ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

花には水を人には愛を

2023年04月25日 | 日記
「花には水を人には愛を」と言うたとえがある。
そういう気持ちを持ち合わせていない母に腹を立て、私に対して感謝の心も気持ちも無いことに泣いた。
夕飯の説明をするも3回話しても分からないのでキレた。
私がキレたら母が怒った。
何もかも私がするのは当たり前。
やるのは当たり前。
「すいません」「ごめんなさい」「ありがとう」
母の口からそんな言葉を聞いたことはほぼ無いに等しいのだ。
作ったおかずに「辛い」「しょっぱい」「固い」「不味い」
炊いたご飯は「固い」と言う。
嫌いなおかずにあからさまに文句を言う。
洗濯物の干し方に文句を言う。
私たちが出かけるときにストーカーのように自分の部屋の障子を開けて覗くのだ。
元気なころは後を途中まで着けてきた。
杖を突くようになったら踏切のあたりまで着けてきたこともあったのだ。
帰ってから「行き先が違う!」と、文句を言う。
帰りの時間を聞かれていく場所を聞かれる。
帰りが少しでも遅くなれば文句を言うのだ。
芸能人の何かに行くのはもってのほかです。
コンサートに行く。
ライブに行く。
イベントに行く。
芝居を見に行く。
もちろん浪曲も同じです。
浪曲、講談、落語、漫才その他の演芸系もしかりです、
そもそもお金は使わず貯金する。
それが母の方針で言い分です。
母は自らお金を払ってそれらを見に行ったことはありません。
誰かの何かのご招待なら行きます。
身銭を切ると言うことは一切しません。
娘の私が身銭を切っていることに不満を持っています。
娘の私はお金は貯金してもあの世に持って行かれないから葬式代だけ残せばいいと…。
子供も孫もいない身です。
さんざん自由のない生活を母に強いられてきました。
もしも私に子供がいたら子育てにも口を出すのでしょうね。
私は行きたかった専門学校にも行かれず、やりたいこともほぼ出来ずに65年間も生きてきました。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« やるせない気持ち | トップ | やっと読売新聞気流に私の投... »
最新の画像もっと見る