まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1257 登録有形文化財巡り・・・天竜浜名湖鉄道編

2020-01-15 08:03:29 | 文化財
よろしくお願いします。




















登録有形文化財巡り、浜名湖編は昨年のGWに走った記録、今頃になってやっと日の目を見ることができるようになりました。と言っても今回巡った文化財のほとんどが天竜浜名湖鉄道線関係、これまで何回かのシリーズで各駅巡りをお送りした内容とダブってしまうことになりますが、その辺りはご容赦ください。
そんなわけでまずは写真1枚目、2枚目にある三ケ日駅駅舎、写真3枚目~5枚目は西気賀駅、4枚目にはホームの真ん中に白い待合室が見えますが、その建物が登録有形文化財と言うことです。その次に訪れたのは気賀駅、各駅巡りの時も触れましたが大河『おんな城主直虎』の舞台となった地の最寄駅、駅舎もホームも赤備えと言った施しですが、これも共に登録有形文化財に指定されています。気賀は関所があった所で交通の要所ともなっている町、駅から北へ行った所には古い町並があり、その界隈の中にある吉野屋と言う旅館の建物が登録有形文化財、決して牛丼を食べさせてくれるお店ではありません。













この先も文化財巡りは鉄道関係が続きます。まずは金指駅、写真にあるホームと上屋、そして駅から少し離れた所に立っている写真3枚目にある貯水槽が登録有形文化財となっている。天浜線はこの先山の方へと差し掛かって行く、文化財データベースのページではこの辺りでは3つの印がついている、どれも鉄道線の橋梁と言うことだが、線路に沿って進んでいる国道362号線は線路より高い位置にあるために線路が見えなくなり、文化財である橋梁は確認することができなかった。山を越えて浜松市北区から浜北区へ、急坂を下ると平地に差し掛かって最初の駅が宮口駅、駅舎とホーム、待合室が文化財に指定されている。写真を見ただけでは普通にローカル線の駅だが、文化財と言う箔が着くだけで何かベールにまとわれた風景に見えてしまう・・・ってのは自分(一人称)だけか。そんな自分(一人称)のレーダーも働きそうにないほどの登録有形文化財が次の岩水寺駅、印がついている駅なのでどんな所かと思って行ってみると、住宅地の中に駅舎はなくホーム1本だけのそれこそ典型的なローカル線の駅と言った感じ。しかしホームに入ると登録有形文化財のプレートが掲げられている、写真にある待合室がそれに当たるらしい、複雑に木が組み込まれた造りとその古臭さがなるほど、文化財のベールに包まれた風景にも見えてくる。













天竜区に入り天竜川を渡る、右手側に見えている天浜線の橋梁が登録有形文化財、列車が走っていたら絵になる写真が撮れたところだが今回はタイミングが合わなかった。二俣本町駅を過ぎると小さな川へと差し掛かるが、そこに架かっている鉄道線の橋梁も文化財、さっきの天竜川に架かっているものとは比べ物にならないほどのスケールの小さな橋だが、歴史の古さは十分に感じられる。この川を越えて少し進んだ所にあるのが今回この各駅巡りの最終目的となった天竜二俣駅、駅としては駅舎、上下線のホームが登録有形文化財に指定されている。そのホームの掛川方面の向こう側に見えている機関区一帯も登録有形文化財に指定されているが、さすがにホームからは遠くて見えにくい。駅では見学ツアーが催されているがさすがに時間がないので参加することはできない、それでもあきらめの悪い旅人は駅を後にすると先の跨線橋を渡ったところから機関区の裏手に入って何とか写真を撮りたいと試みる。高い位置からは転車台の風景が一部、その後機関区の裏手にある町並に入った所で貯水槽を写真に収めることができた。まあこれ以上立ち入ってしまうと不審者に間違われてしまいそうなのでこの辺りで退散することにしよう、天竜二俣駅の風景についてはフォトチャンネルにて先行公開してきましたが、改めてここにも貼り付けておきます。そんなわけで天浜線登録有形文化財巡りもこの駅で終わり、この先もたくさんの文化財があるようですがそれについては次回への宿題となりました、また機会があったら巡ってみようと思っています、って現状ではちょっと近いうちにと言うのは厳しいわけですが・・・

登録有形文化財・天竜二俣駅



今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち


No.1256 万葉歌碑巡り・榛原、大宇陀編 

2020-01-14 10:06:39 | 万葉
よろしくお願いします。











万葉歌碑巡り、昨年の夏に榛原、大宇陀から桜井方面を巡った記録を今になってのお伝えとしていきます。この日は夏の甲子園真っ盛りの頃、3回戦4試合があったのですがその第2試合目が星稜vs智辯和歌山、これは何かあると思って録画して家を出たのですが、まさかあのような大熱戦になるとは・・・、と言うことでまずは榛原界隈を巡って行ってみましょう。

「宇陀の野の 秋萩しのぎ 鳴く鹿も 妻に恋ふらく 我れには増さじ」(丹比真人・巻8-1609)

近鉄榛原駅から東へ、急な斜面の丘の住宅地の中にある公園にあったのが写真1枚目の歌碑、今回の宇陀方面の走りの始めに相応しいかのように、宇陀の地名が入った歌碑がお出迎えしてくれました。その公園の向こう側には小学校が見えている、この辺りにも歌碑があるとのことで周囲の道を進んで行くと、正門の近い所の草むらに隠れるようにして立つ碑を見つけることができた。走り始めて早速2つの歌碑、これは幸先いいスタートか・・・と思ったが次の目的地の歌碑がある寺院は急な上り坂を行かなければならない、ここは相棒君を置いて徒歩で進んで行く。

「遠つ人 猟道の池に 住む鳥の 立ちても居ても 君をしぞ思ふ」(作者不詳・巻12-3089)

現代文で刻まれたスラリとした歌碑、まだ新しそう、寺院は山の中腹にあり寺院は本堂はあるもののひっそりとしていて人の気配はなかった、下に置いてある相棒君のことが心配になったので早々と折り返すことに、急な坂は上るより下りる方が怖い。















「安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす・・・」(柿本人麻呂・巻1-45)
「東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」(柿本人麻呂・巻1-48)

写真2枚目~6枚目にあるのは大宇陀にあるかぎろひの丘万葉公園にある風景、小さな丘を上り詰めた所には2つの歌碑が立っています。写真4枚目、5枚目にある歌碑は上の歌に当たるのですがこの文は途中の部分、始まりは↓↓↓

「やすみしし わご大王 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 京を置きて ・・・」

となっています。上の歌のこの部分を載せたのは「安騎の大野」について、この安騎=「阿騎」と言うのは「あきの」を表し大宇陀の地を示している、軽皇子(後の文武天皇)が阿騎の野に狩りに行かれた時に、お供をしていた柿本人麻呂が詠んだ歌とのことです。この公園の裏手には阿紀神社、向かい側には阿騎野人麻呂公園と万葉集に所縁のある場所があり、それぞれに万葉歌碑が立っています。阿騎野人麻呂公園にある碑の歌は上に紹介した「東の野にかぎろひの」の歌で、これも柿本人麻呂が皇子と共にここを訪れた時に詠んだ歌、東に陽の光、西の空には月が浮かんでいる光景は今も変わらずですが、その光景を何の捻りもなく31文字に収めている辺りが逆にこの地で見た見事な風景を表している感じです。












大宇陀から国道の急な下り坂を進んで桜井市へと入って来ました・・・と言ってもこのゾーン、この日の走りでの写真は下の2枚だけ、上の8枚は別の日に長谷寺、桜井方面を訪れた時の写真を貼りました。写真上から1枚目、2枚目にあるのは長谷寺参道の途中にある旧家、この辺りにあるはずなんやけど・・・と思いながら走っているとこんな所にあったのか~と言う感じでありました。

「莫囂円隣之大相七兄爪謁氣 我が背子が い立たせりけむ 厳橿が本」(額田王・巻1-9)

前半の「莫囂円隣之大相七兄爪謁氣」が歌碑にある「三室の・・・」に当たるようですが、まだはっきりとした読みや解釈については確定していないとのことです。なぜこの歌碑がこの家の前にあるのかは・・・これは現地に行って確かめた方がいいかも、ちなみに作者の額田王については近々また別の枠で取り上げることになります。
さて、夏の走りに戻って、星稜と智辯和歌山の試合が始まりました、星稜の奥川投手は智辯打線から三振の山を築いている、果たして智辯和歌山はこの投手から得点できるのだろうか・・・などと考えながらやって来たのは桜井市の中心部から外れた所にある聖林寺、

「倉橋の 山を高みか 夜隠りに 出で来る月の 光乏しき」(間人宿禰大浦・巻3-290)

倉橋と言うのは桜井市にある地名ですが、この先都巡りでも出てくることになる地名、桜井を表す重要なキーワードになるかも知れません。そこにある山から出てくる月についてはもうひとつ、同じ作者でこれと対になる歌があってそちらは三日月の光の明るさに心を安らかせているもの、こちらは光乏しきに心細さを歌っていると言うことになっています。現代の夜でも光があふれている時代とは違って、三日月でも明るさを感じていただけに、月がなかなか浮かび上がってこないことに心細さを感じていた往時の人々の不安がうかがえるかのよう、作者は桜井と大宇陀の間に立ちはだかる山の高さを恨みに思っていたのかも・・・今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち



No.1255 検証、年末年始テレビ番組

2020-01-13 19:22:09 | 日記
よろしくお願いします。

今回は年末年始テレビ番組の検証、前回お送りするはずだったのですが箱根駅伝の話に熱くなってしまってお預けとなってしまいました、一応毎年やっているので今回お送りさせてもらおうと思っているのですが、その前にまずは『紅白歌合戦』から。今回も旅から帰って来て見たのは最後の1時間だけ、一応録画はしていたのですがどうも見る気がしない、視聴率は史上最低だったそうですね。マンネリ、企画もの、特別ゲストなどでもう本来の紅白で競い合う緊張感はなし、4時間以上の長丁場、それ自体は前からそうだったのですがそれよりも気になったのが嵐の特別扱い、彼らってそんなすごい存在ですか、毎年それは気になっていたのですがもういい加減にしてくれと言う感じ、多分今年が活動休止で最後になるから今回もそうなるんだろうな・・・。

【楽屋ニュース、オールザッツ漫才】
一部オンタイム、一部録画で視聴、これって関西ローカルですかね、関東では放送してるのかな。M1王者となったミルクボーイも夜中の生放送にも関わらず出ていました、自分(一人称)もそれまで全然知らなかったコンビだったのでまさにシンデレラボーイ、でネタもやっぱり面白い、ひたむきにやっていればいつかは報われると言う姿を見せてくれたと言ったところです。以前はこのような真夜中のバラエティー番組は見なかったのですが、何でやろうね~、やっぱり齢をとって笑いたくなったからかな~、だから録画してまで見たくなった次第。『楽屋ニュース』は内輪ネタばかりですがそれでも面白い、夜中に大阪の町を走らされたちゃらんぽらんの人、気の毒やったけどゴールできて良かった。『オールザッツ』の方は若手がネタを見せる番組、いわばミニM1と言う感じだったが生きのいい若手・・・一部若手じゃない人もいたが・・・のネタを見るのはいいですね~、いずれはミルクボーイのように全国で頂点を捕る存在となる人も出てくるんでしょうね~。


【アメトーーク年末5時間SP】
姫路のホテルでオンタイムで視聴、走り切って疲れた~てな感じでベッドの上で見ていました。まあやってることは毎年同じような感じと言ったところ、家電芸人は自分(一人称)にはあまり縁がないのでだいたいスルーしています。今回は運動神経悪い芸人で野球やらなかった、あれ面白いから楽しみだったんですけどねえ、まあ明石家さんま参戦に時間をとったためだからと思うけど、そのさんまvs若手芸人は面白かった



若手にとっては怖い存在なんですねえ、でも明石家さんまって若い頃からずっとあんな感じだから今も受けるんでしょうねえ、この前は奈良にも帰ってきていましたしね。今回一番笑ったのはこれ↓↓↓



千鳥は最近面白いですねえ、『相席食堂』とか『カネオくん』とかはよく見ています、まあ雨上がり決死隊があんなことになったからチャンスをつかんだとか言われてましたがそれも結果論、見て面白いと思ったらそれが評価になるわけですからね。


【ローカル路線バス乗継の旅Z】
もうはっきり言って田中要次&羽田圭介はダメですね、太川蛭子コンビが築いてきた番組の面白さを全部壊してしまった感じ。最終日は時間との勝負なので成功できなかったのは仕方ない、それが結果ですから、しかし過程がひどすぎる、乗れるバスを逃したり早めに旅を切り上げたり食や温泉や何やかんや・・・。今回は距離的には行けるかな~と思ったが、どうも伊勢方面は鬼門なんですかね、前も失敗していましたからね。ただこの二人ではもうダメかな、という気もしてきた、面白くなくなってきているしあまりやる気も感じられない、もし次回負け越しが決定したらそれこそ交代やな・・・と言いたいところなんやけど、路線廃止とか本数減とか、最終時間が早まったりとか、時代の流れはバスにだんだん厳しくなってきているのも確か、今回も気の毒なほど歩かされていました、ちょっと考えた方がいいかも。


【ザワつく大晦日、一茂良純ちさ子の会】
録画で視聴、ちなみにこの番組毎週録画して見ています、面白いもんね。昨年はある意味この人たちの年だったのかも知れない、その象徴が大晦日の高視聴率につながったと思います。この番組が大晦日に4時間やると決まった時には、見ている方はある意味無謀かな、と思ったし番組をやってる本人も「一軒家やればいい」とか言っていた、それでもたくさんの人が見たと言うのはそれほど話題にはなってなくても深い部分では多くの人に受け入れられていたからに他ならない。番組では羽鳥アナ、玉川コンビ、高嶋ちさ子のお父さん、巨人(G)のコーチとゲストが登場、話はかなり面白かったが、途中のマグロやらカニやら何やかんやはいらなかったな、スズメバチの巣ももうええわと言う感じ、いつも番組の最初にやっている衝撃映像とかやってほしかったなあ。



それこそこの3人でバス旅やったらいいんでは・・・まあ血の雨が降りそうな旅になりそうですけど。ところでちょっと話が逸れますが、サバンナってもう25周年なんだってね、自分(一人称)は高橋は犬井ヒロシで知ったクチなのでそんなに長かったとは知らなかった。この番組ではクセのある3人をうまくまとめ上げていますがまあ大変そうです、でも今回はいろいろと食べさせて良かったね、という感じでした。


【羽鳥慎一モーニングショー新春拡大SP】
まあ流れと言えば大晦日の『ザワツク』からのこれ、と言う感じですがこちらは元旦の朝6時に起きてリアルタイムで視聴、昨年同様、早速神無月の一茂の物真似で笑わせてもらいました、これももう定番なんですかね。そして定番と言えば初日の出の生中継↓↓↓



出演者がテレビの画面に向かってスマホで撮影している光景がワイプで映っていましたが何してんだか~てな感じ、でも自分(一人称)もあとで録画した画面をカメラで撮ってしまいました。同じ時間にNHKでも生放送の毎年恒例の番組がありましたが、2台のテレビを並べての視聴、元旦のまったりした時間を過ごしていました。


【平成競馬全史1989/2019】
録画で視聴、大晦日の夜は2台のブルーレイレコーダーがフル稼働してくれました。平成の競馬の名場面をベスト50で特集していましたが、まあありきたりなものばかり、やっぱり取り上げられるのはその辺りかな~てな感じでした、比較的平成後期のレースが多かったかな。それでもベスト1に選ばれたのはオグリキャップの有馬記念、まあ今見ても泣けますね、自分(一人称)はこのレース、キッチリオグリキャップ本命でとりましたよ、でもこの時は枠連だけでオグリの同枠にはメジロアルダンがいてそちらを買って喜んでいた人もいたんだよねえ、そう言う人たちは馬券を土に返してもらわねば・・・と言うシーンがこの漫画↓↓↓



であったのを思い出した。ちなみに自分(一人称)が一番思い出に残っているのはトウカイテイオーが勝った有馬記念、はっきり言うがトウカイテイオーはディープインパクトやアーモンドアイよりも強いよ~、絶対!!


【騎手 藤田菜七子 22歳のホンネ】
競馬つながりで最後は年末にあったこの番組、この子の一種ストイックな部分が顕著に現わされた番組でした。GI初騎乗、重賞制覇、100勝達成、中央競馬で史上初の記録をいろいろと打ち立てて行く彼女ですが、いや、すごいねえ、と言うのが正直な感想、この番組を見て一層そう思いました。



今年になって早速通算101勝目を挙げて減量の恩恵がなくなって大変になるかも、と思ったら翌日には1番人気で勝利と順調そのもの、となると気になるのは同期の旗手たち。ちょっと調べてみたのですが荻野騎手、木幡騎手、坂井騎手が100勝越え、菊沢騎手は重賞勝利と豊作の年だったみたいです。中央で初めて女性騎手が誕生したのが1996年、関西では細江純子が活躍していて何度か馬券を取らせてもらったことがありました、でも長くは活躍できなくてその後は何を勘違いしたのか写真集を出したりしました、この前は関西の深夜番組で何かヤバい話もいろいろとしていました。同期にはダービージョッキー福永祐一、テイエムオペラオーの和田竜二、双子の柴田兄弟などがいてこの年も花の同期と言う感じ、でも落馬で引退された方もいましたね、今は障害者馬術選手として頑張っているとのことです。


と言うわけで今年も自分勝手な目線でいくつかの番組を検証・・・と言うほど大したもんではないのですが、あと元日にあったドラマ『相棒』の話もしたかったんですが時間がなくなってしまいました・・・してきました。まあテレビ大好き人間ですからね、昨今は若者のテレビ離れとかが話題になっていますが、自分(一人称)にとってはいろいろな情報を得ることができるのはやっぱりテレビ、これからも大事にしたいコンテンツです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち





No.1254 再訪、古市古墳群(1)・・・玉手山古墳群

2020-01-13 07:44:46 | 文化財

よろしくお願いします。

 

 

古墳巡りは奈良だけではなく大阪府へも行きました、古墳と言うと百舌鳥古市古墳群、昨年世界遺産に登録されて意気揚々と言ったところですが、そこまで世界遺産になりたいの、と言うのが自分(一人称)の正直な感想でした。百舌鳥古墳群を巡った記録については以前3回に渡ってお送りしました、いろいろと勉強になることはあったのですが、果たしてこの小さなお山のどこが人をひきつけるのかと言ったところでした、現在、世界遺産となった効果は出ているのでしょうか。

さて、古市古墳群巡り、何年か前に巡ってここでもお送りしているので今回は再訪となりますが、その周辺となるエリアにある古墳も巡りました。まずは奈良から国道25号線を走って柏原市に入って、近鉄国分駅の裏手になる丘陵地にある玉手山古墳群、駅前の賑やかな通りから急な上り坂を進むとニュータウン風の住宅地へと入り、その中の迷路のような道を縫うように進んで行くと1号墳と2号墳が向かい合う所へとたどり着く。写真2枚目にあるのは2号墳、墓地になっていて写真を撮るのも気がひける感じでした、ここから南へ少しだけ進んだ所にあるのが3号墳、しかし更にその南にある7号墳は迷路のようなアップダウンが連続する道を行ったり来たりしたが結局見つけることができず、先を急ぎたかったこともあってこの時はここで玉手山古墳巡りは断念しました。

 

後日、太子町巡りの際に8号墳、9号墳とその近くにある古墳を巡りました、国分駅前の通りを南へ、前回苦しめられた丘陵地を横目に見ながら進んで行くと西名阪へと突き当たる。目指す古墳はこの高速沿いを行くわけだがここからはまた急な上り坂、丘陵地を上り詰めると工場が建ち並ぶ所へと入り、その中に8号墳と9号墳が道に沿って縦並びとなっている。更に住宅地の中を進んで少しだけ坂を下ったところにある公園へとたどり着く、柏原、葛井寺の町が見渡せる所、そこが円明古墳だが古墳の形はイマイチはっきりと分からない。公園の下は墓地になっているのでこの公園が古墳の頂部分かも知れない、周辺は住宅地と工場が並ぶ所だが、この辺りには遺跡があったと言う場所、開発されてその後もうかがえなくなったかも知れない。と言うことでまず最初に巡った玉手山古墳群、どの古墳も丘の上にあって巡るにはアップダウンが連続する住宅地のど真ん中で結構大変な所でした、史跡には指定されていないということでひっそりと存在している感じ、むやみに観光に走っていないところが好印象となりました。

 

藤井寺市に入ってここからは古市古墳群巡り、再訪と前回拾いきれなかった古墳をグーグルマップを頼りに巡って行くこととしましょう。まずは近鉄土師ノ里駅前北側にある允恭天皇陵、天皇陵は住宅地に真ん中にありその町中を古墳沿いに進んで行くと小さな陪塚が2つ、それぞれろ号、は号と名付けられている、となるとい号は・・・となるのですが、写真6枚目にある古墳の説明板によると、この古墳群には地図で記されている他にも潰されてしまった古墳も多数あり、この天皇陵だけでも20以上の陪塚があったことが記されている。もちろん今となってはその全部を探し当てることはできない、ここはグーグルマップで印が付いている古墳をできるだけ拾い上げて行くこととします。允恭天皇陵の手前にも府道沿いに柵が為された唐櫃山古墳、元は前方後円墳のはずだったのが道路の敷設で破壊されたとのこと、今はそれが古墳だと言う形さえも分からなくなってしまっています。古市古墳群にあっても世界遺産に登録はされてないのはこの形だから仕方ないところですが、国の史跡として指定されていて面目を保っている感じ、そんな人目から逸れてしまったような存在の古墳も多くあるようです、次回はその辺りを自分なりに突っ込んで巡って行ってみようと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち


No.1253 都の記憶(2)

2020-01-08 10:21:30 | 
よろしくお願いします。











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歴代天皇が政治の拠点とした都=宮を訪れてみよう、と言うことで昨夏は古墳、お地蔵様巡りに兼ねて都巡りでも走りました。都と言うと藤原京や平城京、平安京、その他に長岡京や恭仁京と言った縦横に道が並んだ町の様子を思い浮かべるのですが、その形式・・・都城制となったのは藤原京からと言うことで、それまでは天皇が変わる毎にその拠点はコロコロと変わっていってました。いわば天皇の居城と言った所、前回は12代景行天皇の「纒向日代宮」まで巡りました、となると今回は13代成務天皇、14代仲哀天皇と行きたいところなのですが・・・。13代成務天皇の宮は「志賀高穴穂宮」、滋賀県大津市にあってついこの間行ってきたばかりですが写真の編集がまだなので今回は写真はなし、また機会を設けてお送りしようと思っています。14代仲哀天皇の宮は山口、福岡の方でさすがに手が届きません、ここはスルーでお願いします。
さて、やっと上の写真に触れられると言うことで15代応神天皇は写真1枚目~4枚目にある「磐余若桜宮」、ここは桜井と言う地名の由来となった場所でもあるとのこと、5枚目、6枚目にあるのは「軽島豊明宮」は以前万葉歌碑巡り、藤原京廃寺巡りの項でも取り上げたことがあった場所です。
16代仁徳天皇は万葉歌碑の時にいろいろと話題を提供してくれた天皇、宮は「難波高津宮」なのですが、ここもついこの年末に走って来たばかリです。写真には高津神社とあるのですが、実際の場所はそこから東に行った所にある高校の敷地内に碑があるとのことで、写真を撮ることはできませんでした。
17代履中天皇は「磐余稚桜宮」、桜井市にある稚桜神社がその場所に当たるとのことです。






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18代反正天皇の宮は大阪の松原市にある丹比柴籬宮、ここも高津宮と同じ日に行ってきました、境内では年末も押し迫ったと言うことで初詣の準備が進められていました。この宮はそのまま次代にも引き継がれたようですが、その19代允恭天皇は明日香にも宮を置いたとのことで、ここで初めて天皇の宮に飛鳥の地が登場することになります。
20代安康天皇は天理市の「石上穴穂宮」、天理駅の近くの町中にあるのですが天皇の宮だったと言う記録を表したものは何もありませんでした。
21代雄略天皇は桜井市の「泊瀬朝倉宮」、場所は近鉄大和朝倉駅から国道165号線を東に行った所にあり、ここも以前万葉歌碑巡りでお送りしたことがありました。
22代清寧天皇は「磐余甕栗宮」、場所は桜井市と橿原市の境界となる場所にあり、以前万葉歌碑巡りで訪れた寺院と隣り合わせの所にありました。しかし下3枚にある写真はそことは別の場所、御所市にある角刺神社、清寧天皇崩御後のしばらくの間、次代への繋ぎとして政務を行った飯豊皇女が宮とした所、期間は10ヶ月ほどで次代へと襷を渡している。当時は女性だったとのことで、いわばこの後登場する女性天皇の先駆けとなる存在となっている、天皇の称号が与えられてはいるが歴代天皇の枠には含められていないとのことです。




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ちょっと長くなってしまっていますがもう少しだけ進めて行きましょう、23代顕宗天皇の宮は「近飛鳥八釣宮」、明日香村の山に入るひっそりとした所に神社がありました。
24代仁賢天皇は「石上広高宮」、天理市にあり自分(一人称)が通っていた中学校の近くにありました。国道169号線東側の石上町の集落を抜けると目の前に山が現れ、一本道の先にある急な坂道を上って行った先のひっそりとした森の中に神社がありました。そこには写真にもあるようにここが宮跡だったことを表す碑が立っている、でもこんな近くのことなのに全然知らなかった、歴史の授業でも取り上げられませんでしたしね。
今回最後の25代武烈天皇は「泊瀬列城宮」、先に紹介した泊瀬朝倉宮から更に長谷寺側に進んだ旧街道の町並沿いにありました。桜井市には宮跡が多くて今回もいくつか紹介させてもらったのですが、この後はいよいよ飛鳥が都として登場してくることになってきます、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち