子供の頃から自分の性格が言い性格だと思ったことはなかった。それでも母よりは少しはましだと思っていた。
振り返れば母は気の毒な女だった。大体が母が幼くして実母や姉に死に別れ、新しい後妻に育てられるのだ!
その後妻も次々と子供をもうけ母は幼くて家事も子育ても強いられるのだ!
物の無い時代、農家では無い母の家は配給が頼りだったかも知れない。
後妻は次から次へと子供を生むのである。母は遊ぶことも許されなかった。遊ぶならその前に家事をするのである。背中には妹や弟が背負われていた。
女学校を出ると母は働いた。働いたお金の大半は仕送りになった。なぜなら次から次へと子供を産む母の後妻に母の父だけの稼ぎは到底無理だったのかも知れない?
まだ若き母におしゃれをするとか趣味を持つとかと言うことは出来なかったのだ!母は仕送りをするために働かなくてはならなかったのだ!
その母も23か24で結婚をした。結婚をしたはいいが、結婚式だと言う日に父は呑んだくれ結婚式の会場に遅れてやって来たのだ!どうしようもない男だった。朝まで呑んでいた父が現れたのだ。おそらく赤ら顔のアルコールのプンプンする父は母にはどのように写ったことだろう?
また、父も花嫁になる母をどのように見たのだろう?
母は若い頃こら老け顔だった。結婚式の写真を見る限り母の顔に新妻のしおらしさや初々しさは感じ取れない。むしろ実年齢より老けた顔にこれから押し寄せる苦労の影さえ感じ取れた。この夫婦がどんな新婚生活を送ったのか?これから押し寄せる艱難辛苦の数々をこの時点で二人は知るよしもなかったのだ!
不幸がどこまでも二人に付いて回るのだ。やがて子供が生まれ生まれたのは私であった。父は最初に生まれた私をいたく可愛がった。しかし、私の記憶にその事は無い。覚えているのは父がお風呂場で石鹸に足を滑らせ転んで怪我をしたことと、近所の八百屋にテレビを見せてもらいに行っていた父を幼い私が迎えに行ったことだ。まだまだテレビの普及していない時代の話、テレビは近所のテレビのある家に見せてもらいに行くのだ。父は近所の八百屋で正座して野球や相撲を見せてもらっていた。それは戦後10数年経った時の話です。
振り返れば母は気の毒な女だった。大体が母が幼くして実母や姉に死に別れ、新しい後妻に育てられるのだ!
その後妻も次々と子供をもうけ母は幼くて家事も子育ても強いられるのだ!
物の無い時代、農家では無い母の家は配給が頼りだったかも知れない。
後妻は次から次へと子供を生むのである。母は遊ぶことも許されなかった。遊ぶならその前に家事をするのである。背中には妹や弟が背負われていた。
女学校を出ると母は働いた。働いたお金の大半は仕送りになった。なぜなら次から次へと子供を産む母の後妻に母の父だけの稼ぎは到底無理だったのかも知れない?
まだ若き母におしゃれをするとか趣味を持つとかと言うことは出来なかったのだ!母は仕送りをするために働かなくてはならなかったのだ!
その母も23か24で結婚をした。結婚をしたはいいが、結婚式だと言う日に父は呑んだくれ結婚式の会場に遅れてやって来たのだ!どうしようもない男だった。朝まで呑んでいた父が現れたのだ。おそらく赤ら顔のアルコールのプンプンする父は母にはどのように写ったことだろう?
また、父も花嫁になる母をどのように見たのだろう?
母は若い頃こら老け顔だった。結婚式の写真を見る限り母の顔に新妻のしおらしさや初々しさは感じ取れない。むしろ実年齢より老けた顔にこれから押し寄せる苦労の影さえ感じ取れた。この夫婦がどんな新婚生活を送ったのか?これから押し寄せる艱難辛苦の数々をこの時点で二人は知るよしもなかったのだ!
不幸がどこまでも二人に付いて回るのだ。やがて子供が生まれ生まれたのは私であった。父は最初に生まれた私をいたく可愛がった。しかし、私の記憶にその事は無い。覚えているのは父がお風呂場で石鹸に足を滑らせ転んで怪我をしたことと、近所の八百屋にテレビを見せてもらいに行っていた父を幼い私が迎えに行ったことだ。まだまだテレビの普及していない時代の話、テレビは近所のテレビのある家に見せてもらいに行くのだ。父は近所の八百屋で正座して野球や相撲を見せてもらっていた。それは戦後10数年経った時の話です。