけい
おはようございます。



ここまで何回かに渡ってお送りしてきた木曽路の旅、途中その存在を忘れてしまってしばらく置いてけぼりを喰らわせてしまったのですが、せっかくここまで続けてきたので最後まで責任を持ってお届け上げしなければなりません、と言うことで今回やっと最終回を迎えることとなりました。







前回は馬籠宿を走った、ではなくて歩きました、途中では五平餅を落としてしまうという悲しい出来事も。宿場町の喧騒を抜けると静かな旧街道へと入って行く、観光客もこちら側には入って来ない。写真1枚目、時代を感じる古い民家の並び、よく見てみると道が少し坂になっているので、土台となる石垣が手前に行くほど高くなっている。その後は田園風景を見渡すことができる通りを走って、やがて写真4枚目にある碑が立つ場所へとたどり着く。









『是より北木曽路』の碑、あのどっかの店の前で見かける碑ではなく、これは正真正銘の木曽路の碑。今朝、三留野宿から妻籠宿、馬籠宿と走って来た木曽路の旅も、ここで一段落となる場所である、ちょっと寂しい気がしてくるなあ・・・。付近は新茶屋と言う地域で、付近には茶屋跡や一里塚やわずかばかりの集落などがあり、その先を行った所からは旧中山道は石畳の道となる、ここからはもう美濃路である。







旧街道はやがて次の宿場町となる落合宿へと差し掛かって行く。先に通ってきた二つの宿場町とは違って、観光客を迎えるような派手な町並はなく、いかにも庶民的な感じと言った宿場町。その道中には写真にあるような常夜燈や古い石の道標が立っていて、自分(一人称)はこういう地味な感じの町並がいかにも旧街道走りのテーマに合っている気がして好きだ。ここを過ぎるといよいよ今回の旅の終わりの地、中津川へと入って行く。







木曽の山並を背に、別れを告げるように中津川宿へと差し掛かる。「木曽路はすべて山の中」と言うくらいに、ここまでは上りも下りも結構急な区間も緩い区間もないまぜに続いていたが、中津川の中心地はその辺りと比べると見違えるほどの都会と思える所。その町の入口となる国道19号線が交差する所にお城風の建物があった、歴史的な建物かと思ったが、実はここは所謂廃墟であって、自分(一人称)が走った何日か前にここで女子中学生が殺されると言う事件があった。加害者は当時16歳の少年だったとのことで、この頃はワイドショーとかでも取り上げられていて結構話題になっていた。
最後に少し物騒な話に逸れてしまったが、旅の最後はJR中津川駅で相棒をたたんで中央線を輪行で帰ることに。今回のシリーズでは旧中山道の旅として大井宿から三留野宿の区間を走ったこととなりました、木曽路としてはほんの少しだけと言った感じ。もっと奥の方を走ってみたいとは思っているのですが、なかなか実行に移す機会が得られません、例によって時間なし、お金なし、それよりもネックになるのが交通の便が悪いと言うこと。JR中央本線は中津川を過ぎると本数が少なくなるし、特急はいつも混雑しているイメージがある。でもいつかは木曽路全区間を通して走ってみたいと思っています、まあ果たしていつのことになるのやら・・・、今回はここまでとしておきます。      まちみち

No.251 各駅巡り・三岐鉄道(6)

2015-09-14 10:06:54 | 鉄道
おはようございます。



各駅巡り、三岐鉄道北勢線編は前回はいなべ市の楚原駅まで走りました。この先は三重県北部のローカル色が漂うな地域を進んで行くわけだが、ナローゲージのローカル線だからと少し甘く見ていたのかも知れない。前の楚原駅までもそうだったが、この先も次の駅までの距離が長く、しかも道がすんなりと線路に沿っているわけではないので、ルート選びに迷ってしまうことになる。今回はこの走りで一番苦労した区間を走って行きます。







楚原駅を後に線路に沿う旧街道らしき道を次の駅へと目指して進む。途中に公園があって、その中に写真1枚目にある駅名坂が立っている。ここは元は駅があった場所らしいが、この駅と次の桑名方面にあった2駅が廃止されて、その中間に新設されたのが写真3枚目にある大泉駅だとのこと。確かに新しさを感じる駅は隣に物産展を備えていてそれなりに繁盛している様子だった。さて、次の駅へと向かうわけだが、携帯の電池残量が心配なので地図サイトを頻繁に開くわけにはいかない、と言うことでここはコミュニティバスの路線図を道標代わりにして次の駅を目指すこととする。







後で分かったことだが、この作戦は失敗だったかも知れない、バス路線を行くよりも線路に近い道を素直に行っていた方が早く駅に着けていたような気がする。ここまで時間がかかり過ぎていることや携帯を自由に使えなくなったことで気持ちに余裕がなくなってしまっていた。とりあえず遠回りとはなってしまったが、バス停をたどって何とか次の東員駅へとたどり着く。そう言えばさっき通ってきたバス停に『北大社口』と言うのがあったが(写真4枚目)、確か北勢線にも北大社駅があったはず・・・これも後で調べて分かったことだが、この東員駅も前後にあった2つの駅を廃止して統合された駅とのこと、だからこんなに駅間の距離が長いのか。





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この辺りでもよく見かける飛び出し看板、1枚目はお馴染み0系ですが、口元に少し工夫が為されていて表情が浮かび上がっている。その下のよく見る女の子の看板、自分(一人称)はこれを見るとなぜかこの二人を思い出してしまいます(上・・・菊池真衣さん、下・・・三宅惇子さん)。









ここから先はほぼ線路に並行する形で通っている県道を走って、穴太駅、七和駅と過ぎて行く。この2つの駅は両方とも道から外れた所にあるので探すのに苦労するかと思ったが、案外すんなり見つけることができたので、この区間はすんなりと行くことができた。遅れ気味だった時間も少し取り戻すことができたかも、と思いながら次の星川駅にも簡単にたどり着くことができた。写真にあるように駅舎には星と川、周辺は大きなショッピングセンターがあって結構賑わっている。さあ、ここからは桑名目指しての北勢線後半戦、ところがこの後、今回の走りで一番の落とし穴にはまってしまうことになる。その顛末については次回にお送りすることとして、今回はここまでとしておきます。      まちみち


No.250 ローカル路線バス乗り継ぎの旅(その2)

2015-09-13 20:19:31 | 日記
おはようございます。


昨日は3週間ぶりに走りに行ってきました。目的地は池田、宝塚方面、特に何があるからと言うわけではなく、どこへ行こうか・・・と考えて決めた結果がこの方面となった。



(阪急電車)


(池田市、五月山動物園にて)

ただ今回の走りにはちょっとしたフラグがありました。それは昨夜NHKで放送されたドラマ『経世済民の男 小林一三』関西にとってだけでなく全国でこの名前はもう御馴染み、阪急電鉄、宝塚歌劇、東宝、松岡修造の生みの親です、あ、最後は違うか。前編では阪急電鉄の前身である箕面有馬電気鉄道が開通したところまで。空気がきれいな田園風景が広がる北大阪の地域に鉄道を敷いたわけだが、ご存知の通り今はそんな風景ではなく家々が建ち並ぶばかりの退屈な風景ばかり。箕面から池田にかけての高い所だけが、ほんの少しだけ自然を感じられるくらいだった。



(池田市、小林一三記念館付近)


(宝塚にて)

この記録については、町巡り池田市編、各駅巡り阪急宝塚線、箕面線などでお送りしていこうと思っておりますが、正直言って阪急宝塚線、かなり面白くないかも?退屈な風景の中、人が多い場所を縫うように走ったので写真もろくに撮れず、各駅巡りもほとんど淡泊に済ませています。ただお蔵入りにはしたくないし、昨夜の小林一三役の阿部サダヲもなかなか良かったので、敬意を表してどこかで機会を得てお送りしようと思います。


そのドラマの前にやっていたのが『ローカル路線バス乗り継ぎの旅第21弾』。家に帰って来た時は半分くらい終わったところ、とりあえずさっき、録画したのを全部見ました。大阪の人、すみません、奈良テレビはリアルタイムで見れるのでお先に失礼と言う感じですが。結果は・・・ネットでもう知ってる方もいるとは思いますが、ここでは言わないでおきましょう。


(スタート地点、堺旧灯台)

(ポイントとなったJR紀伊田辺駅)


(チェックポイント、本州最南端潮岬)

今回は紀伊半島をぐるりと巡って行くバスの旅。スタートは南海堺駅、堺はバス天国と言うくらいに路線が網羅しているが、それは市内に限っただけのこと、その後はあまりの繋ぎの悪さに苦戦してましたね。特に和歌山市を過ぎた辺りからは、太川リーダーも散々なくらいの苦戦ぶり、今回はキレがないと言うか、繋ぎの悪さにイライラしていてそれが表情に表れてしまっていて、対応してくれたバス会社の人も少し引き気味な様子だった。カメラが回っていても余裕がなくなるとああいう表情になってしまうんでしょう、それだけコースが難解だったと言うこと。ただ奈良県民からすれば、紀伊半島横断に世界遺産と来ればやはり五條~新宮ルートは発見してほしかった。



太川氏もこれだけ長くバス旅に関わっているのだから、日本最長距離を走るこのルートはもちろん知っているものだと思っていたが、昨日は全く話題にも出さなかった。海沿いコースにとらわれて奈良の方に目が向かなかったのか、終点の新宮が潮岬より向こう側だから敬遠されたのか、2日目の出発前でもまだ間に合ったのだから残念やなあ~と言う気分で見てました。
実はこのバス旅最終日、鳥羽のゴールを目指していた日は、自分(一人称)がこの前三重県内でJR参宮線を各駅巡りで走った日の前日だったとのこと、このことはネットで知りました。そこにはルートの行く先々での目撃情報が挙げられたり、バスの時間を先乗りで調べたり、挙句の果てにはある駅での3人の様子から成功か失敗かを断定までされてしまう始末。昨夜はリアルタイムでテレビを見ていたが、結果についてはネットで予想されている通りだった、こういうのは見ていても興醒めになりますね。番組の人気が上がってきたこともあるが、もっとリアルタイムで楽しむことはできないんかなと思います。




写真は今回のゴールとなった鳥羽の鎧崎灯台、鳥羽駅からは結構な距離の場所にあります。今ここでお送りしている伊勢志摩の旅では、前回のお伝えの区間にこの灯台があって前を通り過ぎているのに写真を見つけられずに載せることができませんでした。と言うことでここに写真を載せておきました、ただ、この灯台、見るからにレプリカっぽいなあ・・・今回はここまでとしておきます。       まちみち

No.249 箱根輪旅2015・最終章後編

2015-09-13 06:45:01 | 箱根
おはようございます。箱根輪旅2015シリーズ、今回が最終回です。


箱根旅が終わり、JR小田原駅前で相棒をたたむ。久しぶりの箱根走り、毎回自分(一人称)のわがままに付き合わせてしまってどうも御苦労様、奈良までゆっくり休んでくれたらいいで~。
小田原からはJR東海道本線、三島で新幹線に乗り換えて京都まで帰るが、三島を出た直後で窓の外は結構な雨降り、となると箱根の途中で何度か雨には合ったがここまではきつくなかったので、これはもうついてたとしか言いようがない。自分(一人称)は結構日頃の行いはいい方だと思っているが天気には見放される質なので、今回は箱根の神様に感謝しなければ。







(三河屋旅館、蓬莱園)




(国道1号線最高地点を過ぎた辺りにある石仏群)


前日、東海道遠州路を走り終えて三島の宿に入った時は暗い気持ちだった。天気予報では明日(箱根旅当日)までは関東地方だけが晴れマークだったのがついに雨予報に変わり、東海道では坂道で転んだこともあって下りが怖くなってのコース変更、そして大涌谷の火山活動が活発になったことによる立入禁止のための予定変更。それでもせっかくここまで来たのだからと言うことでハラを決めた、もう行ってまえ~!てな感じで。翌日JR三島駅のホームに立った時には、雨のことも大涌谷のことも忘れて、とにかく箱根に行ける楽しみ、過去最高の箱根旅にしようという気持ち、それだけだった。






(霧に煙る芦ノ湖)







(桃源台付近にて)


小田原駅の天井につり下がる大提灯、箱根登山鉄道小田原駅を出てカーブを曲がった時に見えてくる風景、箱根湯本駅の「箱根の山は天下の剣」の発車メロディー、信号場での運転士と車掌の入れ替わり、嵐の前の静けさの中の強羅駅前、国道1号線最高地点の看板と石仏群、元箱根遊覧船乗場前の大賑わい、駅伝ランナーの気分で走る箱根駅伝往路ゴール地点、桃源台駅のロープウェイのロープがきしむ音、仙石原の湿原が風に揺れる様子、宮ノ下駅へと続く坂道、大平台での毎度の渋滞、箱根湯本駅前の喧騒・・・挙げればキリがないけれど、どれも印象に残る箱根の風景、情景。過去最高の箱根輪旅とは決して言えない旅だったが、4年ぶりの箱根、存分に味わせていただきました。






(仙石原の風景)


ここまで長々と、4ヶ月もかけてお送りしてきた箱根輪旅2015、その記録については一応これにて完結です。今のところ次の旅の予定はありません、まあお金も時間もないので仕方ないところだが、それでもきっかけなんて突然なものだから、急に行くことになったりするかも。逆にまた何年もご無沙汰になるかも知れない。さて、気になる大涌谷なのですが、つい一昨日(11日)噴火警戒レベルが2に引き下げられたとのこと、ただレベルの数字が少なくなっただけで現場は立入禁止区域や通行止区間はこれまで通りだと言うことです。最近はまた話題にもならなくなってしまった大涌谷ですが、自分(一人称)はこの成り行きは遠く関西から、いい加減なマスコミに変わって見守り続けていきたいと思っております。今回はここまでとしておきます。       まちみち