ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

何年生きるか?保証も無いのだ!

2018年05月29日 | 介護
もう還暦を過ぎた私に何年生きるかの保証は無いのだ。
だったらせめて残された人生好きなように生きたいと思う。
今まで好きなように生きていたと端からは見えるかも知れない。
しかし、そこには母という壁があったのだ。
だから私は自分のお金の許す範囲で好きなことをするのだ。
出来なかったことをするのだ。
もう、母に反対されてもするのだ。
どうせ子供のいない夫婦!
お互いに楽しい老後を過ごそうではありませんか?
出来なかった夢!
叶わなかった夢!
叶えて見ませんか?
なりたかった職業にはつけなかったけど、やりたいことはやりませんか?
だから歌えと言えば多少音程が外れても素人も歌えるライブハウスで歌うのです。
冥土の土産にのど自慢にも出たいのです。
カクキユーの八丁味噌の宣伝して、木馬亭の宣伝して浪曲も聴くのだ。
そこにお金など欲しいとは思わない。
すべては勝手に私がしていることだ。
八丁味噌の良さが日本中に広まれば言いと思う。
木馬亭にお客さんが増えればいいと思う。
それだけのことです。
あくまでも個人が勝手にしていることです。
やりたいことが思うようにやれなかった私はSNSを使うのだ。
お金の発生しないSNSを使うのだ。
あからさまに味噌を買ってくださいとは言わない。
ただ発酵食品の良さを伝えたいだけなのだ。
すなわち発酵食品なら味噌でなくてもいいのだ。
食生活に発酵食品を取り入れることを提唱したいのだ。
木馬亭に至ってはお客さんが増えればいいのだ!
岡崎のあの地であの風土で作られて培われた八丁味噌の良さを見直してくれる人が一人でも増えればいいのだ!
木馬亭の浪曲の定席にお客さんが増えればいいのだ!
どれもこれも私が勝手にしていることなので、それに対して報酬は求めていない。
何かを欲しいという気持ちは無いのだ!
木馬亭にお客さんが増えることを見届けたらあの世に行こうかと思う。
さあ、皆さん!興味があったら八丁味噌食べてみませんか?
興味があったら木馬亭行ってみませんか?
木馬亭!若手も頑張っています!
と、言うことでよろしくお願いします!

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そこに私は一筋の光を見た!

2018年05月29日 | 介護
思い通りにならない人生を今さら嘆いても仕方ないと思う。
希望通りの道に進めなかったこと後悔しても仕方ないと思う。
それが私の運命なのだと受け止めよう!
振り返れば嫌なことばかりの人生だった!
楽しいことなどほんの一握りでしかなかった。
果たして本当の私の幸せはどこにあるのか?
模索しても模索してもわからなかった。
この手に掴むことの出来ない幸せをいつも追い求めていた。
私の切ない心の穴を埋めるように島倉千代子さんの歌が響いた。
しかし、今は彼女もいない。
その後まだ千代ちゃんが生きている時に私は病気になり偶然テレビで見たクミコさんの歌声に歌にひかれていった。
そして薄皮を剥ぐように元気を取り戻していったのは言うまでもない。
あの日あの時私がテレビで見たクミコさんをそれからいろいろ検索して追っかけをするようになったのは言うまでもない。
しかしそれから数年、私は新しい心拠り所を見つけたのだ。
心の拠り所を!
一人の女性のその声に!
私はだんだん心ひかれていったのだ!
それは誰あろうあの五代目天中軒雲月師匠だった。
一口では言い表せない魅力がそこにはあったのです!
全く浪曲という分野について詳しくはなかった私が彼女の存在で浪曲を知るのである。
最初は玉川奈々福さんでした。
しかし、その形勢は逆転されるのです。
天中軒雲月師匠の存在に逆転されるのです。
さすがに芸歴50年を越えた素晴らしさは何者にも変えがたいものがあり、私は益々彼女の浪曲に対する魅力にひかれていくのです。
それに加え、人柄の良さは格別で、私はその人柄にも惚れてしまったのだ。
そこにはあの島倉千代子さんには無い何があったのだ。
そうだ!この人を応援しよう!
その時思った。
お金は無いが浅草の木馬亭なら木戸銭2000円!
それなら何とかなるぞ!
そう思って私は浅草の木馬亭に師匠の浪曲を聴きに行くのであった。
いやいや師匠以外の浪曲師も素晴らしく、私はそこには涙や笑いの本質を見るのであった。
私のつたない文章最後までお読みいただきありがとうございました。
続きはまたのちほど!

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生きていて良かった!

2018年05月29日 | 介護
2018.5.29
60年間生きてきて今日ほど良かったと思えた日はなかった。
人生にずーっと不幸ばかりが付きまとっていた。
嫌なことばかりが多かった。
希望通りの生き方が出来なかった。
大好きだったあの島倉千代子さんには思いが届かず、そのうち彼女はあの世に行ってしまった。
やっとつかんだ結婚と言う道も母との同居で辛苦を味わっていた。
そのせいで病気にもなった。
その時出会ったクミコさんは良かった。
薄皮をはぐように病気は回復期に入った。
救われた命に出会ったクミコさんに感謝しつつ、思い通りにならない人生を悔やんだりもした。
思い通りにならない人生は隠れて好きなことをした。
バレないように物事を進めるのも限界があった。
そんな時にふと出会った一人の女性に私は心を寄せていた。
ほぼ毎日のようにYouTubeを聴き、いつしかその声が心のよりどころになっていった。
それは誰あろうかあの浪曲師の天中軒雲月師匠であった。
思い通りに希望通りに生きられなかかった私の心に一筋の光をその時見た気がした。
あれもダメ!これもダメ!と、言われて生きて来た私の心にその声は響いた。
もう、あれダメ!これダメ!の人生なんてまっぴらごめんさ!
と、その時思った。
希望通りの人生を送れなかった自分が悲しかった。
自由にならない自分の生き方を悔やんだ。
何もかも母の管理下の下暮らしてきた自分が時としてみじめで哀れでならなかった。
還暦を過ぎてもいまだに母にいろいろ言われる自分が嫌だった。
子供の頃から日記を書けば3日もすると母に読まれていた。
いつしか私はパソコン教室に行き、ブログを書くようになった。
パソコンなら母も使えないし見れないのである。
希望通りに生きられなかった、思い通りの道を歩めなかった私は芸能人の歌に心のよりどころを見出した。
コンサートもライブにも母の目を盗んで夫婦で行った。
ひと時歌を聴くことですべてを忘れようとしていた。
そんな時に出会った浪曲に私はこれだと思ったかは別としても、心惹かれていった。
玉川奈々福さんが良さそうと思ったのもつかの間、いつしか私は天中軒雲月師匠に心奪われていった。
YouTubeで来る日も来る日も浪曲と歌を聴いた。
やがて木馬亭に行った。
浪曲と言う未知の世界に惹かれていった。
そこには私の知らない世界があった。
時に泣き、時に笑った。
私にとって浪曲は全く未知の新しい世界であった。
これほどまでに素晴らしい話芸が日本にはあるのだ!
師匠以外の浪曲師ももちろん素晴らしかった。
師匠には特に心惹かれた。
もはや師匠は千代ちゃんを越え、私の心に入って来たのだ!
55年近くも好きだった島倉千代子を通り越して私の目の前に突然天中軒雲月と言う一人の女性が現れた。
まぎれもなく現れた。
希望通りの思い通りの人生を歩むことが出来なかった私の心に!
14歳で浪曲の世界に飛び込んだ師匠にとって浪曲師と言う職業は転職だったのだ!
私はその転職を見つけることも出来ずに、好きな道に進むことも出来ずに生きていた。
和裁の学校に行きお針子さんになることも出来ずに、作詞家になる径も経たれて生きて来た私は一人の師匠に巡り合えたことで少しだけ救われた気がした。
思い通りに生きれなくたって時にはいいこともあるのだ。
望んでいた子供にも恵まれなかった。
一見自由そうに見える暮らしに本当の自由を探し求めていた自分がいた。
この度、こうして天中軒雲月師匠に出会えたこと、ファンになれたこと、心より感謝申し上げます。
末永く応援させていただきます。
師匠のおじゃまにならない程度に応援は致します。
また師匠のお仲間は大切にさせていただきます。

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今日も号泣!

2018年05月29日 | 介護
2018.5.29
どうもちょっとしたことで号泣してまう。
午前中にボランティアでバザー品の片づけに行き、昨日の出来事をボランティア仲間に話、嬉しかった旨を伝え、帰って来てからお使いに行って餃子を作る。
その後、何気なくスマホを除けばこれまたビックらポンのお知らせに嬉しくてちょっとだけ号泣しそうに!
作った餃子!届けることが出来るならお届けしたいと思えど、これからの時期は食中毒もあるので無理だなと!
本当に冗談抜きで美味しいんです。
1年でつぶれたラーメン屋の娘!
私が20歳の頃に父が始めたラーメン屋は見事に1年でつぶれました。
高円寺で始めた3坪のお店は1年で父がつぶし…。
さすがに私はラーメンは作れませんが、その時のお店の餃子は私がいろいろ研究し、見事に美味しい自慢の餃子に!
自称餃子研究家なので外出してもお店のメニューに餃子があると注文してしまいます。
ほぼ27年半で私の餃子の味を越えた餃子はないに等しいのです。
生まれたところが宇都宮!
餃子は立派な郷土の名物に!
故郷の餃子、どこで食べても私の作る餃子より美味しい餃子に巡り合ったことはないに等しいのです。
母は餃子を握るのはプロなので、私も見様見真似でお店のように握れるようになりましたよ。
このところ隠し味にカクキューの八丁味噌を加えている。
これを入れるとラー油や酢醤油を付けなくても美味しくいただけます。
うわ~!この餃子、大好きな師匠に食べさせたいと思えど、本当にこれからは食中毒が怖いので!
そうそう、日野美子さんにも食べさせたいのです。
朝のNHKのテレビで今日は餃子を見てしまったので、夕食が餃子に!
餃子は私が代わりに食べておきますから!
ここから先はお願いです。
皆さん浪曲聴きに行きませんか?
毎月1日から7日までは浅草木馬亭浪曲の定席です。
木戸銭お手頃お一人様2000円でほぼ4時間楽しめます。
浪曲師はあなたのお越しを木馬亭でお待ちしています。
浅草詣でのついでにどうですか?
涙と笑いの浪曲を精一杯浪曲師があなたの心にお届けします。
浅草寺にお参りのついでに木馬亭に行きませんか?

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今まで出来なかったことを埋めるように!

2018年05月29日 | 介護
私はまるで今まで出来なかったことを埋めるように生きてやろうと思います。
それには一つでも何か出来ればと、思います。
還暦になってあなたに出会えたこと、巡り会えたこと、嬉しかったのです。
残された私の人生、出来る限りの応援はしようと思います。
やれなかったこと一つでもやってあの世に旅たとうと思います。
それには一つお願いがあります。
お願いです。
余計なことはなさらないでください。
嬉しくて泣いてしまうからです。
何も要りません。
ただあなたの浪曲を聴けるだけでいいのです。
60年の人生を埋めるようにあなたの浪曲を聴きたいのです。
出会った時期が遅かっただけなのです。
子供の頃、初めて白黒のテレビで島倉千代子さんを見てしまったので、ずーっと島倉千代子さんが好きでした。
更年期から病気になり、たまたまテレビで見たシャンソン歌手のクミコさんにひかれ、シャンソンを聴いていました。
もっと早く浪曲の良さを知っていたら私は若いうちにあなたのファンになっていたかも知れませんね?
還暦過ぎての出会いはある意味遅かったのかも知れませんね。
今、遅かったものを取り戻すかのように、浪曲を聴いています。
ごめんなさい!
私が何か差し入れしてもお返しは要りません。
他のファンのようにお金をおひねりを差し上げることも出来ません。
持病もおありなので私から差し上げたもの、食べ物なら皆さんで楽屋でお召し上がりください。
私に対するお気遣いはなさらないでください。
勝手に持参するものです。
一度差し上げた物はどうされようとかまいません。
ただ今の私が言えることは残された人生あなたの一ファンでありたいと思います。
それにはあなたのお邪魔にならないようなファンでありたいと思います。

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