ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

私と言う女遠い記憶

2018年05月31日 | 介護
子供の頃から自分の性格が言い性格だと思ったことはなかった。それでも母よりは少しはましだと思っていた。
振り返れば母は気の毒な女だった。大体が母が幼くして実母や姉に死に別れ、新しい後妻に育てられるのだ!
その後妻も次々と子供をもうけ母は幼くて家事も子育ても強いられるのだ!
物の無い時代、農家では無い母の家は配給が頼りだったかも知れない。
後妻は次から次へと子供を生むのである。母は遊ぶことも許されなかった。遊ぶならその前に家事をするのである。背中には妹や弟が背負われていた。
女学校を出ると母は働いた。働いたお金の大半は仕送りになった。なぜなら次から次へと子供を産む母の後妻に母の父だけの稼ぎは到底無理だったのかも知れない?
まだ若き母におしゃれをするとか趣味を持つとかと言うことは出来なかったのだ!母は仕送りをするために働かなくてはならなかったのだ!
その母も23か24で結婚をした。結婚をしたはいいが、結婚式だと言う日に父は呑んだくれ結婚式の会場に遅れてやって来たのだ!どうしようもない男だった。朝まで呑んでいた父が現れたのだ。おそらく赤ら顔のアルコールのプンプンする父は母にはどのように写ったことだろう?
また、父も花嫁になる母をどのように見たのだろう?
母は若い頃こら老け顔だった。結婚式の写真を見る限り母の顔に新妻のしおらしさや初々しさは感じ取れない。むしろ実年齢より老けた顔にこれから押し寄せる苦労の影さえ感じ取れた。この夫婦がどんな新婚生活を送ったのか?これから押し寄せる艱難辛苦の数々をこの時点で二人は知るよしもなかったのだ!
不幸がどこまでも二人に付いて回るのだ。やがて子供が生まれ生まれたのは私であった。父は最初に生まれた私をいたく可愛がった。しかし、私の記憶にその事は無い。覚えているのは父がお風呂場で石鹸に足を滑らせ転んで怪我をしたことと、近所の八百屋にテレビを見せてもらいに行っていた父を幼い私が迎えに行ったことだ。まだまだテレビの普及していない時代の話、テレビは近所のテレビのある家に見せてもらいに行くのだ。父は近所の八百屋で正座して野球や相撲を見せてもらっていた。それは戦後10数年経った時の話です。

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私と言う女遠い記憶

2018年05月30日 | 介護
今らさ生きてきた人生を嘆いても仕方がないと思う。それは一つの運命なのだ。思い通りに生きれなかった自分がここで嘆いてみても仕方ないとさえも思う。
自由にならない自分がいる。何をするにも同居の母の目を気にしている。そうなのだ。外出してもはじめのうちは後ろを振り返り母が後をつけてこないか?心配する。
彼氏が出来ても出来たことも言えずに、デートは嘘をついて出掛けた。下手くそなおにぎりを作った。不味いクッキーを作った。母には友達と花見だと嘘をついた。そして私はおにぎり担当だとこれまた嘘をついた。
井の頭公園でその頃の彼氏とくそ不味いおかずもないおにぎりを食べた。クッキーに至ってはこれまたひどく不味かった。
「よう!こんな不味いもの作るな!」見たいなことを彼氏から言われた。
私も確かにそう思った。
その恋はあっけなく幕を閉じた。最も関西人のその男は高校中退だった。私の方こそ願い下げの男であったのは言うまでもない。
その後も彼氏が出来ると嘘をついた。男がいるそぶりなど見せたこともなかった。毎回デートは嘘をつき外出するのである。そのデートに私は内心びくびくしていた。ばれたことを想定すると怖かった。
思い通りに生きられなかった人生を今さら嘆いても仕方がない。好きなことを好きなように出来なかったことを嘆いても仕方がない。
そのうち私は母の目を盗んで行動するようになるのである。それでもバレるのだ。何もかも判を押したようにバレるのだ。日々働いている母にはバレるのだ。1日の行動はバレるのだ。すべてバレるのだ。まるで千里眼があるようにバレるのだ。
今とてあの浪曲師の電柱軒清月にはまっていることがばれやしないかとひやひやしている。幸いに母は小野美子の存在は知らない。ほぼテレビに出ないシャンソン歌手の小野美子の存在はわからないのだ。かといって母が小野美子も電柱軒清月のことも認めてくれるとは思わない。
その証拠に未だにクニコのことを良く思っていないのだ。
そもそもそういった芸能人の追っかけにお金を使うこと事態がいけないらしい?
子供の頃からお金の使い方には厳しかった。初めは5円10円をもらって近所の駄菓子屋に行っていた。そのうち小遣いせいになると、毎月いくらと決められていた。買ってきた物は見せなければならなかった。もらった小遣いさえも自由には使えないのだ!そこに楽しいことなどあるわけもない。

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たった2000円で買える幸せ!

2018年05月30日 | 介護
2018.5.30
浅草木馬亭で私はたった2000円で買える幸せを毎月味わっている。
そこには私にない思いやりと優しさと労りにあふれた人たちが演じている。
毎月2000円で幸せが買えるなら安いものだ!
持病の耳鳴りの中から浪曲を聴く。
時には100匹の蝉が1000匹になるときもある。
会場は狭いので後ろでも聞こえるのに、どうも前の席に座ってしまう。
好きでなかった学生の頃の歴史や文学も時には学べる。
ひと時の幸せは破格の2000円です。
たっぷり4時間で2000円は嬉しい限りだ。
少しづつ浪曲師の名前もインプットされ、浪曲師の皆さんにも私が雲月師匠押しだと認識してもらえるようになりました。
でも、実はそのあなたの浪曲も好きなんですよ。
一生懸命熱演されている姿に私は泣いたり笑ったりしています。
そこには今までになかったささやかな幸せがあるのです。
掛け声をかけることも、おひねりや心づけを渡すことはできないけど、応援はしています。
こんなに素敵な浪曲を還暦になって知ったことはちょっぴり残念でした。
もっと早めに気が付いていれば良かったですね。
いやあ、こういう日本の伝統話芸に興味を持って後継者が増えることを切に願っている次第です。
このブログの若い読者の皆さん!浪曲師になりませんか?
木馬亭の舞台に立ちませんか?
就職先、悩んでいたら、迷っていたら浪曲師になりませんか?
詳しいことは一般社団法人日本浪曲協会へ!

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湿度が高くて暑いんです。

2018年05月30日 | 介護
2018.5.30
湿度が高くて暑いんです。
ジメジメしています。
3日の見本のクッキー焼いたら母が食べたそうにしていたので、食べてもらいました。
薄く焼いてジャムをサンドすることにしました。
基本お菓子系は苦手です。
しかし食中毒も加味するとお菓子系がいいかと思います。
大事な師匠のお仲間にもしものことがあっては困るんです。
数は適当に作りますね。
皆さんでどうぞ!
因みに日曜日に出かける前に朝カフェに寄るのでもれなく朝カフェに参加した方には一つ差し上げます。
まあ、本当にお菓子系を作るのは苦手です。
外は雨になりましたね。
少し眠かったので昼寝をしました。
30分ぐらい横になりました。
そうそう、3日に木馬亭で師匠の浪曲聴いたらしばらく木馬亭に行かれませんので!寂しい日が続くのです。
30日に六本木のクミコさんのコンサートに行くのですが、会場でお会いするクミコさんつながりのファンの人は驚くでしょうね?
突然島倉千代子さんからクミコさんで雲月師匠なのですから!
何のつながりもほぼないわけで!
共通点が2人ともCDを出していて女性と言うところだけのような気がします。
気にしないでくださいね。人妻ゆえに主人の方が一番なのは当然のことですから!
本当に3日の木馬亭楽しみにしています。
友達は千代ちゃんの墓参りに行くそうですが、今は師匠が大事なので!
当分お一人様浪曲広め隊しますので!
皆さんには木馬亭でお会いしましょう!

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6月3日の試作品

2018年05月30日 | 介護
2018.5.30
6月3日の試作品を作る。
生地が柔らかすぎて焼いたらスタンプが読めなかった。
少し厚めの生地にしたら素朴な卵パンの味わいが!
とりあえずスタンプはやめることにしました。
田舎風のクッキーなのにラム酒漬けのドライフルーツを少し入れて見ました。
数枚食べるとお腹にたまる味ですね。
ただ、薄いより少し生地が厚めの方が良いようです。
私の料理は基本食べられるかどうかの問題なので十分いただけると思います。
薄めに焼いてジャムをサンドしても良さそうです。
さてさてこのままでいくか?改良するかは課題です。
もう少し薄めに焼いてジャムはさみますか?
ラム酒に付けたドライフルーツ入っているのでアルコール苦手な人には無理かも知れません。

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